10. お兄ちゃんと同じ部屋で
「はぁ、もうそろそろ行かなきゃねぇ〜…………あら?」
「あ、母さん。もう出勤?」
その日の夜、リビングにいた司に気付いた出勤前の母、夏子が声を掛けてきた。
「珍しいわね、司ちゃん~。息子の見送りなんていつ以来かしら」
「この時間は寝てしまってることも多いからね、俺の場合」
「そうよね~。どうしたの急に」
「……まあ、明日も休みだし、たまには夜更かしもいいかなと。友達とオンライン対戦でゲームしてた」
「ゲームも程々にね……と言いたいところだけど~、司ちゃんの場合はそんなにのめり込んだりしないから心配はしてないのよねぇ」
「まあ、うん。言いたいことは分かる」
思わずため息をつく母親に、司は苦笑する。
司の場合は、ということは、司とは別に心配な子がいるということで。
言うまでもなく結衣里のことであり、放っておくと延々とやり続けてしまうから困ったものだ。
おかげで夏子が夜勤で家にいない夜は、司が寝る前に結衣里にRAINでやり過ぎにならないように一声掛けるのが日課になっていたりする。
「はぁ、もうちょっと自分のことも気にかけてくれたらいいんだけど~。夜更かしは髪やお肌の天敵、若いうちの無理は後々後悔するわよって言っておかなきゃ。まったく~、そういうことに関しては手のかからないお兄ちゃんを見習ってほしいものだわ」
「そう言いつつ、手のかかる子ほど可愛いって思ってる
高校1年生の結衣里とほぼ変わらない身長に加えて、まだまだ年齢を感じさせない童顔ぎみの顔立ちをしている夏子。
結衣里と並んでいると、親子よりも姉妹に見られることも少なくない。
というか近くに比較対象がいなければ、大学生か下手をすると高校生と間違えられることすらある。
そんな容姿の持ち主に肌のことを言われたところで、そういうことにはルーズな結衣里には一体どれほど響くだろうか?
「もう、褒めるのも上手くなったわね~」
「ありがたくも、両親の教育のおかげでね。機嫌を取るクセが付いたとも言えるけど」
「褒め上手は美点よ。素直に喜んでおきなさい~? それじゃ、行ってくるわね」
そう言って、化粧を終えた夏子は仕事に向かうべく立ち上がった。
「いってらっしゃい」
「いってきます。司ちゃん、結衣里ちゃんのことはお願いね」
「分かってる。もう体調は大丈夫そうだし」
「そう。あの子のことを大事にしてあげられるのはあなただけなんだから、どうか良いお兄ちゃんでいてあげて」
「……わかった」
いつになく真剣な眼差しで言う母に、司はゆっくりと頷く。
そして夏子は結衣里の部屋の前で、結衣里にも声を掛けた。
「行ってくるわ~。結衣里ちゃん、お兄ちゃんに甘えすぎないようにね」
『わかってるもん。いってらっしゃいっ!』
少しだけ鬱陶しそうな雰囲気も感じる強さの声で、結衣里が答えるのが聞こえた。
それを聞いて肩をすくめた母と苦笑し合うと、司は彼女がそそくさと玄関から出ていくのを見送った。
「…………」
一人残されたリビング。
そこでようやく、結衣里の部屋の扉が開いた。
「……お母さん、行った?」
「ああ……」
おずおずと顔を覗かせる、パジャマ姿の結衣里。
いつもはツインテールの髪も今は下ろしていて、少しだけ大人びたような、いつもとは違った魅力をたたえている。
「……甘えすぎないように、って」
「言われたねえ。……どうする、やめる?」
「ん……その、や、やっぱりまだ心配というか……」
昨日の朝、突然悪魔の姿になってしまった結衣里。
いきなりの自分の身体の変化に戸惑い、不安を覚えたのも無理はない話。
その不安を少しでも和らげるために、できることは何でもすると言った司に結衣里が求めたのは……“同じ部屋で寝ること”だった。
「とりあえず、どうする? 結衣里の部屋……よりは、俺の部屋の方がいいか」
「いいけど……なんで?」
「結衣里の部屋、床に布団敷けるようなスペース無いでしょうが」
「お、同じベッドでなら、別に……」
「さすがにそれはアウトだろ」
常識的に考えて、年頃の兄妹が同じ部屋で寝るというのは普通じゃない。
