幕間① 天使というより


 「…………はぁ…………」


 兄が家を出た音を確認して、結衣里は深々とため息を吐いた。

 倒れ込んだ床から身体を起こすと、姿見に映ったのは下着姿の自分の姿。


 いくら兄妹とはいえ、見られるわけにはいかなかった────下着姿はもちろんだが、それ以上にこのは。


 「一体なんなの、これぇ……」


 一人きりの部屋の中に、結衣里の呟きが木霊こだまする。


 小悪魔としか言いようがないその姿。

 蝙蝠コウモリを思わせる羽とまるで黒い糸のような細長いしっぽが、腰あたりから伸びている。

 どちらも結衣里自身の意思で自由に動かせるし、なぜかまるで元からあったかのように

 角も小さいながら頭から左右に生えていて、そこまで鋭くはないもののかなり固い。


 どう見ても普通じゃない。

 お父さんやお兄ちゃんからは、「結衣里は天使だ」なんて言われたりしたこともあったけれど、それは実際に結衣里に翼が生えていたからではないし、ましてやこの姿は天使というよりむしろ悪魔にしか見えない。


 「…………どうしよう…………」


 自分の身に、一体何があったのか。


 自分が人間ではなくなったかのように、朝目を覚ましたら生えていた羽や角。

 不安にもなるし混乱しているが、今日は平日。

 いつもと変わらず学校はあるのだ。

 こんなことがあったからといって、学校を休もうとは思わない結衣里である。

 いや、こんなことがあったからこそ、いつも通り過ごして平静を保ちたいのかもしれない。


 羽としっぽは、制服の中に隠せば何とかなりそうだ。

 角は……通学中は帽子で隠せば良いとして、問題は教室だ。


 「…………どうしよ」


 現状、打つ手無し。


 相談しようにも、母親にだってこんなこと言えるはずもない。

 お母さんはあれで、わたしのことになると態度には出さずともやたら過保護になる癖があるからなぁ、と結衣里はこの2年間、身に染みて感じていたことを思い出す。

 娘が一度死にかけたのだから、それも仕方のないことなのかもしれないけれど。


 (やっぱりお兄ちゃんに言うべきだったかも……)


 なんだかんだ、司は結衣里が一番信頼する相手だった。

 というか、司なら言われなくても母にRAINで一声掛けておくくらいやりかねない。


 「マズいよっ! ……【余計なことしなくていいからっ!】……っと、送信っ!!」


 送った直後、すぐに既読が付いたかと思うと


 【結衣里はエスパーなの? 母さんにはまだ言ってないけどさ】


 と返信が来た。


 (あっぶな……!)


 間一髪のタイミングだったらしい。


 【大したことないから大丈夫! さっさと学校行ってきて!】

 【はいはい。本当に困ってたら母さんを頼れよ?】


 わりと鈍感ぽいクセに、こういう時だけ妙に鋭い兄にこう、モヤモヤしたものがこみ上げてくる。


 「……とにかく、今はまず学校だよね」


 幸い今日は金曜日だ。


 今日を乗り切れば、明日は休み。

 お兄ちゃんが帰ってきたら、真っ先に相談しよう。


 そう心に決めると、「……よしっ」と一息気合いを入れて、いつもより入念に制服の用意を始めた。

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