8. 水野家の母
次の日の朝は、昨日に引き続き随分と穏やかな朝だった。
いや、昨日は天気はともかく出来事自体は色々あったので、穏やかだったとは言い難いのだが。
だが今日はちょうど良いくらいの晴れ模様で、慌ただしさの気配もない。
結衣里には起き抜けにノックして声を掛けてみたが、どうやらぐっすりと寝ているようだ。
心配になって少しだけドアを開けて見てみたが、すやすやとベッドで寝息を立てていたのでホッと胸を撫で下ろした。
何せ、いきなり小悪魔のような姿になってしまったのだ。
次はどんなことがいつ起こるか分からないし…………正直、このまま何処かへ行ってしまわないかと心配でもあった。
死者は天使になって召されると言うが、「結衣里に羽が生えた」という事実だけを改めて考えた時に、まさに今の結衣里がそれに当たる気がしてしまって気が気ではなかった。
少々飛躍した考えだということも分かってはいるが……
「あ、おはよう司ちゃん。休みの日なのに早いわね〜」
「母さん。おはよう」
起きてきた母の夏子が司に声を掛けた。
「母さんこそ早いね。昨日も遅かったのに」
「今日は夜勤だからね〜。どうせこの後も寝なきゃだし、せめて朝くらいは可愛い息子たちの顔を見ておかないと〜」
そう言って夏子は司の頭を撫でる。
「ちょ、子供じゃあるまいし」
「あら〜、子供じゃない。司ちゃんは幾つになってもわたしの息子よー? わたしの歳を追い越しでもしない限り」
「そういう意味じゃなくて。はぁ、まったく。男の頭を撫でて何が嬉しいのやら」
「んふふ〜、結衣里ちゃんはもちろんだけど、司ちゃんもなかなか撫で甲斐のある髪をしてるわよね〜」
司の拒否などお構いなしに、息子の頭をわしゃわしゃと撫でる夏子。
マイペースな母親なので、この程度のスキンシップは日常茶飯事なのだが、だからと言って恥ずかしくないわけではない。
結衣里は割とよく撫でられているが、さすがの司も母親に対してはベタベタされるのにも抵抗感がある。
思春期の男子はどうしたって母親が苦手になるのだ。
「結衣里ちゃんはまだ寝てるの? あの子も夜更かしさんよね〜」
「あー……言ってなかったんだけど、結衣里のやつ体調崩しててさ。昨日は早退してたんだよ。母さんに
「そうなの!? …………ふぅん…………って、一言連絡くれたらよかったのに」
「俺だって帰ってきてから聞いたんだよ。結衣里の友達の早川さんが、偶然会ったときに教えてくれて」
「あの子か…………そうだった、結衣里ちゃんといつも仲良くしてくれてる子ね〜。良い子よねぇ」
「そうだね。俺も数えるほどしか会ってないんだけど」
母さんもあの子とは顔を合わせたことがあるらしい。
良い子には間違いないとは思うが、微妙に変わった所もありそうな、色んな意味で個性的な子だとも思う。
「さっき声掛けたらぐっすり寝てたし、まあ今日のところはそっとしておいてやって」
「……そうね。司ちゃんになら結衣里ちゃんのこと、任せられるし。あの子は司ちゃんの大事な妹なんだから、身体のこととか、ちゃんと大切にしてあげてね?」
「? それはもちろん」
ザッザッと、朝食のためにレタスを切りながら司は答えた。
何やら妙な心配の仕方だが、そういえば母さんは結衣里のことではやたらと心配性になることがあるんだったと、司は思い出した。
本気で一度娘が死にかけたのだ、過保護になるのも当然といえば当然だろう。
一瞬、このまま結衣里のことを相談してしまおうかとも思ったが、昨日自分にも話すのを躊躇っていた結衣里のことを考えて思い止まる。
家族なのだから、いずれは話すことになるとしても、それは本人の口からだろう。
図らずも司が見てしまった結果、不安そうに告白してくれた結衣里の顔を思い出せば、彼女の意思に反してまで話すべきではないと司は思った。
「さ〜て。今日は結衣里ちゃんと一緒に買い物でもと思ってたけど、結衣里ちゃんが病気なら久しぶりに息子と二人で買い物に行こうかしら〜」
「うげ、やめてくれよ……結衣里が一緒ならまだしも、この歳で母さんと二人で買い物とか。必要なら俺が一人で行ってくるから」
「いいじゃない少しくらい。司ちゃんの学校は遠いんだから、誰か友達に見られるわけでもないし〜」
「はぁ……まあいいけど、結衣里を放ってもおけないからすぐに済ませるぞ」
「やったぁ、司ちゃんとデートだ♪ 女の子との交友関係とか、根掘り葉掘り聞き出すぞ〜!」
「だから、少しだって言ったろ! 結衣里を長いこと置いてはおけないんだから」
「分かってるって〜。ふふっ、相変わらず妹想いの良いお兄ちゃんなんだから」
世間では男は女には勝てないと言うが、天然なクセに妙に押しが強いこの母親に、司は勝てる気がしなかった。
結衣里もそうだが、水野家では女性の方が圧倒的に権力が強い。
司も、単身赴任中の父も、この女性陣にはてんで勝てるところが想像できなかった。
「〜♪」
司の準備したサラダにちゃちゃっと手早くもう一品朝食を追加したかと思うと、食べ終えた後はあっという間に家事を片付けて出かける準備をする母親に、これは敵わないと司は改めて母の偉大さを痛感するのだった。
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