11. 二人の朝


 「…………なんだこれ」


 朝、目が覚めると真隣に結衣里がいた。


 そういえば同じ部屋で寝たんだった、と徐々に覚醒し動き出す頭が理解し始める。

 が、しかしあくまで司は床に敷いた布団で寝て、結衣里はベッドの方で寝たはずだ。

 ひとつの布団に入った覚えはないのだが……


 (まあ、結衣里だしな……)


 結衣里の司に対する距離感は近い。

 あの事故以来、司たちは世の中にある他の兄妹と比べても仲が良いのは自覚していて、結衣里からは文字通り全幅の信頼を寄せられていることを司は感じ取っていた。


 だからこそ、何の気負いもなくこのような無防備な姿を晒せるのだろう。

 先に眠った司の隣に潜り込むくらいのことは平気でやらかす。

 可愛い妹のしでかすことなので、わざわざ大袈裟に目くじらを立てるつもりもない。

 結衣里は寝相が悪いので、ベッドから落ちてきた可能性も無くはないが。


 (……問題は、このままだと俺が動けないってことで)


 結衣里は司の隣でパジャマ姿のまま、屈託のない寝顔ですやすやと眠っているが、問題は彼女の背中から伸びたしっぽが何故か司の腕に巻き付けられているということ。

 昨日の結衣里の話では相当自由に自分の意思で動かせるらしいのだが、なぜそれがよりによって腕に巻き付けられているのか。


 結衣里はわりと寝相が悪く、朝起こしに行ったら掛け布団を蹴飛ばしていたのを見たことはあったが、さてはしっぽの寝相も同様なのだろうか。

 ただでさえ手足以上に自由自在に動くと思しきしっぽが、無意識のうちに大暴れするというのなら割とシャレにならない。


 「……おーい、結衣里ー? 起きられないんだけど」


 司はぐっすり眠っている妹に声を掛ける。

 巻きつく力が強いわけではないので、振り解こうとすれば簡単に外せそうではあるのだが、そうするとせっかくぐっすり寝ている結衣里を起こしてしまいそうなので憚られる。

 そもそもは結衣里が不安のせいで寝不足だったからこそ、こうして一緒に寝ていたのだ。

 変に驚かせて起こしてしまっては本末転倒というもの。


 「…………ん〜…………?」

 「お、結衣里起きた? これ、解いてくれると助かるんだけど」

 「…………むにゃ……うるさい…………」

 「寝ぼけてやがる」


 口を開いたかと思えば、文句が飛び出す。

 こういうとき本人に意識はなく、何を言ったかも覚えていないのは経験的に分かっている。

 起こしに来た司に「起きてるよぉ……」とか返事をしておいて、後から遅刻しそうになって「なんで起こしてくれなかったの!?」と言われたことも一度や二度ではない。


 「おーい。さすがに、そろそろ放してくれないと叩き起こすぞ」

 「…………んんん…………」

 「!? ちょっ」


 ごろんと寝返りを打った結衣里の顔がこちらを向き────桜色の唇が、司の鼻先に触れた。


 「っ、ゆいっ────」

 「……おにいちゃん…………」


 すぅ、すぅ……と変わらず穏やかな寝息を立てる結衣里。

 微塵みじんの不安も警戒心もなく、幸せそうに眠る寝顔は大変可愛らしいのだが、それを見つめる司の心臓は不釣り合いなほどに鼓動を速めていた。


 (事故、とはいえ……)


 唇が触れたとはいえ、寝ている相手、しかも妹だ。

 意識する必要などないはずなのだが……これでも健全ないち男子高校生には、刺激が強すぎた。


 司は拘束されていない方の左手で、自分の鼻頭をこする。

 今しがた触れた、やわらかい唇の感触がまだ残っていた。


 小さな頃からずっと側にあった、愛らしい妹の顔はすぐ目の前にある。

 整った顔立ち、閉じられた瞳を覆う繊細なまつ毛、血色も良くきめ細やかで手触りのよさそうな頬。

 そして、ぷるんと瑞々しく、花のように美しい唇。


 誰が見ても美少女と断言するであろう、最愛の妹の安らかな寝顔がそこにはあった。


 「…………結衣里」


 思わず、その唇に指を触れようとして……思い止まる。

 この子は妹なのだ。

 兄である司を信頼して、ここまで安心しきった顔をして眠っているのだから、その信頼を裏切るようなことはできない。したくない。


 代わりに、できる限り優しく結衣里の前髪を撫でる。

 丸顔で小さな頭は、比較的大きな司の手にすっぽりと収まってしまうのではないかと思うくらいに手になじんだ。

 触り心地の良いサラサラの髪を撫で、自分はこの子の兄なのだと自覚を取り戻す。


 どんなに結衣里が可愛くとも、どれほど仲が良くても兄と妹。

 家族としての愛情はあれど、それ以上のものはない。

 事実、恋愛めいた感情を覚えたことはなかった。

 仮に今のように異性として意識させられるようなことはあっても、それは生物としての無意識の反応。

 一時の気の迷いである。


 「…………んぅ…………ふにゃ……おにいちゃん…………?」

 「結衣里、起きたか。おはよう。遅いお目覚めだな?」


 頭を撫でられ続けてはさすがに気付かずにはいられなかったのか、結衣里が眠たげにまぶたを上げた。


 時間はいつの間にか朝の8時。

 早ければ5時過ぎには起きる司にとっては、遅すぎる時間だ。

 すっかり日も昇り、カーテンの隙間から朝日の差し込む部屋の明るさに結衣里はとろんとした目をしばたかせる。


 「なんでおにいちゃんがここに……」

 「それを言うなら、ここは俺の部屋だからな。一緒に寝たんでしょ。それに、結衣里はベッドで寝たんじゃなかったっけ?」

 「……あ……そうだった。…………ふぁ…………えへへ、起きたら隣におにいちゃんがいる~。しあわせかも」

 「っ……そうかい、ならよかった」


 にへぇ~、と満面の笑顔を浮かべる結衣里に、なぜか司の心臓が跳ねる。

 先ほどのことを、まだ引きずっているようだ。


 「……? どうしたの?」

 「なんでもないよ。それより、この腕どうにかしてほしいんだけど」


 そう言って司がしっぽの巻き付いた右腕を見せる。


 「わわっ、わたしそんなことしてたの? ごめん」

 「やっぱ寝ぼけてやってたのか……まあいいけど。それよりそろそろ起きよう。じきに母さんも帰ってくるし、こんなとこ見られたらなんて思われるか」


 ごそごそと布団から起き上がった司が結衣里にも布団を出るように促す。

 結衣里はそこで、寝乱れた髪やパジャマに気付いたのか、恥ずかしそうに腕で身体を隠した。


 「……みないで」

 「ごめんって。でも一緒に寝ておいてそれは無理があるんじゃ? 俺は気にしないし」

 「女の子は気にするの! もう、お兄ちゃんだからいいけど……お父さんとかだったらキックだからね?」

 「容赦ないな……」


 ぷう、と膨れる結衣里。


 可愛らしいが、すっかりただの妹モードだ。

 司の鼓動もとっくに平常に戻っている。


 「それで、寝不足は解消できた?」

 「……うん。安心できた。ありがと、お兄ちゃん」

 「そう。よかったよ」


 いつも通り頼ってくれる結衣里の穏やかな顔を見て、司はすっかり兄の顔を取り戻して、ぽんと結衣里の肩を叩いた。

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