兄妹とはいえ男と女。
万が一があっても困るし、そうでなくともただでさえ外聞はよろしくないのだ、親が不在だからこそギリギリ聞くことのできる際どいワガママ。
同じ部屋というだけでもそうなのだから、まして同じベッドでとなると色々危ない。
司とて自分が男である自覚はあるのだ。
いくら妹といえど、同じベッドにくっついた状態で寝て平静のまま眠れる自信があるかと問われれば、返事を
妹相手によからぬことをするつもりはさらさら無いが、もう少し危機感と警戒心を持ってほしいと、妹の無防備さが心配になる兄心である。
「しかしまぁ、一緒に寝るのなんていつぶりだろうな?」
結衣里の布団を自室に運び込みながら、司はしみじみと呟いた。
昼間、不安そうな目をした結衣里に「一緒に寝てほしい」と懇願された。
もちろん最初は司も躊躇ったものの、その態度は真剣で切実さを感じさせるものだったので詳しく話を聞いてみたのだ。
『こんな身体になっちゃって、昨日も全然眠れなくて……わたし、これまでもお父さんには“天使だ”なんて言われたりしてたし……。ほら、人が死んだら天使になるって言ったりするでしょ。見た目は悪魔だけど、羽が生えてるのは天使とも言えるかもしれないし。このまま目を閉じたら最後、二度と目を覚まさないんじゃないかって思ったら、怖くて寝れなかったの……結局、朝になる頃には限界がきて寝落ちてたんだけど』
『そういや、なんか顔つきが悪くなってる気がしてたけど、単に寝不足だったのか』
『え!? ウソ、そんな顔してる!?』
そう言ってぺちぺちと自分の顔を触り、慌てて鏡を見に行くや否や悲鳴を上げる結衣里は見ていて可愛らしかったが、「このまま結衣里がいなくなるかもしれない」という不安は司自身も同じように感じていただけに、馬鹿なことを、と言って捨てるような真似はできなかった。
ゆえにこうして、本来なら断るであろう、同じ部屋で寝るという結衣里の願いを許可したのだ。
結衣里の部屋から運び込んだ布団を床に敷き、寝る準備を整えた司と結衣里は、それぞれの布団の上に座る。
「……えへへ、お兄ちゃんの部屋で寝るの、ヘンな感じ」
「イヤなら自分の部屋に戻ってもいいんだぞ?」
「ダメ、やっぱりまだこわいもん。それに、お泊りみたいでちょっと楽しい」
口元まで布団をかぶり、はにかみながら楽しそうに笑う結衣里。かわいい。
「う~ん、こう見ると結衣里を床に寝かせることになるのか……」
「別にわたしはこれでいいよ?」
「俺が気にするの。女の子を床で寝かせて、自分だけベッドってのは落ち着かないんだよ」
「そういうもの? ……だ、だったら」
ぐっ、と意を決したように、司のベッドに乗っかってくる結衣里。
「これで、床じゃなくなったよね?」
「そうだな」
司は頷いて、今度は自分が床に降りる。
結衣里とはお互いの布団を交換した形だ。
「……そこは、やっぱり一緒に寝るんじゃないんだ」
「カンベンしてくれ。結衣里とはいえ女の子とくっついて寝るのはさすがに
若干不満げだが、うっすらと頬を染めているあたり結衣里にも恥ずかしい気持ちはあるのだろう。
というか、普段は結衣里が使っている布団に入るのもこれはこれで恥ずかしいものだ。
かすかに女の子特有のいい匂いもするし、家族とは言ってもやはり異性なのだということを実感する。
「まあいいけど。……ってか、お兄ちゃん眠そう」
「俺は普段ならもう寝てる時間だからな。ふぁ……」
「お兄ちゃんは早すぎるんだよ。わたしはまだまだ夜はこれから……あふ……もぉ、
そうは言いつつも、どこかトロンとした目をしている結衣里。
「今日は寝不足だったんだろ? おとなしく寝とけ。……これで少しは安心できる?」
「うん……ありがと、お兄ちゃん」
「これくらい。……ん、じゃあおやすみ……」
「おやすみなさい。お兄ちゃん」
結衣里のやさしい声を聞きながら、司の意識は急速に眠りに落ちていった。
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