29. 妹は悪魔かと思ったら、やっぱり天使だった
「────あれから、羽畑さんは大丈夫そうなの?」
あの雨の日から数日後。
いつも通り学校から帰宅した司は、リビングのソファに腰掛けながらエプロン姿の結衣里と会話していた。
「うん。あれ以来雨降らせそうになったり、御神体がおかしなことになったりはしてないって」
週末を挟んで数日経ったわけだが、あの日感情を
水の神様を祀る神社の娘さんが、負の感情を溜め込み雨を降らせるなんていうのは非科学的にも程がある話なのだが、何せ司も悪魔の姿になった妹を持つ身。他人事と思えるはずがない。
それゆえ羽畑さんが特に異状なく過ごせているということには、純粋にホッとしていた。
まさか彼女までが、悪魔やら天使やらの人の身から外れた姿になってしまったりしたらと、密かに心配していたのだ。
「もお。そういうことじゃないでしょ」
だが、結衣里は不満そうに司に非難めいた目を向けた。
ひと通り夕食の支度を終え、まったくお兄ちゃんは、とため息をつきながら隣に座ってくる結衣里に、司は首をかしげる。
「大丈夫かって言ったら、修一お兄さんのことに決まってるでしょー」
「ああ……」
そっちね、と司は合点がいった。
司としては彼女の身に起こった超常現象の方にばかり気を取られていて、肝心の彼女の悩みの方には無頓着だったからだ。
「まあ、その様子だと特に変わった様子は無かったっぽいね」
「まあなぁ。そもそもちょっと離れた所に住んでるらしいし、会う機会が無いのかも。こないだ会ったときも、久しぶりだって言ってたし。……あれ、でも彼女さんってヴェル女の生徒じゃ……って、そうか、電車で通ってきてるのか」
結衣里が徒歩通学なので感覚が麻痺しているが、聖ヴェルーナ女学院は有名な女子校なので、遠くから通っていてもおかしくはない。
中には1時間以上かけて通う生徒も、それなりの人数いるという。
バイト先での先輩後輩だというのだから、働いているのが地元である可能性は十分にあった。
「まってそれ聞いてない。え、カノジョさんって、わたしの学校の先輩なの?」
「ああ、言ってなかったっけ。神社で会った時、ヴェル女の制服着てたし、修一さんも言ってたから間違いないと思う」
「まさか、同じ学校だったなんて…………どんな人!? 調べてこなきゃ!」
「待て待て、早とちりで要らない事するな。少なくとも、羽畑さんから頼まれでもしない限りは。ただでさえ結衣里は余計なお節介が多いんだから」
「それ、お兄ちゃんにだけは言われたくない気がする……」
そもそも司がここまで羽畑さんと関わるようになったのも、半分くらいは結衣里のせいだ。
結衣里に彼女を作れと言われて、まずは一番身近な羽畑さんにターゲットを向けさせられた。
その後も強引に二人きりにさせようとしたりと、結衣里の世話焼きはどうにも空回りしがちらしい。
「そもそも、俺も羽畑さんも、しばらくは恋愛はお腹いっぱいだよ。ここ1、2週間でいろんなことがあり過ぎたし、恋愛の面倒くさいところをこれでもかって見せつけられた。羽畑さんも逆にスッキリしたのか、自然な笑顔が増えた気がするしね。今のところ羽畑さんにアプローチかけるつもりはないし、応援するって伝えてきたよ」
「え!? もう、お兄ちゃんってば! こういう時こそ、攻めるチャンスなんだから。失恋を慰められて、『思ってたよりも良い人かも』って気になりだすのは、恋愛の定番で……」
結衣里がドヤ顔で恋愛知識を語り始める。
こういった饒舌に喋り始めた時の結衣里は、100%オタク成分でできている。
「はいはい、定番なのは本物の恋愛じゃなくて、漫画や小説での恋愛だろ。そういうのは、いいや。ゆっくり、少しずつでいいよ、俺は」
