第38話 優しさに絡まる死体です。
もう、誰も口を開かなかった。
歯がカチカチとぶつかる音や、鎖がカチャカチャと小刻みに震える音だけが部屋に響いている。
「さて、次は……」
静かな部屋で集中力を増したキリルは、その後も長女から二十年、婿から五年と順調に寿命を奪い箱へ納めていく。最後の寿命を求めて侯爵夫人の前に立つと、ぶつぶつと恨み言が聞こえてきた。
「何で私達がこんな目に遭わなければならないの? 何で私の可愛い娘達が……こんな目に……」
夫人はキッと顔を上げ、憎々しげにキリルを睨み付ける。
「全部セレーネのせいだ! セレーネが死んだりしなければ、黒魔術なんて使わなかったのに……やっと利用価値を見出だせたあのタイミングで何故死ぬんだ! それまではどんなに痛めつけてもしぶとく生きていたのに……よりによってあのタイミングで! あんな卑しい娘、もう少し健康だったら娼館に売り飛ばせたのに。こんなことになるのなら、安くてもとっとと売ってしまえばよかった!」
穏やかに作業していたキリルの顔が、みるみる黒ずんでいく。明らかな怒気を前にしても暴言を吐き続ける夫人の顎を、キリルは片手で掴んだ。
「少し……黙ってくれないか? 集中力が途切れると、要らないものまで奪ってしまう」
それでも怯まず、喋ろうと踠(もが)く夫人。顎を掴む手には更に力がこもり、歯や骨がミシミシと音を立てる。
「虫、魚、家畜……と練習したが、人間の寿命を奪うのは今回が初めてなんだ。無駄に殺されたくないなら大人しくしてろ」
キリルは何とか怒りを
「何で……何でこの人からは取らないのよ! 元はといえば外で子供をつくったこの人のせいじゃない!」
夫人の怒りは、キリルから夫へ向かう。隣のバラク侯爵を睨み付けると、顎の痛みも構わず口を動かし続ける。
「あんたを侯爵にしてやったのは誰だと思ってるんだ! この恩知らず! 疫病神! あんたも
夫を指差し、生まれながらの侯爵令嬢だとは到底信じられぬ罵声を浴びせる夫人。バラク侯爵はわなわなと震え出し、拳を握り締めながら妻へ向かう。
「……お前はいつもそうだな。何かあればすぐ、婿養子だの爵位を継がせてやっただのと偉そうに。所詮一人じゃ何も出来ない女じゃないか。子供も役立たずの女しか産めなかったくせに!」
「何ですって!?」
「お前みたいな女が家でふんぞり返っていたら、外で美しく優しい愛人でも持ちたくなるだろう。俺が本当に捨てたかったのは……セレーネじゃなくお前だ! お前と、お前にそっくりの、気位ばかり高い傲慢な娘達だ!!」
「…………このっ!!」
夫人は夫へ掴み掛かろうとするも、鎖に繋がっている為その場に転がる。それでもバタバタと暴れていると、音を聞き付けた兵が駆け付け、速やかに取り押さえられた。
「……こんな醜い夫婦喧嘩はしたくないな」と、キリルは首を振り、兵の一人に合図を送る。すると何やら、不思議な形の魔道具が五個運ばれてきた。
ネジの付いた丸い帽子のようなそれは、五人の頭に被せられ、ベルトでしっかり固定される。
「これからお前達には、王命によりもう一つの刑が執行される」
「もう一つだと……?」
「これ以上何をするつもりだ!」
同時に叫ぶ夫婦に、キリルは淡々と告げる。
「これはカプレスク製の、拷問用の最新の魔道具だ。本来は人を残酷に殺めた重罪人に使うものらしいが……お前達がセレーネにしてきた虐待は、人殺しに相当すると陛下が判断されたんだ。効果を試す為に、お前達には実験台になってもらうと仰せだ」
「実験……台?」
姉妹は恐怖におののき、互いを押し出しながら後退るも、鎖に阻まれ母と同じように転がった。
「この魔道具は罪人が害した者……つまりはセレーネが受けた虐待と同じ苦しみを、強制的に脳へ送り込み、擬似体験させる仕組みになっている」
キリルは先程の書類を拾い、虐待の内容を読み上げる。
「殴る、蹴る、鞭打ち、
「そ……それは……私はそんなことしていない! 全部夫が」
「黙れ!!」
もう
……しんと静まる部屋。はあはあと肩で息をする兄に代わり、ハーヴェイはダンスのエスコートさながらの優雅な足取りで五人に近付く。魔道具のネジに手を伸ばすと、くるくると楽しげに回しながら言った。
