27. ズルいよ


 カッ────


 「きゃっ……!」


 瞬くような閃光に遅れて、雷鳴が轟く。


 ガラガラガラッ!


 「~~~っ、お兄ちゃんっ……!」

 「大丈夫だ、大丈夫……!」


 かなり近い雷の音に結衣里が怯え、司はそっと結衣里の肩に手を置いた。

 司としては雷よりも雨の方がトラウマを刺激されてキツいのだが、妹が怖がっている状況では自分のことなど二の次で、気にならなくなる。


 「凄い風雨に、雷。酷いなこれは。羽畑さんは大丈夫か?」

 「う、うん……」


 3人で身を寄せ合い、狭い本殿の軒下で雨を逃れる。


 御神体をまつるための社である本殿は、本来人が入るために作られていないのだ。

 中央に御神体の岩が鎮座し、その周りに僅かな隙間があるだけの、身も蓋もなく言えば倉庫のようなもの。

 そんな空間に3人もいれば窮屈な事この上ない。

 御神体というからには、言われずともおいそれと触れてはいけない雰囲気があるわけで、万が一にも触れてしまわないよう壁側に張り付く形になっているのも手狭に感じる原因だろう。


 そして何より、ただの岩であるはずのその“御神体”こそが問題だった。


 「お兄ちゃん……この岩。ご神体? なんか、こわい……」


 見た目は、苔の生えたただの大きな岩でしかない。

 そこに、注連飾しめかざりのような太い縄と飾り紙が掛けられいるだけの、パッと見ただけだと拍子抜けにも感じてしまう姿だった。


 だが、今その飾りが揺らぐようにはためいていた。

 おそらくは社の隙間から入り込む風に靡いているだけなのだろうが、神様が宿る御神体というだけに、まるで生きているように、怒りに震えているかのように思えて、司たちは皆身の竦むようなおそれを抱いていた。


 「……羽畑さん。御神体って、どういうものなの?」

 「御神体は、神様が宿る依代よりしろなんだって。この地に根付くための住処すみかでもあり、あるいは神様そのものが姿を変えた存在とも言われてる。うちの神社の場合は、おまつりしている大水主オオミズシ様と月花姫ツキハナヒメ様の御屋戸みやどだって伝わってて」

 「みやど、って……家ってこと?」

 「うん。このふたりは夫婦めおと神だから。結比むすび川の上流にある逢生あおい神社が総本宮で、うちが分社」


 結比川とは、この地域を流れる一級河川であり、司たちが事故に遭った川もこの川の支流。

 水の神様というのなら、その水が湧き出てくる水源である上流に総本山があるのはおかしなことじゃないだろう。


 「で、その神様のお家っていうのは、普通こんなふうにガタガタ動き出すものなの?」

 「そ、そんなワケないでしょ……って、やっぱり動いてるように見える?」

 「まあ、ざわついてるような気がするってくらいだけど……震えてるよね?」

 「震えてるよね……」


 どうやら司だけの気のせいではなかったらしい。


 「一体何が────」


 起こっているのか、と口にしようとしたところで、またしても雷光が瞬く。


 「きゃあああっ!」


 結衣里が恐怖のあまりしがみついてきて、押されたせいで羽畑さんとも肌が触れ合った。

 どうやら彼女も恐怖を覚えているらしく、震えているのが伝わってきた。


 いや、恐怖だけではないのかもしれない。


 「……ごめんね……私のせいで、こんな所に」

 「いや、羽畑さんのせいじゃ」

 「勝手に憧れて、勝手に悩んで、勝手にすがって……修一兄さんのことも、水野くんたちのことも。みんな、悪くないのに私が勝手にドロドロした気持ちを溜め込んで、羨ましいって、嫉妬して。挙げ句、こんなふうに迷惑かけるんだ。私のせいで、みんなっ────!」


 風雨が一段と強くなり、地響きのような雷鳴が轟いた。


 「────お兄ちゃん、これって」

 「ああ……」


 間違いない。


 “御神体”から感じる、肌が粟立あわだつような怖ろしい感覚。

 それは、


 少し前ならば、バカなことだと切って捨てていたであろう考え。

 だが、そんな非科学的なことも今では信じてしまわざるを得ない。

 なぜなら、非科学的でも受け入れずにはいられない大事な存在が、腕の中にいるのだから。


 「悪魔がいるんだったら、神様だっていてもおかしくないよな」

 「神様か、それとも大自然の神秘をその身に宿らせる巫術者シャーマンかな」

 「さすが、オタクの知識の面目躍如ってところで」

 「もぉ、こんな場面でからかわないでよぉっ。どうせわたしは中二病だよっ!」

 「そこまでは言ってない。結衣里ほどじゃないけど、俺だって五十歩百歩だよ」


 冗談に笑いあい、肩の力が抜けた。


 結衣里が励ましを求めるように一瞬ぎゅっと抱きついてきてから、手を離した。


 「────羽畑さん!」


 結衣里が、羽畑さんの両手を覆うように自分の両手で握った。


 「いいんです。わたしたちは、羽畑さんのせいだなんて思ってません!」

 「で、でも……こんな雨の中を走ってこさせて、危険な目に遭わせて……」


 危険というなら、確かにそうなのだろう。

 なにせ、この本殿は先日の大嵐で壊れたばかりなのだから。

 一度あったことが、もう一度無いとは言い切れない。


 だが。


 「それでも、たとえもし連絡が無かったって、きっとお兄ちゃんは羽畑さんのことを放っておいたりしてませんっ! こんな姿になったわたしのことを見放さないで、不安になってるわたしを安心させるために一緒に寝てくれるお人好しですよ? こんなにバカでデリカシーの無い人が、迷惑だなんて思うワケないですっ!」