「……」
「……結衣里?」
「…………ずるい…………」
「?」
しかし、いつもの結衣里のマシンガントークは途中で中断されたまま一向に再開されない。
「ずるいよ、ずるい…………あんな風に慰められて、甘えられて……全然気にしないなんて、ズルい」
「……ゆ、結衣里?」
ゆらりと頭を持ち上げるが、頭は俯いたまま。
結衣里の表情は見えない。
「お兄ちゃん、ゼッタイにカノジョつくって。そうしなきゃわたし、お兄ちゃんのこと不幸にする」
「え、なにそれ怖い!?」
仮にもホンモノの悪魔の姿になった妹の発言。
神社の神様の祟りのようなものを見たこともあって、悪魔の呪いなんてもし受けたらどうなるのかと、司は気が気ではなかった。
「……お兄ちゃん、ちょっと目つぶって」
「……な、何をする気かな?」
「いいから」
「ハイ……」
有無を言わせぬ迫力に、大人しく目を閉じる司。
兄の威厳なんてものは元々無いが、水野家で一番権力の低い身分であることを改めて思い知った。
ちなみに同率最下位は父である。
「……目、開けないでね」
「いつまで?」
「わたしがいいって言うまで」
「仰せのままに」
どのみち司に拒否権など無い。
もはや諦めの境地の気分で目を閉じていると、頬に柔らかい感触が触れた。
「……え……」
「んっ……」
ためらいがちに胸に体重が乗せられ、結衣里の鼓動が伝わってくる。
早鐘のように鳴る心音、濡れたような頬の感触、添えられた手は結衣里の体温をじんわりと伝えてくる。
ちゅっ、ちゅっ、と何度か小さな音を立てて、ようやく結衣里の体が離れた。
「ん…………いいよ」
結衣里に声を掛けられて、魔法が解けたように目を開く。
「ゆっ……結衣里……?」
目を開けると、頬を真っ赤に染めて俯く妹がいた。
結衣里はもじもじと身体を
「…………なん、で…………」
「わたしは……悪魔、だもん。こうやって、お兄ちゃんを誘惑するんだよ」
俯いたまま、結衣里はどこか甘えたような、しかし挑発するような口調で言った。
「なんで、いきなり……」
「お兄ちゃんのほっぺ、おいしそうだったから。ドキドキした? 女の子にキスされて」
「っ……!?!?」
司の心臓はドキドキを通り越してバクバクと脈打っている。
実の妹に、頬とはいえキスをされたのだ。
外国ならばいざ知らず、この国ではいくら親しいからといって、家族とキスをする風習なんてない。
「早く本当のカノジョをつくらなきゃ、実の妹のことを好きにさせられちゃうし、ファーストキスも奪われちゃうかも。急いでよね? わたしは、悪魔なんだからっ」
だが、その手足はぷるぷると震え、真っ赤な顔と緩んだ口元がその雰囲気をぶち壊す一歩手前だった。
「────────ぷしゅう………………………………」
やがて、限界が来て空気が抜けたようにソファに突っ伏す。
「…………恥ずかしいなら、無理してしなけりゃいいのに」
「う……うるさいっ、うるさいうるさいぃ……!」
一瞬だけ存在した蠱惑的で大人びた年下悪魔の姿はどこにもなく、いつも通り拗ねて司に撫でられる可愛い妹がいるのみ。
「可愛かったなぁ。うん、やっぱり結衣里は天使だ」
「……ばか。お兄ちゃんの大ばかっ! 大好きだけど大っ嫌いっ!!!」
「ぐふっ」
丸まった体勢のまま、頭突きを食らわせてきた結衣里に吹っ飛ばされる。
不器用で甘えん坊で、時々素直じゃないながらも、空回りしながら全力で想ってくれる妹を見て。
司は結衣里の背中に、真っ白な天使の羽が広げられているのを幻視したような気がした。
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