37. “友達”


 「ふう。ここまで来たらひとまずは安心かな」


 ギスギスした女子たちのグループからいじめられていた女の子を連れ去り、すたこらと別のフロア、離れた場所へと逃げてきた司。


 「ここまで連れて来ておいてなんだけど……もしかして迷惑だった?」

 「い、いえ、そんなことは…………その、助かりました」

 「それならよかった。妹が似たようないじめを受けてたから、放っておけなくてさ。余計なことをしてたらって、今更ながら心配になって……」


 なかば義憤のようなものだったが、結衣里が同じような目に遭っていたことを知っている以上、見て知らんぷりはできなかったのだ。


 「それで、その…………あなたは?」

 「ああ、俺ときたら自己紹介も……まったく。俺は水野みずのつかさ。ええっと…………結川むすびがわ高校の2年、って名乗るのが良いのかなこの場合」


 学校以外で人と知り合うことが無かったせいで、正しいというか上手い自己紹介の仕方が分からない。

 同じ高校に通っている可能性もあるが、とりあえず学校名を言うのが無難だろうと、司はそう判断した。

 相手にとってみれば見ず知らずの相手にムリヤリ連れて来られたのだから警戒して当然だろうし、自分の身元をハッキリさせておく方が良いと思ったのだ。


 「あ、はい。ボクはいぬい瑞希みずきといいます。梅山高校の1年です。……あの、助けてくれてありがとうございました」


 例の司が連れてきた少女──乾さんはそう言ってぺこりと頭を下げた。


 梅山高校といえば、司の高校と同じくここから近いとは言えない場所にある学校だ。

 彼女は今日はふらっと何となく買い物に来ただけだったのだが、たまたま同じクラスの子に出会ってしまったらしい。

 彼女としてもクラスメイトに、しかもよりにもよって会いたくないタイプの相手に出くわすとは思ってもいなかったのだろう。


 「えと、その。何かお礼を……」

 「気にしないで。半分以上、自己満足のための行動だったし。あと、その服装を似合わないって言われてたのが納得いかなくて。可愛いし、よく似合ってるから」

 「っ!? あ、ありがとうございます……」


 褒められたことに驚いたのか、乾さんは一瞬目を丸くした後、恥ずかしがりながらも嬉しそうにはにかんだ。


 女の子の容姿はまず一番に褒める。

 知り合いだろうと見たことのない服装ならば真っ先に褒め、初対面でも良いと思ったところは素直に褒めるべし。

 母の教えは健在だった。


 ……そういえばさっきは羽畑さんの私服を初めて見たはずなのに褒め忘れていた。

 でもあれは出会って早々からかってきた彼女が悪い。


 「えと、その…………学校だとボク、こういう格好してないから……」

 「まあ、学校は基本制服だもんなぁ。さっきのあの子たちもさぞ面食らったに違いない」


 ボーイッシュながら可憐さと怜悧れいりさを感じさせる容姿と、それに合わせたかのような「ボク」という一人称。

 それらを考えると、彼女が学校でどういう扱いを受けているか容易に想像がつく。


 「う、う〜ん……そういうことじゃないと思います……」

 「いいや、そういうことだよ。誰がどんな格好をしようと自由だし、たとえ好き嫌いはあったとしても、バカにするのは論外だ。だろ?」


 たとえば今日の結衣里の服装だって、実際のところは人を選ぶファッションだと思う。


 いわゆる甘ロリと呼ばれるファッションスタイルらしく(さっき一人のときに調べた)、幼さや可愛らしさを強調するとても人目を惹くコーディネート。

 白で統一されたあの服装も、例えば黒や派手なピンクに色替えをしたら、いわゆる地雷系と呼ばれるものになるはずである。

 物騒な字面を見ても分かるように、とても万人受けするとは言いがたい。


 見る人によっては風変わりで奇妙、ともすれば「媚びている」などとも言われてしまうかもしれないが、結衣里は完璧に着こなしているし、似合っている。


