第6話:路地裏
身支度を済ませ、部屋を後にする。身支度と言っても、大したことをするわけではない。顔を洗って歯を磨いて、寝ぐせがあれば直して、というたいていの人が習慣的にやっているような程度のことだ。
ただ、僕にとって習慣的と言えなかったのは―——
「行ってきます」
そう言って僕は家を出る。驚いたような母親の表情が印象的だ。何せ普段家から外に出ることなどないから、母親にとっては青天の霹靂だろう。
外に出ると、日曜のまさに外出日和とでもいうべき天候で、見上げた先には綺麗な青空が広がっていた。気温もまさに春ともいうべき心地いい気温であり、半袖の上にジャケットを着ればちょうどいい気温だ。
僕は庭に置いてある自転車を取り出し出発する。
今日集合場所になっている場所へは自転車で15分ほど先の所にある。僕の家は住宅街の一角にあり、集合場所にもなっているあの路地裏は大通りまで出て、そこに跋扈するビル群の合間にあるような小さな路地裏なのだ。この社会の中で漂白されることを忘れ去られた場所、あの場所はそういう心象風景を具現化したような場所に感じられた。
僕は自転車に乗り、見知った道を自転車でこぐ。いつもよりもペダルが軽く、進みがいい。いつもの学校の時とは全く違う感覚を得る。
5分ほど自転車を漕ぎ、大通りを10分ほど自転車で進んだ後、例の路地裏に到着し、自転車を押して路地裏の中へ歩いていくと、例の広間に出た。まだ昼の13時ぐらいで天気も良いのに、ここだけはビルに囲まれているからかとても薄暗かった。俗にいう不良たちが集まるような場所だ。
「昼でもこんな暗いんだ」
「社会のはずれ者にはちょうどいい場所だろ」
独り言のつもりで放った言葉に誰かが言葉を返す。
その声の主は先日の非日常の正体だ。
「......どうも」
普段から人とあまりかかわったり挨拶をしていないからか、こういった突発的な出来事に直面すると、本性が出てしまう。
「あ、どうもって......」
それに呆れながら苦笑する。
「ありがとね、急なお誘いなのに来てくれて」
「いえ、別に日曜ですし、暇ですから」
「友達とかと遊んだりしないの?」
「まぁ、あんまりそういうことしないですね」
「家いてもあんまりすることないでしょ?」
「外にいてもやることないんですよ」
そこまで言うと、彼女はだめだこりゃと思ったのか、肩をすくめた。
「この子が紹介したい子?」
後ろから女性の声が聞こえてくる。元気のある声だった。
「へー加恋が連れてくるやつだからどんな奴かと思ったら」
同時にもう一人の足音の主からの声も聞こえてくる。こちらは男性の声だった。元気というよりはやや低めの落ち着いた声色だ。
「あんた、男だとわかってたら来ないでしょ」
「おいおい、俺を女好きみたいなキャラにしないでくれよ」
「事実だろうが」
それまで元気な様子だった少女が急にどすの利いた声で彼を刺してきた。それに対して苦笑いをしながら彼は後頭部をかいていた。それをニコニコ見つめながら加恋が話す。
「さ、全員そろったね」
彼女がそう話しているのをよそに、新たに入ってきた女の子が僕の方をじろじろ見てきた。
「なんか、意外と普通の子だね。加恋が紹介したいっていうからどんな子かと思ったけど」
元気な少女は僕の方をなめまわすように見ていた。そんなに見るなよ、と言いたかったがいまいち状況がつかめておらずその言葉を口に出すことができなかった。
どうやらここに僕を呼んだのは、加恋の友人である彼らに僕を紹介するためらしい。
「見た目はね、まぁこれから彼の見た目も変えていく予定だけど」
今さらっとすごい言葉が聞こえたような気がしたが、次々と目まぐるしく変わる状況をとりあえず理解することだけに僕は集中した。
「でもさ、ここの壁面見てよ」
彼女がそういい、ほかの二人が壁面に視線を移す。視線の先には僕の『くたばれ社会』の書きなぐりがでかでかと主張されていた。
「ひょえーくたばれ社会って、これまただいぶインパクトの強い文字列だね~」
「仮にも社会的な、というか公共物に対してこういうことよく描けるな」
「すごいよねー本当すごいよ。こんなことができる人がいるなんてねぇー」
