9. 妹のお願い


 「はぁ、あの母親は……」


 帰宅して昼食を済ませた司はリビングのソファに倒れ込み、疲れを吐き出すかのように大きく息を吐いた。

 ちなみに疲れさせた元凶は、今晩の夜勤に備えて部屋でぐっすり睡眠中だ。


 ただ普段の買い物をして帰ってくるだけのつもりだったが、あの母と一緒でそれだけで済むはずもなく。

 服を買ってもらう代わりに、学校でのことを文字通り根掘り葉掘り聞き出されたのだった。

 司は要らないと突っぱねたものの、水野家の最高権力者は一切の聞く耳を持たず、あれやこれや息子を着せ替え人形にしようとしたので、何着目かに着せられた少し綺麗めなジャケットを司自身が「これがいい」と即決した。


 こういう時は下手に抵抗するより、ある程度相手の希望に添いつつバシッと自分で決めるのが一番。

 普段から仲良し母娘おやこの買い物に付き合わされてきた息子だからこその、経験が為せるわざである。


 「息子の交友関係が気になるのは分かるけど、だからって遠慮なく聞き過ぎだ」

 「むう……おかえりお兄ちゃん。楽しそうだね?」

 「ああ、結衣里。ただいま。起きてきて大丈夫なのか?」

 「別に、コレ以外におかしいところなんてないもん」


 いつの間にかリビングに出てきていた結衣里は、そう言ってスカートの中から伸びたしっぽに手を触れる。


 あれから一晩が経ったが、当然ながらこの光景にはまだ慣れない。

 妹の背中から伸びるのは、小悪魔のような見た目の黒く細長いしっぽ。

 猫のしっぽもかくやというほど自由に動き、なんなら司の腕に咎めるように巻き付けてくる。


 若干、昨日よりも目つきも悪くなったような気がするが、気のせいだろうか?


 「わたしが出かけられないのをよそに、お母さんとデートしてきたんだよね。可愛い妹が家で泣いてるのを差し置いて。ヒドすぎない?」

 「実の妹が、しかも母親相手に何ヤキモチ焼いてんだ。ただ付き合わされただけだし、1時間で切り上げさせたんだから」

 「……わたしもお兄ちゃんの交友関係聞きたかった」

 「そこ!?」


 家では聞き役に徹させられる司は、自分のことを話す機会はあまりない。

 というか母親と妹に揃って聞き出されなどしたら羞恥心が爆発するので、黙って不貞腐れるしか方法がないのだ。


 「にしても、出てきて大丈夫なのか? 母さんは寝てるといっても、いつ起きてくるか分からないし。実際に見られたら隠そうにも言い訳のしようが……」

 「それなんだけど……お兄ちゃん、わたしを見て何か気付かない?」


 そう言って結衣里は少し離れたところに立ち、棒立ちになってみせる。


 いつものツインテールとふちメガネ、ダボッとした水色のパーカーにキュロットタイプのスカートのラフな格好の部屋着姿。

 羽は服の下に隠しているのだろうが、しっぽは相変わらずスカートの下から────


 「ん? そういや、頭の角は?」


 全身をくまなくチェックしたところで、昨日見た結衣里の姿と決定的に違う箇所を見つけた。


 「そ。角、無くなってるでしょ?」

 「どうしたんだ? もしかして、消えたのか? まさか自分で切ったなんてことは……」

 「ないない、鹿じゃないんだから。んっとね、実はわたし自身の意思で出し入れできるみたいなの。えっと……ほら、こうやって」


 結衣里が目を閉じて小さく念じると彼女の前髪がふわっと踊り、キラキラと水しぶきのような光とともに小さな角が現れた。


 「おお……」

 「えへへ、今度はこれ!」


 同じく霧のような輝きとともに、今度は結衣里の背中に小悪魔の羽が姿を現した。


 「はー、すごいな……出し入れってことは、消すこともできるのか?」

 「うん。はい、とくとご覧あれ」


 司の驚いた顔を見て満足したのか、結衣里は同じように羽や角を輝かせるとそれらは霧散するように消え去った。

 司たちは家族で近隣の川の上流にあるダムを訪れたことがあるが、そのときに見た、滝の近くに虹ができるあの光景とちょうどよく似ている。


 「いつの間にそんな芸当が……」

 「昨日お兄ちゃんに聞いてもらって、ちょっと安心したからかも。一晩寝て落ち着いたら、なんとなく出し方消し方が分かったというか」

 「聞けば聞くほど不思議だな……。でも、消せるってことは日常生活にはそこまで支障は出ないで済む?」

 「それが…………このしっぽだけはどうしようもないみたいで」


 そう言って結衣里はスカートの下から伸びたしっぽを揺らす。

 そういえば角や羽とは違って、さっきからこのしっぽだけは出し入れする様子がない。


 「消せないの?」

 「うん……自由に動かせて、ぶっちゃけ便利なんだけど、消せないのだけは困ってて。一応、ぐるぐる巻きにしたらスカートの中に隠せなくもないんだけど」


 そう言いながら、結衣里のしっぽは力なく垂れ下がっている。


 うまく隠せたとしても、いつバレるかも分からないのなら結衣里は今後、とても安心して生活することなんてできない。

 兄として、結衣里のことを一番に思う者として、そんな状況をとてもそのままで良しとすることはできなかった。


 「そうか…………まあ、幸い明日も休みなんだ。時間が経てばしっぽも消せるようになるかもしれないし、とにかく落ち着いて考えてみよう。俺も明日は出かけるつもりないしさ。何かしてほしいことがあったら、何でも言って」


 安心して、落ち着いたら角と羽は消せるようになったのだ。

 もっと精神が落ち着けば、しっぽだって消せるようになる可能性はある。

 そのためならば、多少の無茶程度なら聞くくらいの頼り甲斐はあるつもりだった。


 そんな司の思いを汲み取ったのか、結衣里は少し考え込むように俯くと、


 「じゃ、じゃあ…………その、お兄ちゃんにお願いしたいことが、あって」


 と、すがるような小さな声で言った。


 「うん、なに?」

 「えっと、その…………」


 そして、やけに長い時間口ごもり、不安そうに目を逸らすこと数分。

 意を決したように、やたら上ずった声で結衣里は言った。


 「わ、わたしと…………一緒に、寝てほしいの……っ……!」

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