 「俺、お世辞は苦手でね。でも母さんや妹が服には厳しいから、それなりに目は肥えてると思う。その俺が言うんだから間違いない。自信を持っていいと思うよ」


 いま目の前にいる乾さんも、着ている服は今の彼女の雰囲気に似合っていた。


 彼女自身は背も高めでスラッとした面持ち、おまけに声も低いと全体としてはボーイッシュな印象を受ける。

 だが襟や前面にフリルのついたガーリーなブラウスがグッと女の子らしさを引き出し、そこに合わされた爽やかな風合いのチェックのスカートが、清楚な可憐さとアーバンな快活さを丁度良いバランスで両立させている。

 きっと彼女もまた、ファッションには抜群のセンスを持っているのだろう。


 「…………そうかな…………」

 「そうだよ」


 どこかまだ不安そうに呟く乾さん。


 こういうのは、一朝一夕に意識が変わるものではない。

 褒めてくれる家族や友達が周りにいて初めて、少しずつ自信が身に付いていく。


 きっと今まで身の回りに、こうして褒めてくれる人はいなかったのだろう。

 なのに彼女はファッションの腕とセンスを磨き、なんなら今日もファッションを磨きに来ていたのかもしれない。


 人目に付かず、誰の為でもなく続けられてきたその努力は、素直に心から尊敬できるもので。



 (ああ、そうか────)



 尊敬できる相手、大切にしたいと思える相手なんて、いつ出会えるか、どうやったら会えるのか分からない。

 ならばこそ、出会った縁は大切にすべきだ。


 神様が決めた運命の相手なんてものがいるなんて思わないけれど。



 『お兄ちゃんにカノジョが出来るように協力する。わたしもいいかげんお兄ちゃん離れしないとだから』

 『お兄ちゃん、ゼッタイにカノジョつくって。そうしなきゃわたし、お兄ちゃんのこと不幸にする』



 結衣里の、思い詰めたような、張り詰めたあの声を思い出す。


 (結衣里が俺を不幸にするなんて、これっぽっちも信じたわけじゃないけど)


 少なくとも結衣里が、司が彼女を作るべきだと思っているのは間違いない。


 そして、目の前の少女が司にとって、もっと関わりたいと思える相手であることも確か。

 ならばこれも、運命などとは言わずとも、ひとつのキッカケではあるのだろうと、司はガラにも無くそんなことを考え至っていた。


 「え、えと、それでその。水野先輩は一人でここに?」

 「先輩って、同じ学校でもないのに。『くん』とか『さん』付けでいいよ。なんなら呼び捨てでも」

 「い、いやいやそれはっ! 先輩は先輩だし、年上だし……」

 「ははは、まあいいけどね。ちなみに、本当は今日は一人じゃなくて妹に連れられて来てたんだけども、友達を見つけた途端女の子同士で回るって言い出してさ。早々にお役御免になったから、どうしようかと思ってたところで」

 「そ、そうですか……」


 まさか妹と練習デートをしていたなどとは言えず。

 若干経緯を誤魔化した感はあるが、これくらいならば言葉のアヤというものだろう。

 協力してくれると言っていたんだから、遠慮なく悪役になってもらおう。うん。


 お互いフリーだと分かったからか、乾さんも心なしかそわそわし始めた。


 (────よし)


 ひとつ、心の中で頷いて、司は決意を固める。


 練習とはいえ結衣里とのデートを途中ですっぽかすことに、一抹の心苦しさはあるが……

 それでもこれは、結衣里が望んだことでもあるのだ。


 「……こほん。そんなわけで、これも何かの縁というか…………ええっと、乾さん。どうせなら、この後一緒に回らない?」

 「あ…………えと」


 司の提案に驚いたように、あるいは戸惑うように目を泳がせる乾さん。


 「ああいや、変な意味じゃなくって……ってこれじゃ、下手な言い訳みたいだよな。ううん……単純に仲良くなりたいというか、なんだろう……────そう、友達になりたいんだ」


