26. 神社の娘
「いた……!」
土砂降りの雨の中、神社の境内を奥まで走ってきた司と結衣里。
この神社の
「水野くん、結衣里ちゃん……!」
クラスメイトで、友達の羽畑さん。
この舞月神社の宮司の娘で、巫女でもある彼女は、何故か紅白の巫女装束姿で本殿の中に雨宿りしていた。
「だっ、大丈夫!? こんな大雨の中走ってきたりして……!」
「ふぅ……ま、どうせ濡れてたし。結衣里は平気?」
慌てた様子の羽畑さんに、司はあえて事も無げにニッと笑顔を作ってみせた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……も、無理ぃ…………!」
対する結衣里の方はというと、完全に体力を使い果たしてへばっていた。
普段出歩かないわけではないとはいえ、運動音痴ぎみな結衣里には全力疾走は辛かったようだ。
男子である上に背丈も違う司と並走させられたというのもあるだろう。
「悪かったって。よしよし」
「うぅぅ……子供じゃないからぁ……」
頭を撫でつつ結衣里を労う司を見て、羽畑さんがくすりと笑みを漏らした。
「やっぱり仲いいんだね。いいなぁ」
「……そうだね。仲は良いよ。でも、良過ぎるのが必ずしもプラスになるとは限らない」
へたり込んだままの結衣里の頭を撫でながら、司は優しい目を妹に向ける。
「……えっと……?」
「ふふっ…………いやなに、大したことじゃなくてね」
結衣里を撫でつつ頭の中で話すべきことを整理してから、ゆっくりと司は話し始める。
「俺たちは……俺と結衣里は仲が良い自覚はあるけど、これでもお互い、結構遠慮してるんだよ。俺も結衣里もダメな所は多いし、結衣里だって俺に文句のひとつだってあると思う」
結衣里と目が合った。
お互い思う所はあるのだろう、気恥ずかしくなって目を逸らしてしまう。
結衣里は生活面ではだらしないし、司は変に生真面目で口うるさい所も多い。
司の無自覚な甘やかし癖を結衣里に
一緒に暮らす以上必ず見えてしまうそういった一面を、嫌うことなく受け入れるのにはそれなりの我慢や配慮は必要なのだ。
世の兄弟姉妹がケンカをしがちなのも、そういった日々のストレスや不満などの理由がある。
「だからさ、羽畑さんに対する修一さんの遠慮の無さを見て、羨ましいなって思ったんだ。ああいう、何て言ったらいいのかな……自然な家族の関係? みたいな、気の置けない関係性がさ。ある意味、俺たちは普通の兄妹じゃないから」
司たちは、おそらくお互いに意識して良い関係を維持しようとしている。
兄妹は何があっても兄妹なのに、その関係が壊れてしまうことをどこかで恐れているような気がしていた。
「普通の兄妹じゃないって、それって……」
「ああ、別に血が繋がってないとか、そういうのじゃなくてね。────俺たちは、一度死にかけてるんだ。今みたいな、大雨の日に」
司は目を瞑って、あの日のことに思いを
雨の日が苦手になった原因でもある、あの崩落と洪水の事故。
知らず握りしめていた手に、結衣里が気遣うように手を重ねた。
「河川の崩落に巻き込まれてね……九死に一生だよ、ホント。無事だったのが奇跡みたいなものだし、いつまたあんなことが起こって、二度と会えなくなるかもしれないって思ったら……ね。お互い、大事にせずにはいられないっていうか」
はははと笑ってみせる司。
今でこそ笑って話せるが、あの事故の記憶は一生心に残り続けるであろうほどに、深く刻み込まれている。
「まあ、そんなだから普通の兄妹と比べたら明らかに仲が良すぎて、ブラコンだとか妹と付き合ってるのかとか、そういうのも言われまくっててさ。たぶん、結衣里の方も同じだろう。だから、羽畑さんの気持ちもある程度分かるというか……ある意味で似てて、ある意味で真逆だから」
従兄妹同士とはいえ、兄と慕う人に憧れ、その人との関係に悩んでいる羽畑さんは、所々で司は自分たちの姿と被ると感じていた。
彼女は自分の想いゆえに、その相手である修一さんに対して遠慮がちな接し方をしているように感じられた。
もっと積極的に忌憚なく話していれば、彼に恋人がいるということも事前に知っておけただろうし、もしかしたら先に想いを伝えることもできたかもしれない。
そういった後悔の念や悔恨から来る寂しさを、彼女の様子から司は感じ取っていた。
「にしても、いとこのお兄さんか……こう言っちゃなんだけど、大変な人を好きになったね?」
「…………うん…………」