彼女はにやけた表情で僕の方を見る。僕は極まりが悪く、彼女の視線には気づかないふりをした。
「まぁ、実はさこの落書きをしたのがここにいる平凡そうに見える男の子なわけ」
「えっマジ?」
元気な彼女はとても驚いたように反応する。
「まぁ、はい。嫌なことがあって勢い余って」
「気持ちはわかるよ、私もむしゃくしゃすることがあったりするとねぇー」
「『色々と暴飲暴食をしちゃう』でしょ」
「そだねー」
「まぁ、ただ嫌なことがあったときにこういう発散の仕方をするってところに私は彼の狂気というか歪さを感じていてね。なんか私に似ているなとも思ったのよ」
彼女は彼らに僕を紹介した理由を説明する。
「まぁ、そういう感じでとりあえず私たちの仲間入りをしてもらおうと思ったわけ」
彼女の中で言いたいことを言い終えたのか、満足げに近くにあったコンテナに腰を下ろす。
「まぁ、そこは任せるよ。このグループのリーダーってお前みたいなもんだしな」
そう言って僕の発言する間もなく、彼女たちの中で合意が形成されようとしていた。完全の蚊帳の外だ。僕はいよいよ黙っているわけにもいかず口を開く。
「まって、っていうか君たちは誰?どういうつながり?」
「あーそっか自己紹介とか何もしてなかったね」
思い出したかのように彼女はあっけらかんと言う。
「私は加恋。中村加恋。福南高校の3年。よろしく。」
福南高校。その名前はどちらかというと悪い意味で有名な高校だ。地元なら誰もが知っているいわゆる『ヤンキー高』だ。
「私潮楓でーす!福原高校の3年だよ。趣味はお茶とお琴です」
学校が違うのか。そう思ったが口には出さずにいた。福原高校は地元でも普通の高校で、あまりやんちゃをしている印象はない。正直福南高校の生徒と一緒にいるというのが少しだけ不思議だ。
「お茶とお琴なんてやってねえだろ。冗談言うのはその頭だけにしとけ」
「加恋ちゃん、突っ込みがちょっと鋭利すぎない?」
「化けの皮はすぐはがれるから仕方ないよ、楓」
楓と名乗った彼女は二人から猛攻撃を食らっていた。かえってこの三人の関係性が見えたような気がした。
「塩崎蓮人です。楓と同じく福原高校の3年です」
「生粋の女好き。変態」
ボソッと隣にいた楓が蓮人のことを刺す。口をとがらせているその様は、先ほどの突っ込みに対しての仕返しだった。
「おい、誰が女好きだ。しかも変態だとかいつ俺が変態と言われるような行動したんだよ」
「女の子とっかえひっかえだし、何より顔が変態っぽいのよ」
と二人のやり取りが始まっていた。
「ほんと夫婦の仲睦まじいコントは見ていて飽きないね」
「誰がコントじゃ、お前しばくぞ!」
楓がにこやかに笑う加恋に対して鋭い突っ込みを入れる。琴を持たせても、この女の子には鈍器にしかならないだろう。もう出会ってわずか数分で化けの皮が剝がれている.....。
「じゃ次は君の番!」
と言われ、僕は自分の番が来ることを忘れていた。三人の視線が僕に集中する。
「どうも、坂村穂高っていいます」
と無難に挨拶を済ませる。
「......それだけ?」
「えっ......はい」
「もっとあるでしょ!なんかさ!」
楓が心底不満という表情を浮かべる。
「えっと......。じゃあ歳は17歳で福西高校の高校2年生です。趣味は家でグダグダすること......?です」
「合コンかよ......」
楓が呆れたように告げる。
「まぁ別にあたしらの挨拶だって似たようなもんだろ。お互いのことは少しずつわかっていけばいい」
楓があーだこーだ言っているのをなだめる形で加恋が会話に入る。加恋の言葉には皆が注意を向ける。それはこの4人の空間の中でひしひしと感じた。あぁ、この人がリーダーなんだと。
「それでー」
彼女はそれまでのにこやかな雰囲気から一転、最初の不敵な笑みに戻る。
「どうして『くたばれ社会』なんて落書きを描いたの?」
「えっと......」
「色々溜まってたって言ったけど」
僕は言葉を詰まらせた。自分の中の醜くよどんだ本音を今日はじめましての人間に伝えてもいいのだろうか、という不安がよぎる。
———不安?
