18. 兄離れ、妹離れ


 「お兄ちゃんは…………カノジョ、作るべきだと思うの」


 深刻そうに放たれた結衣里の言葉に、司は戸惑いを隠せなかった。


 「そりゃ、彼女が出来たら嬉しいとは思うけども……なんでいきなり?」


 司としては、昼間に自分のクラスメイトである羽畑さんと話して、これからも結衣里とも仲良くしてくれそうだと感じたということを、何の気なしに結衣里に伝えていただけだった。

 だがその途中で結衣里の顔が神妙なものになり、気が付けばお兄ちゃんは彼女を作るべきだ、などと言われたのだ。


 妹から告げられた、唐突すぎる余計なお世話。

 普段そんなこと言わない子だけに、何があったのかと問い返す。


 「えっと、お兄ちゃんももう高2だし……カノジョの一人や二人、いてもおかしくない歳かなって」

 「いやいや。さっきの結衣里の言葉、そっくりそのまま返そうか? 彼女を二人はマズかろう。俺もふしだらな人間になるつもりはないよ」


 言葉尻を捕らえた揚げ足取りだが、つい先ほど真逆の立場でしたばかりのやり取りだ。

 無論機知ウィットを利かせたジョークのつもりだったが、なぜか結衣里は笑うどころかより表情を固くする。


 「ふ……ふしだらになって欲しくないから、カノジョをつくってほしいのっ! お兄ちゃんにはっ!」

 「ええ……ワケわからん」


 複数人と付き合うなどは論外としても、恋人と羽目を外していちゃこらするよりは、そもそも彼女がいない状態の方がよほど健全だと思うのだが。


 「…………お兄ちゃんは、“悪魔”に誘惑されても大丈夫なつもりなの!?」

 「あ、悪魔って……」


 いつになく真剣な目の結衣里。

 その雰囲気に、何か只事ただごとではない事情があるのだと察する。


 「……何があった? その“姿”のことで、何か言われたりしたのか?」


 いま司たちの間で“悪魔”と言ったら、結衣里自身のことしかありえない。

 一週間ほど前、結衣里の身体に突然角と羽としっぽが生えた。

 その姿がどう見ても小悪魔としか思えないものだったので、結衣里は自分が悪魔になってしまったと思っているのだろう。


 「今日、学校でね……悪魔は、良き人を誘惑して堕落させて、不幸にする生き物だって」

 「誰が言ったんだ、それ?」

 「先生。神父さんでもある人なんだけど……総合学習の時間に、ちょうど教会の教えというか、思想史の授業があって」


 結衣里の学校は教会系で、道徳教育の代わりとして宗教について学ぶ時間があるらしい。

 宗教といっても教会の教えを強要するようなものではなく、教会以外の宗教も含めて、思想や考え方を客観的に学ぶ授業だそうだが。


 だが、よりによってこのタイミングで悪魔の話とは、嫌な偶然もあったものだ。


 「それって、教会が勝手に言ってるだけの考え方だろ? ホンモノの悪魔に聞いたわけでもなし」

 「でも、ホントのことかもしれないでしょ!? 少なくとも、ホンモノの悪魔がここにいるんだもん。他にも悪魔になった人がいるのかもしれないし、なんならみんなは知らないだけで、悪魔っていう種族がいるのかも」

