Ex.6. 悪魔か、天使か


 「あ、これ可愛いよ、結衣里ちゃん!」


 そう言って興奮ぎみに服を手に取った羽畑さんに、結衣里は視線を吸い寄せられた。


 「……あ、本当ですね。可愛い…………でもこれ、羽畑さんにはちょっと可愛すぎませんか? いえ、似合うとは思うんですけど、イメージと違ったというか」

 「アハ、そうかな? そうかも。私こういう、女の子~ってしてるのは着てこなかったし。早く大人っぽくなりたいって、背伸びしてばかりだったからかな」

 「あ……」


 今日の羽畑さんのコーディネートは、肩出しのブラウスにゆったりとしたパンツを合わせた、大人っぽいスタイル。

 とても彼女の雰囲気に似合いサマになっている。

 きっとこういう服装も普段から着慣れているのだろう。


 彼女が、大人っぽくなりたいと思うようになった理由。

 それが、年上である想い人の従兄いとこ、修一さんと釣り合うようになりたいからだということは簡単に察せられた。


 大好きな人に目を向けられたい、意識してほしいという気持ちは、結衣里にもよく分かるものだった。


 「これは、結衣里ちゃんに似合うと思って言ったんだけど……」

 「え?」

 「だって、結衣里ちゃんは背が低めなぶんこういう可愛いのも完全に着こなせるし。それに、司くんにならこういう年下感のあるコーデの方が効きそうじゃない? ほら、妹大好きお兄ちゃんだし。もちろん、逆にすっごく大人っぽい感じにしてギャップをそそるのも良いかもだけど」

 「あ、あの、わたしっ、べつにお兄ちゃんに見せたいわけじゃ……」


 予想外の攻め手に、どもる結衣里。


 もちろん本心では彼に見てほしいし、可愛いと思ってほしい。

 女の子として意識してほしいとも思っている。


 だが司は血の繋がった兄であり、この想いが受け入れられるものではないことも理解している。

 だからこそ、これは結衣里の胸の内に秘めておくべき想いであり、そう簡単に認めるわけにはいかなかった。


 「でも、好きなんでしょ? お兄ちゃんのこと。たぶん…………私が修一兄さんを想ってるのよりも、ずっと」

 「っ……!? え……?」


 だが羽畑さんは無情にも、結衣里の胸の内をあっけなく言い当てた。

 しかもその口調がどこか達観したものだったので、結衣里は思わず彼女をまじまじと見つめてしまう。


 「わかるよ、結衣里ちゃんを見てたら。どれだけ司くんのことが好きで、一途にお兄ちゃんのことだけを考えてるかなんて。見ててこっちが恥ずかしくなってくるくらい」


 くすくすと笑いながら羽畑さんが言い、結衣里は顔を真っ赤にして俯いた。


 この前の神社での一件のときにも見抜かれてはいたが、思った以上にバレバレだったらしい。


 「その……引きません、か?」

 「なんで? 私だって、その……修一兄さんのこと、従兄なのに、好きだし……似た者同士かなって」


 彼女もまた、血の繋がりのある身内に恋をしてしまっている者同士。

 いや、彼女の場合は禁忌というほどではないから、諦めがつかない分だけ余計に悩みも深いのだろう。


 「~~~~~っ……わ、わたしはその、お兄ちゃんのことは…………す、好き、ですけど…………恋人にはなれません、から」

 「だからって、簡単に諦められたりしないでしょ? …………理不尽だよね、恋って」


 はぁ、とため息をつく羽畑さん。

 彼女もまた今までずっと悩んできた人だけに、その呟きには下手な同情などない切実さと共感が込められていて、結衣里の心にもすっと入り込んでくる心地良さがあった。


 「羽畑、さん……」


 今までずっと一人で心に秘めていた想いを、結衣里は今初めて誰かと共有した。

 それは、ずっと背負ってきた重荷をようやく下ろしたようで…………羽畑さんの相談に乗りたくて一緒に買い物をすると言い出したつもりだったのに、気が付けば結衣里の方が元気づけてもらっている。