「5歳から17歳まで。セレーネが受けた苦しみを、今から十二年間体験してもらう」
「じゅっ、十二年間!?」
不満げに叫ぶ婿に、ハーヴェイは笑顔を向ける。
「あ、婿殿は婿入りしてからの年数だから、一年間で構わないそうだ。軽い刑で済んでよかったな」
「そんな……一年間も! 私は直接虐待した訳じゃない! 無関係だ! 全部こいつらが勝手に……」
さっき見た醜い光景がまた繰り返されるのかと、ハーヴェイは呆れ顔で肩を竦める。
「安心しろ。幼い少女でも耐えられたくらいの苦痛など、なんてことないはずだ。万一精神が死んでも、身体は死なないように手厚く
昏い渦に意識が引き込まれていく中、五人が最後に見たものは、美し過ぎる悪魔達の青い眼光だった。
────魔道具が起動されてから数分後、檻に戻された五人は、個々に苦しみ始める。
中でも残りの寿命が一年しかないバラク侯爵の魔道具には、十二年分の苦しみを凝縮してある為、一際大きな断末魔の叫びを上げていた。……それは、他の囚人達が酷く怯える程に。
◇
地下牢から出た兄弟は、“治療” の為にセレーネの元へ向かう。
長い廊下をしばらく並んで歩いていたが、隣の気配が消えたことに気付き、ふと足を止めるハーヴェイ。振り返れば、さっきまで隣にいた兄は、数歩後ろでカタカタと全身を震わせている。危ういその手から、ハーヴェイは大切な箱を素早く預かった。
「ハーヴェイ……私はきっと、もう天国には行けないな」
薄い唇から漏れる声は、五人と対峙していた時とは別人のように弱々しい。その姿にハーヴェイの胸は痛んだが、あえて明るく答えた。
「大丈夫ですよ、神はきちんと見ていますから。それに、万一地獄に行く時は私もお供します。兄弟揃えば、なかなか愉快な旅になりそうじゃないですか」
「何故お前が?」
「兄上が奴らから奪い取るのを、自分は一切手を汚さずに、ニヤニヤ笑って眺めていたんですから。同罪……いや、もっと酷いでしょう」
「……やっぱり私は悪魔だな。弟を巻き込んだ挙句、そんなことを言わせてしまうなんて」
「お言葉ですが、私は巻き込まれたりなどしませんよ。何事も自分の意思で選択し、行動します。もし私に力があったら、私がやっていた。それこそ何の躊躇いも後悔もなく」
淀みのない力強い言葉。複雑な兄の表情を見ながら、ハーヴェイはその余韻に柔らかな言葉を重ねた。
「……兄上は優しいままですよ。小さい頃、わざと兄弟喧嘩に負けてくれたあの時のまま。たった一人の、私の自慢の兄です」
キリルは横を向き、すんと鼻水を啜る。
「……カードゲームでは、お前がわざと負けてくれただろう?」
「兄上は無表情を装っていても、全部顔や態度に出ていますからね。勝ち過ぎてつまらなかったので、今度はどうやったら自然に負けられるかを探求していました」
「全くお前は……」
兄弟は互いだけが知る顔で笑い合い、再び廊下を歩き出す。
「ハーヴェイ、このことはセレーネには絶対に……」
「ええ、もちろん。最新の魔道具で治療するだけ。……それだけです」
「上手く出来るだろうか。家畜では僅か三割の成功率だったのに」
「大丈夫、彼女ならきっと上手に吸収してくれますよ。さあ、新鮮な内に早く届けましょう」
ハーヴェイは七十五年分の寿命が詰まった箱を撫でながら、いつも通りの軽い調子で言った。
◇◇◇
治療を終えた私達は、一晩王宮に泊まり、朝食をゆっくり頂いてから帰路に就いた。
出発して間もなく、余程お疲れだったのか、キリル様とハーヴェイ様は車内で寝てしまった。二時間程経ってもまだ起きなかったので、私とジュリは二人で別の馬車に移ることにした。
窓から流れ込む暖かなそよ風と、心地好い揺れにふわあと漏れる欠伸。感動して、さっき見たばかりの鏡をまた覗いてしまう。
「……私、欠伸まで出るの。あっ! ほら、欠伸と一緒に涙まで」
治療を終えた後から、こんな風にずっと興奮しているのに、ジュリは嫌な顔一つせず笑顔で頷いてくれる。
夕べは窓から星空を見ている内に、いつの間にか瞼が下りていて……鳥の声に気付いた時には、眩しい朝を迎えていた。
眠れた……そしてちゃんと目覚めることが出来た……こんなに素晴らしいことがあるかしら。