それは何に対しての不安?なぜ?
心の中で水面のように広がった感情に対して疑問を浮かび上がらせる。
同時に彼女と不良のやり取りを思い出した。
『あたしは絶対に社会に迎合しない!』
「社会の理不尽や納得できないことにNoを突きつけたかったからです」
「それはわかるよ、だって『くたばれ社会』だからね」
彼女はまるで僕の返す言葉をわかっていたかのように瞬時に答えた。
「そうじゃなくて、君の中の具体的にどんな感情が君にこれを書かせたの?」
「......クラスや集団の中でなぁなぁで曖昧な人間関係、画一的にカリキュラムされた学校という組織、お互いの表面をなめあうだけのぬるい関係性を予定調和的に保つ、そんな社会が嫌い。そしてそんな社会を形成して、子どもを従えている大人が嫌い」
僕はある種独り言のように、そう言葉を紡ぐ。目の前の三人がどういう反応なのか、そんなことも気にならないくらい、するりと自然と僕の本音は僕の口から放たれていた。
そして僕は歯を食いしばる、呼吸をすることも忘れていた。深呼吸をして
「この社会が嫌い!!」
その言葉は確かに僕の口から放たれ、この小さな路地裏の中で反響していた。下を向けていた目線を彼女たちに向ける。加恋の口は口は弧を描いている。よく見ると、ほかの二人も同じような表情だ。
「......やっぱ加恋の鼻は利くんだね」
楓がポツリとそうつぶやいた。彼女の広角が上がり、白い歯がはっきりと見えた。
「まぁね」
「穂高。お前が抱いているその感情、あたしはとても好きだ」
彼女は僕の方に近づく。やがてその距離はお互いの吐息がかかりあい、お互いの鼻がぶつかりそうな距離だった。
「あたしも社会が嫌いだ。色々あってね。だから学校だの社会だの親だの誰がお前の意見を反対しようと、あたしらはお前の意見を否定しない」
「さっき穂高は聞いてたよね」
今度は楓が口を開く。
「どういう繋がり?って」
「その問いに、答えを提示するよ。穂高」
「あたしたちは社会の迎合を嫌う者達だ。社会に溶け込み、迎合するのではなくてそれに対して徹底的に反抗する。子どものかわいい抵抗だと思われようが関係ない」
彼女の吐息が僕の肌をくすぐる。やがて彼女は僕から離れる。
心臓の鼓動が早い。異性とこんなに顔を近づけたから?凄まれた表情で近づかれたから?
「だから———」
加恋のそれまでの深刻な声色と表情は徐々に消え失せ、
「歓迎するよ!」
彼女たちは朗らかな表情に戻る。まるでそれまでの雰囲気が嘘のように。
「......でも僕にはわからないよ。この社会を嫌ってはいるけど、どうすればいいのか。僕たちはどう生きればいいんだ」
僕は頭の中の疑問をぶつける。結局のところ一人ではなにをすればいいかわからない、それが実情だ。
その疑問に対して、加恋は広角を上げて、
「......それはねこれからわかるよ」
何かを見せてくれる———
いや、この人たちとならなにかを一緒に見れるかもしれない。
そんな根拠のない確信を胸に突きつけられる。
加恋は話が一区切りしたという雰囲気を察して次の言葉を紡ぐ。
「まぁ、そんなこんなで挨拶も済ませたところで......」
「帰る...」
「カラオケに行こうー!!」
蓮人が帰るか、と発言しているのを遮って加恋がカラオケに行こうと提案していた。強引だ。そう思った。当の蓮人ははじまった...とでも言わんばかりの表情だ。どうやら日常茶飯事のようだ。
「おー!」
遅れて楓も反応をとる。まるで蓮人の発言などなかったかのように意見の合意形成がなされている。先頭を加恋が歩き出し、少し遅れて楓が、あまり乗り気じゃなくその場を動こうとしない蓮人を楓が手を引っ張って連れていき、路地裏を後にする。
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