 「おい、散々な言い様だな」


 どさくさに紛れて容赦のない悪口雑言が飛び出す。

 自分でもさっき言ったことだが、結衣里も普段は相当司に対して遠慮や我慢をしているのだろう。


 「……でも、結衣里ちゃんはお兄さんのことを真剣に大事に想ってて、わたしは自分のことしか考えてない悪い子で……」


 だが、結衣里の言葉にも羽畑さんの顔は晴れない。


 自己嫌悪にどんどん表情を曇らせていく彼女を、結衣里はそっと抱きしめて言った。


 「わたしだって、自分のことばっかりですよ? 自分がそうしたいから、一緒に来たんです」

 「でも私、自分の気持ちを抑えられなくて、いけないことばかり考えて……」

 「わたしもそうです。頭の中は他の人には言えない、いけないコトだらけですよ? ゼッタイに誰にも言えないことだって……それでも、お兄ちゃんは、お兄ちゃんだけは、わたしのことを見捨てないって信じてるから」


 ちらりと、一瞬司の方に複雑な想いを乗せた視線を向ける結衣里。

 その通りだと、何があったって見捨てたりはしないと、司は頷く。


 「だからわたしも、わたしたちも羽畑さんのことを受け入れます。どんな気持ちを抱えていたって、あなたはあなたのままで良いんです。わたしたちは、悪い子のままで良いんですよ」


 そう言って、結衣里はスカートの下から脚に巻き付けられたしっぽを解いてしならせ、羽と角を出現させた。


 「────だって、わたしは“悪魔”なんですから。いけないコトも、ドロドロした気持ちも、間違ってるなんて思いません。逆に愛おしいくらいです。だって、誰よりもわたしがそうなんだから。それに、羽畑さんになら、って…………」

 「……結衣里ちゃん……」

 「ね……お兄ちゃん。お兄ちゃんは、良いって思ってくれるよね。わたしたちのこと」


 羽畑さんを抱きしめながら、今度は信頼と安堵を乗せた目で結衣里は司を見た。

 そんな結衣里に司は再び頷き、二人の肩にそっと手を回す。


 「ああ。人間、良くない感情のひとつやふたつ、あって普通のものだしそれが悪いことだとは思わないよ。いけないことも、気持ちも、それはその人自身のものだ。結衣里も、それに羽畑さんも、俺にとっては大事な人だから。自分を責めてほしくない。幸せでいてほしいよ」


 妹も、クラスメイト……友達も。

 恋愛とか、そういうものを抜きにして、決して失くしたくはない大切なものだ。


 「だから羽畑さん。心の中のモヤモヤしたもの、ぜんぶ吐き出したらいいよ。ここにいるのは悪魔の兄妹。神様とか何とか、そんなのは関係ない。俺たちは、何も聞いてないから」

 「水野くん……っ……」


 おそらく羽畑さんは、神社の娘としての責任感や神様に仕える巫女としての真面目さから、心の内側まで清らかでいないといけないと思ってしまっていたのだろう。

 だが、人間は嫉妬や羨望や、悪意というものを抱かずにはいられない生き物なのだ。

 たとえ神様がそれを禁じるのだとしても、自分たちはそれを否定しない。したくない。


 どこかの神話で、始まりの人が悪魔にそそのかされて知恵の実を口にしたように。

 人は悪意を得たことで知恵を身に付け、初めて人間になったのだから。


 「…………っ────!!」


 羽畑さんは、詰まらせたように息を止め、一度大きく息を吸い込む。

 そして、


 「……修一兄さんの、バカぁっ!!! なんで、私のことなんて見向きもしないで、あんな人なんて連れてきてっ!! 継ぐ気ないとか、そのクセ私には彼氏作れとかっ、私の気持ちにも気付かないでっ……!」


 彼女は、盛大に感情を爆発させた。


 「水野くんは結衣里ちゃんのこと誰よりも大事にしてるのに……お互いのこと想い合って、見てて恥ずかしくなるくらい愛し合ってるのに。誰にも割って入れないくらい……ずるい……っ……!」


 羽畑さんが、司と結衣里の胸に頭を擦り付ける。


 「ずるい、ずるいよ…………お兄ちゃんに想われててずるい。結衣里ちゃんを受け入れててずるい。手を繋げて、頭撫でられて、こうして抱きしめ合って、通じ合ってて…………ズルいよぉ…………」


 泣きじゃくる彼女を、結衣里と二人で抱きしめる。


 大雨に負けないくらい土砂降りで泣き続ける少女を、兄妹はじっと腕の中で温めていた。

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