 司の中で、ようやくストンと腑に落ちた。


 彼女を作る、などと、ひと足飛びで考えるから違和感があったのだ。

 一緒にいたい人、側にいて楽しい相手、近くにいても苦にならない存在というのは、なにも恋人だけに限った話じゃない。

 それはむしろ、“友達”と名付けられるべき関係かもしれなくて。


 「友達……」


 乾さんの顔が一瞬、くすぐったそうに口元をゆがめた気がした。


 「……はいっ、ボクでよければ。ボクも友達と、水野先輩とご一緒したいです」


 やがて彼女は、そう言いながらにこやかに破顔した。


 彼女の嬉しそうな様子を見て、司はようやく気が抜けた。


 「はあぁ…………よかった。自分でも恥ずかしいこと言ってると思ってたから、断られたらどうしようかと……」

 「そ、そんなこと…………あるかも? というかこれってボク、ナンパされちゃったみたいなものですよね」

 「改めて言わないでくれ……その通りなんだけどさ。一応言っておくと、ナンパなんてしたの初めてなんだからな?」

 「え〜? 自然な誘い方だったし、あんまり説得力ないですけど。あ、でも慣れてない感じはあったかも……途中で焦ってたりとか」

 「もう勘弁してくれ……」


 なんだか、最初の気弱でオドオドした印象とは違って、意外とイタズラっぽさも見せてくる乾さん。

 慣れた相手には、案外ノリの良いタイプなのかもしれない。


 「…………友達、なら……てもいいよね…………」


 乾さんが小さく何事かを呟いて、スカートの裾を握りしめていた。


 やはり緊張はしているのだろう。

 かく言う司も、その姿を見てなんだか急に緊張してきた。


 「……そ、それで、どこに行きます……か?」

 「ああ、えっと…………さっきの子たちと遭遇しても面倒そうだ。場所を変えるのも一つの手だと思うけど……今から別の場所に移動するのもなぁ」


 もうお昼も過ぎて、2時近くになろうとしている。

 女の子を相手に遅くまで連れ回すのは憚られるので、あまり移動に時間を掛けたくはないものだ。


 「……あ、だったら映画とかどうですか? ここにも映画館はありますし……今やってる作品はアタリが多いらしいって聞いてて」

 「へえ、映画か。いいんじゃないかな」


 司はそれほど映画をよく観るわけではないが、結衣里に付き合ってアニメ映画を観に行くことはある。


 「ちなみに観たい作品はあるの?」

 「今だとズバリ、名探偵モノのアレですね! 毎年観てますけど、今年はまだ観れてなくて。今年はついに宿敵のアイツの重大なネタバレがあるって話で……」

 「お、おお。そうか……」


 急に目を輝かせ、饒舌になる乾さん。

 好きなもののことになると人が変わるその性格には、結衣里と非常に近しいものを感じて思わずほっこりしてしまった。


 「あ……すみません、あんまり興味なかったですか?」

 「いいや。俺もなんだかんだ毎年観てるからな。ちょうどいい機会だ、行こうか」

 「はいっ!」


 ワクワクが止まらないといった様子の彼女を見て、司も楽しみになってきた。


 (一応、結衣里に連絡は入れておくか)


 羽畑さんとの遭遇でうやむやになっていたが、元々司たちはデート(の練習)のつもりで来ていたのだ。

 それがいきなり、練習ではなく本番の実践デートになったのだから。


 幸い、結衣里も1時間以上羽畑さんと一緒で戻ってきていないのを見るに、ちゃんと二人で楽しんでいるのだろう。

 相談事もあるようだし、あの二人が仲良くなってくれているのは司としても喜ばしいことだった。

 なら今日のところは結衣里のことは羽畑さんに任せて、自分のことに集中してもいいだろう。


 そう思い、司はRAINでメッセージを送る。


 【ごめん、今日はもうお開きにして、別行動してもいいかな? 実は、“練習”どころじゃなくなったというか────】

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