「どうぞ、眠かったら奥様もお昼寝なさってください。次の休憩までには、まだ三十分程ありますから」
「ええ……でも……まだね、眠ってしまうのが怖いの。起きたらやっぱり夢だったんじゃないかって」
ジュリはうーんと何かを考えると、両手を伸ばし、私の頬を思い切りつねった。
「痛っ!!」
堪らず叫ぶと、ジュリは満足げに手を離し、しれっと言う。
「……でしたら大丈夫です。奥様は間違いなく、生きておられますよ」
ヒリヒリする頬を押さえながら、私はさっき訊いたばかりのことをまた尋ねてしまう。
「ねえ、私、本当にあと七十年以上も生きられるの?」
「はい。奥様の細胞がそう教えてくださいました」
「本当の本当に?」
「はい。毎日頬をつねっている内に、あっという間に七十年以上経っていると思いますよ。痛みで喜べるのも今だけですので、お怪我やご病気にはくれぐれもお気を付けくださいね」
昨日、キリル様とハーヴェイ様が運んでくださった治療用の魔道具は、ただの綺麗な箱みたいに見えた。
ジュリに言われるまま、目かくしをされ横たわっていると、心臓が焼ける程の激しい熱を感じ、再び開けた時には全ての細胞が生き返っていたのだ。
一体この箱でどうやって治療したのか尋ねるも……王宮で管理している特殊な魔道具の為、守秘義務がある。使い方は一部の医師しか知らないし、教えられないのだと言われた。
死体を本当に生き返らせたのなら、棺から起きたあの時よりも立派な黒魔術に違いないけど……ジュリが堂々としてくれていたお陰で、誰にもバレることはなかった。
王宮を出る前に拝謁した国王陛下は、どことなくカプレスク侯爵と似ていて、威厳の中にも優しさを感じる方だった。治療が成功したことを喜んでくださっただけでなく、緊張で上手く喋れない私に、温かなお言葉を沢山掛けてくださった。
『甥夫婦が娘同然に想っているなら、私にとっても君は大切な親戚だ。またいつでも遊びにおいで』
そう笑顔で手を振ってくださるお姿は、まるで本当の大叔父様のようだった。
「……嬉しいの。でも嬉しいと思えば思う程、心苦しいの。あんなにお優しい陛下を欺いて、黒魔術を使ってしまったと思うと。それに……私だけがこうして生き返って良いのかしら。誰かの大切な死体は、私以外にも沢山棺で眠っているのに」
「良い悪いで言えば、黒魔術という禁忌を犯している時点で、間違いなく悪いでしょうね。ただ……こうして無事に生き返ったということは、神様が生き返るべきだと判断されたからだと思います。もし人の道を外れているなら、いつか必ず報いを受けるはずですし。あとは神様の審判に委ねましょう」
「そうね……私、せっかく生き返らせてもらったのだから、自分を大切にするわ。私のこの体質は、神様からの贈り物かもしれないし」
ジュリは微笑み、深く頷く。
「それに、誰も傷付けないのなら、時には人を欺いてもいいのではないでしょうか。奥様だって、知らぬ間に、誰かに優しい嘘を吐かれているかもしれませんよ」
「知らぬ間に……」
「ええ」
「……ねえ、ジュリ。キリル様とハーヴェイ様は、私のことを本当にただの病人だと思っていたのかしら。目玉も飛び出して、骨まで見えてしまって……誰がどう見ても死体だったと思うけど」
「さあ、どうでしょうね。愛を感じる場所には、沢山の優しい嘘が絡み合っているものですから。無理にほどこうとしないのも、優しさであり愛です」
愛…………
そう語る彼女もまた、私に何か優しい嘘を吐いている気がしたけれど、ほどくのは止めておこうと思った。
百年くらい生きているのではと疑う大人っぽさと、年相応の愛らしさが同居している不思議なジュリ。今までで一番晴れやかで、何の憂いもないその灰青の瞳を見ている内に、これで良かったのだと思えてきた。
突如、馬車が停止する。
次の休憩にしてはまだ早い気がするけど……何かあったのかしらと窓の外を覗くも、閑静な町並みが広がっているだけだ。ジュリと目を合わせ、首を傾げたその時、ドンドンと扉を激しく叩く音がした。
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