「っ、そのっ! 今カノジョがいるからって、これからもチャンスが無いってわけじゃないと思います……!」
今まで静かだった結衣里が口を挟む。
「そのカノジョさんのことはわたしも知りませんけど……羽畑さんがその人に負けてるなんて思いませんしっ!」
「……ありがとう。でもね、私がショックだったのはそれだけじゃなくって……」
結衣里の言葉が響いたのか、ぽつり、ぽつりと羽畑さんが思いを口にし始める。
「あの人が、修一兄さんと仲良さげにしてるのを見て、私……こう、嫌な気持ちがうわーって湧いてきて」
「……だろうね、うん」
自分が想いを寄せる相手の恋人なんて、嫉妬心が湧かないはずがない。
「彼女ができる可能性なんて、分かってたはずなのに……楽しそうにしてる二人を見てると、辛くて……」
「そうだね。それはしょうがない」
「……でもね、ホントなら喜んであげないとなのに。家族だし、大切な人なんだから、その人が幸せそうにしてるならそれでいいって、ちゃんと喜ばなきゃダメだって分かってるのに……」
「いや……それは、どうなんだろう。好きな相手だからって、幸せそうなら何でも受け入れて喜んであげるってのは違うんじゃないかなぁ……第一、それでスッパリ諦めきれるくらいなら、最初から好きになってないだろうし」
理屈ではどうにもならないのが恋というものだ。
人には嫉妬心もあれば独占欲もあるわけで、それらを全く抱かずに相手を祝福できる聖人のような人間なんてそうそういるわけがない。
「だって、結衣里ちゃんはお兄ちゃんのためを思って応援してあげられる良い子なのに。それに比べて、私は……兄さんのことを応援なんてしてあげられそうになくてっ……」
「それは……」
「いや、兄妹のことと恋人を、同列に比べられるものじゃないって」
彼女を作ることと妹を大事にすることは両立し得るけれども、別に恋人がいるのに他の人の好意に応えるというのは訳が違う。
前者ならば立派な家族愛だが、後者はただの二股だ。
医療的に未熟で世継ぎの問題などのために一夫多妻が通った昔の時代ならともかく、今の世では単なる浮気である。
「そうじゃないの。私が好きになるってことは……私と一緒にいて、ゆくゆくは結婚ってことになったらそれは、婿入りしてこの神社を継ぐってことなの。宮司になって、お父さんの
「それ、は……」
嗚咽を漏らす羽畑さんの呟きに、司たちは絶句する。
宮司の跡継ぎ、神社の娘という立場の意味。
それは、想像以上に重い意味を持つものだったのだ。
「私は長女だし、
おそらく、修一さんは血縁の子の中でただ一人の男児として、昔から期待されていたのだろう。
子供の頃から跡継ぎとしての役目を押し付けられ、そこに反発心を抱いたとしても不自然ではない。
親の期待が裏目に出るというのは、往々にしてある話だ。
「修一兄さんが私に婿入りしてって話も、昔からあった。でも兄さんは、まっぴらごめんだって。だけど、私はそれが嬉しくて……いつかは、って……っ……」
「っ……」
許嫁、というほどではないにせよ、それに近しいものはあったのだろう。
親の決めた婚約者なんて、今の時代には無いものだと思っていたが……想像以上に身近な所に、未だに存在していたらしい。
「修一兄さんがダメなら、私には誰がいるんだろうって……どこまで行ったって、“神社の娘”って立場が付いてくる私に……!」
家を背負い、跡取りという立場を背負い、自分の恋愛すらままならない。
高校生の少女の身にはあまりに重すぎる話。
司も思わず拳を握りしめる。
隣で聞いていた結衣里も、やるせない様子で司の袖をギュッと掴んでいた。
「…………私ね、ホントは分かってたんだ。修一兄さんに、カノジョがいるって。……あの日、この本殿が壊れた日。兄さんがあの人と一緒に歩いてたの、見たの。雨が降り出して、一緒の傘に入ったのを見て、私……」
「羽畑さん……」
震える声で、絞るように彼女は想いを吐き出す。
彼女の悲痛な想いに唇を噛むしかなかった司に、ふと袖を引っ張る結衣里が何かに気付いて声を上げた。
「お兄ちゃん……見て、なにあれっ……!」
「え……?」
結衣里の指差す方を見ると、羽畑さんの後ろにあった、御神体の岩に被せられた飾りの
「っ! 羽畑さんっ、こっちっ!」
「えっ……? 水野く────」
その瞬間、辺りが閃光に包まれ、轟音が鳴り響いた。
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