 「ね、結衣里ちゃん? 私のことは四乃葉よつのはでいいよ。もう司くんを抜きにしても、掛け替えのない大事な友達だし。このあいだは慰めてもらっちゃったしね」

 「う……うん。四乃葉……さん」


 彼女自身も妹がいるからか、結衣里への態度も頼り甲斐と親しみを感じさせるもので、お姉ちゃんがいたらこんな感じなのかなと、結衣里はついそんなことを思った。


 「四乃葉……さんは、お兄ちゃんのこと……どう思いますか?」

 「ううん…………ヒドいお兄ちゃんだよね」


 彼女の答えは意外にも手厳しいものだった。


 「や、お兄さんとしてはすっごく良いお兄ちゃんだと思うよ? でも結衣里ちゃんにとっては、残酷で朴念仁ぼくねんじんすぎるかなって」

 「それは……」


 なんとも辛辣な言い様だが、結衣里は否定できなかった。


 いっそ、結衣里のことなど目を向けず、さっさと他に恋人を作ってくれたらと思うこともある。

 そうすれば結衣里だってスッパリと諦めて、羽畑さん────四乃葉や桐枝に慰めてもらいつつ、文句のひとつも言いながらも、前に進むことだってできるかもしれないのに。


 だが司は妹のそんな思いも知らずに、無邪気に結衣里を可愛がってくる。

 今日だって練習とはいえデートに一緒に来てくれて、しかも完璧にエスコートしてくれちゃっていやがるのだ。

 今日だけで、何回ときめかされたか分からない。

 あの日、お兄ちゃん離れしようと決意したというのに、日を追うごとに彼のことが好きで好きでたまらなくなっていく。


 「わたしは、お兄ちゃんのことが好きで…………でもこの気持ちは間違ったもので、悪いことなんです。もし万が一、お兄ちゃんがわたしのことを好きになってしまったら、お兄ちゃんは不幸になっちゃうから……」

 「え……なんで?」

 「だって、兄妹ですよ? 再婚した親の連れ子とかじゃない、正真正銘の実の兄妹ですよ? 結婚なんてできないし、そもそも好きになるはずがないんです。わたしは“悪魔”だから、人を誘惑して不幸にさせる本能があるのかもしれない。この気持ちだって、お兄ちゃんを虜にしてイケナイことをさせて、犯罪者にして不幸に陥れるための本能かもしれないんです! ……お兄ちゃんはあの事故の日、わたしのことを助けてくれたのに……そんなお兄ちゃんを不幸にしちゃうくらいなら、わたし……っ……!」

 「結衣里ちゃん……」


 現状、結衣里は本気で司に恋をしてしまっている。

 兄妹愛なんて域はとっくに超え、恋人同士でするようなことも全部したいと思ってしまっている。


 もし今、司まで結衣里のことを好きになってしまったら?

 もし司に真剣に求められたら、きっと結衣里は彼に全てを許してしまう。

 そうなったら最後、二人が辿る末路はどんなものになるだろうか。

 もしもそんなことになるのなら、わたしは、わたしを……────



 「────結衣里ちゃん」



 ふわっ、と、結衣里の体が抱きしめられる。


 気が付くと、四乃葉が優しく結衣里を抱きしめていた。

 知らず握りしめていた手の力を抜くと、食い込んでいた爪のあとが赤く疼く。


 「結衣里ちゃんは良い子だね。結衣里ちゃんにこんなに想われて、司くんはとんでもない幸せ者だよ」

 「そんなこと、ないです…………わたしは悪い子で、いけない子で、悪魔で────」

 「司くんは、結衣里ちゃんのことを天使だって言ってた。いつもの兄バカから来る過剰表現だと思ってたんだけど、違った。本当にその通りだったんだね。こんなに良い妹なんて、他にいないよ。司くんは幸せだね、すっごく」

 「四乃葉、さん……っ」


 自然と、涙があふれた。


 結衣里が司のことを想っているのは本当だ。

 誰よりも司の幸せを願い、彼のためなら自分はどうなってもいいとさえ思っている。

 でも心のどこかで、彼に愛されて満たされたいという気持ちもくすぶっていた。

 たとえそれが彼を不幸にしてしまうのだとしても、彼が結衣里の想いに応えて愛し合ってくれることを望んでいる自分がいる。


 「それでいいんだよ。だって、自分の気持ちにウソはつけないから。そんなの、それこそ不幸になるだけじゃん。結衣里ちゃんは、司くんが自分自身を不幸にしてでも結衣里ちゃんを幸せにしようとしてたらどう思う?」

 「そんなの……イヤですっ! お兄ちゃんには幸せになってほしい! わたしのことなんていいから、お兄ちゃんには笑っていてほしいっ……!」

 「だよね。でもそれはね、司くんも同じだと思う。結衣里ちゃんが自分を不幸にしてまで司くんのことを幸せにしようとしてたら、司くんは怒るよ。だって、似た者兄妹だもん」


 司がよく言うことだが、そして結衣里もよく思うことだけれども、結衣里と司は似た者同士だ。

 性格や行動パターンは違うけれども、お互いのことを自分のこと以上に大切に想い、何よりも守るべきものだと自然に思い合っている。


 「だから結衣里ちゃん。自分のことをないがしろにしないで。そんな風に泣いてる姿が、一番司くんが悲しむから」

 「うぅぅ……っ……うあぁぁんっ……!」


 四乃葉の言葉は、結衣里の心にやさしく突き刺さった。


 結衣里は抱きしめられたまま、この優しい“姉”に抱きすがったまましばらくの間泣き続けた。

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