 「落ち着け。もしそうなら、結衣里だけじゃなく俺も悪魔ってことになるだろ。俺は今のところ羽やしっぽが出せるようになりそうな気配はないよ?」


 結衣里があの姿になったとき、実はそのことは真っ先に思いついていた。

 知らされていないだけで、司たちは悪魔の一族だったりするんじゃないか、と。


 アニメやラノベのような話だが、実際に結衣里がそうなっているのだ、あり得ないとまでは言い切れない。

 それも含めて母親に相談しようとしたのだが、結衣里が不安がったので言い出せずに今に至る。


 「とにかく、実際に悪魔わたしはいるんだもん。悪魔について、専門家が言うことをあり得ないって断言はできないでしょ?」

 「それはまあ、たしかに……」

 「わたし、お兄ちゃんを不幸にさせちゃうかもしれない。お兄ちゃんを誘惑して、いけないことをさせて……だから、その前にカノジョを」

 「まてまて、だからなんでそうなる!?」


 結衣里の不安は理解できるし、神父さんという専門家の言葉だけに危惧する気持ちも分かる。

 だがそれと、司が彼女を作ることに何の関係があるのか。


 司は、結衣里の論理の飛躍を指摘して、説明を促した。

 何か、心当たりがあるんじゃないかと。


 「………………お兄ちゃんが」


 しばらくのあいだ口ごもり、言うのを躊躇ためらっていた結衣里。


 司が紅茶を淹れ、ミルクをたっぷりに注いで同じソファに並んで一緒に半分ほど口にしたあたりで、結衣里は意を決したように話し始めた。


 「お兄ちゃんと一緒にいると、わたし、ヘンなの。甘えたくなったり、ちょっとイタズラしたくなっちゃったり」

 「……わりといつも通りな気がするけど」

 「それだけじゃなくて、添い寝したくなったり、す、スカートをめくって見せたり、とか」

 「あ、あ~……」


 改めて言われて、司は顔を赤くした。


 あれは太腿に巻き付けたしっぽを見せつけられただけで、大事なものまでは見えなかったのだが、際どい行為だったのは事実。

 添い寝についても、元々は不安で眠れない結衣里を安心させるために同じ部屋で寝ていただけだったが、いつの間にか結衣里が同じ布団に潜り込んできていた。

 確かにあれらは小悪魔っぽい行動と言えるかもしれない。


 「なんていうか……お兄ちゃんに、意識させたかったみたいで、わたし。兄妹なのに……」

 「意識って……」

 「だからその、女の子としてっていうか…………ああもう! だから、わたしのこと好きにさせようとしてたみたいなの! お兄ちゃんを!!」


 怒鳴るようにキレ気味に叫ぶ結衣里。


 「兄妹で恋人とかになったら、気持ち悪いって思われるでしょ! いけないことなのに……そんな風にお兄ちゃんを誘惑して、不幸にさせようとしてるの。無意識のうちに」

 「本当、なのか……?」

 「っ…………うん、そうみたい。……一緒にいるとドキドキしたり、胸がギュッてなったり。悪魔としての本能なのかも」


 思い詰めた顔で言う結衣里に対して、司は複雑な気持ちだった。


 悪魔として自分を誘惑しているかもしれないという妹の言葉に戸惑いつつ、女の子として意識させたかったと言われて、恥ずかしいやら嬉しいやら困るやら。

 妹とはいえ女の子には違いないわけで、半ば告白のような打ち明け話に目を白黒させるしかなかった。


 結衣里もそれに気付いたのか、わざとらしく咳払いをして誤魔化しながら話を続ける。


 「こほん……だから、お兄ちゃんが誘惑に負ける前に、カノジョを作ってしまえば安心だと思って」

 「誘惑に負けるの前提なのかよ」

 「負けない自信、あるの? わたし、可愛いよ? お兄ちゃんがいつも言ってる通り」

 「うっ」


 なまじ普段から「可愛い」と言われ慣れているだけに、結衣里は自分の可愛さに自覚も自信も持っているようで、にやりとイタズラっぽく微笑む姿は冗談を抜きに魅力的だった。

 妹は妹とはいえ、誘惑されて勝てるかと問われたら断言しきれない自分がいるのを、司は認めざるを得なかった。

 少なくとも、これが妹でなければ間違いなくその視線に射抜かれていたと思えるくらいには。


 「彼女を作る方が良いっていうのは分かったけど……結衣里は、いいの?」

 「…………大丈夫、お兄ちゃんの幸せのためだもん。お兄ちゃんにカノジョが出来るように協力する。わたしもいいかげんお兄ちゃん離れしないとだから」

 「……分かった。そこはお互い様だよな」


 兄妹揃って、一般的な兄弟姉妹と比べても仲が良すぎるというのは自他共に認めるところ。

 思春期の女の子は男子に比べて成長が早いとは言うが、司の為を思って恋人づくりを応援してくれるというのだから、案外結衣里の方が司よりも大人なのかもしれない。

 結衣里が兄離れすると言うのなら、司も妹離れをしていかないといけないのだろう。


 「…………それで。彼女を作るってなったら、何をすればいいんだ?」

 「え?」

 「え?」


 司の問いかけに、結衣里はぽかんとした顔をした。

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