28. 雨上がり


 「…………ぐす……っ…………ありがと、もう大丈夫、だよ」


 清楚で、どこかあでやかな巫女服に身を包んだ少女が、泣きはらして赤くした目をこすりながら泣き止んだ頃。

 先ほどまでの大雨が嘘のように降り止んでいた。


 雲の切れ間から光が射し込み、社の屋根に垂れた雫に反射して煌めいていた。


 「雨、止んだね」

 「うん。それに……」


 先ほどから感じていた、御神体の岩から立ち込めていた身震いするような気配はもう無い。


 「何だったんだろう、アレ」


 司は率直な思いを口にする。


 隣にいる結衣里の羽やしっぽ……悪魔の姿と同じくらい信じられない、でも受け入れざるを得ない非現実的な現実感があった。


 「……やっぱりさっきのって、私が雨を降らせてたの……?」

 「もしかして、何か実感あった?」

 「実感っていうか…………今にも泣きそうで、でも泣いちゃいけなくて、まるで溺れそうなくらい息が苦しくて……そんな気持ちが身体の内側から湧き上がってくるような、それとも御神体から来てたような……? そんな感じがしてて」


 司たちは揃って御神体の岩に目を向ける。


 すでにさっきまでの気配はなく、不気味に揺らめいていた飾りも、まるで何事も無かったかのように静かに佇んでいた。


 「ご神体からって、どんな感じなんですか?」

 「こう、焚き火に当たってる時みたいな、じわじわとその方向から伝わってくる感じ。気のせいだとは思ったんだけど……」


 羽畑さんがそう思うのも無理はない。

 ただの岩が人間に影響を及ぼすなど、常識的に、科学的に考えてあり得ない話。

 だが司たちの隣には、科学的にあり得ない存在の筆頭がいた。


 「結衣里の影響……というよりは、御神体の、この神社の神様の影響と考えた方が良さそうだよな」

 「お兄ちゃん? いくらお兄ちゃんだからって、いわれのない冤罪えんざいは許せないんですけど!」

 「可能性としてはあり得る話だろ。俺も結衣里が何かしたとは思ってないよ。悪魔がいるんだから、神様だっていてもおかしくない。いやむしろいない方がおかしいのかも?」


 悪魔がいるのだから、神様や天使もいるのだろうと思っていた。

 いや、結衣里が悪魔だと確定したわけではないので確証は無いが、それでも科学的な常識を超えた存在は他にもいるに違いないと思っていたのだ。


 神社の娘であり巫女でもある羽畑さんが、神様や神様をその身に宿す降霊術者のような存在だとしても不思議じゃない。


 「だから、降霊術師じゃなくて巫術師シャーマンね。降霊術ネクロマンシーって言ったら、亡くなった人の霊を呼び出したり死者を操る魔術だから」

 「細かいことはいいんだよ。てか怖えよ」


 今となってはそういったオカルトチックなものも軽々しく笑い飛ばせないわけで、全く他人事とは思えない。

 司はホラー映画なんかは苦手で見ないようにしているのに、現実にあるかもしれないと思うと急に薄ら寒くなってきた。


 「まあ原因はともかく、神社ってのは俺たちが思ってた以上にもの凄い重要な役割のある仕事なんだなって」

 「そうだね……投げ出すつもりはそんなに無かったけど、改めて実感したかも。その……自分の感情で雨が降るとか、困るけど」

 「それは、いつもそうなの?」

 「ううん……どうなのかなぁ。今までも泣いたことはあったけど、だからって雨が降ったりしないし……雨だからって私がいつも泣いてるわけでもないし」

 「そりゃ、羽畑さん一人の気分次第で晴れたり降ったりしてたら、世の中干上がるよ」


 何らかの条件があって、その結果感情が天気に反映される……などと、らちもない仮説を考えてみたり。

 だが確かめようがないことなので、いずれも妄想の域を出ない。


 「ま、結局は気のせいだったって可能性もあるしね。深く考えても仕方ない!」

 「そうだよね……一応、それとなくお父さんたちに聞いてみる。これでも、宮司の娘だもんね」


 胸に手を置いて、もう一方の手で巫女服の袖を直す羽畑さん。

 その姿は清らかでとても美しく見えた。


 「あ、そうだ。そういえばさっき、二人で一緒に寝たって言ってたけど。……やっぱり二人ってそういう仲なの?」

 「なっ!?」


 一転、イタズラっぽい顔でずいと詰め寄ってくる羽畑さんに、司は思わず後ずさった。


 「結衣里が悪魔の姿になった時に、不安がってたから同じ部屋で寝ただけだよ! 布団は別だったし!」

 「ふうん。そうなの、結衣里ちゃん?」


 今度は結衣里に矛先が向き、結衣里は顔を真っ赤にして俯いた。


 「お兄ちゃんは床にお布団敷いて、わたしはベッドで寝ろって……! 勝手にお兄ちゃんの布団に潜り込んだりなんて……っ……!!」


 結衣里、それは自白してるのと同じだぞ、と司は心の中でため息をついた。


 「そっかそっか。…………ホントに好きなんだね、結衣里ちゃん」

 「…………ううぅ…………」

 「?」


 羽畑さんが結衣里の耳元で囁いたが、司には聞き取れなかった。


 「もしかして…………キスとか、した?」


 結衣里が、ボンっと音を立てて沸騰した。


 「してないっ、してませんってばあっ!!!」


 ポカポカと羽畑さんを殴る結衣里。

 散々に揶揄からかわれているようだが、仲良くなったようで何よりだ。


 「…………ホントにしてないもん…………してもらってないもん…………」


 結衣里がなぜか恨みがましそうに司を見てくる。


 「ん? どした?」

 「…………しらないっ!!」


 司が首をかしげると、結衣里はぷいと勢いよくそっぽを向いた。


 なぜかその日は家に帰るまで結衣里は口をきいてくれなかった。

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