第37話 何も知らない死体です。

 

「ツィンベルク…………」


 ハーヴェイを見てそう呟く男……バラク侯爵は、よく似た隣の顔に視線を移し、消え入りそうな声で尋ねる。


「も……しや……辺境伯……殿?」


「ああ、我が兄でラトビルス領の辺境伯、キリル・ツィンベルクだ。お前が死体を病人だと騙して送りつけ、金をせしめた相手だよ」


 冷たく無機質なアイスブルーに見下ろされ、バラク侯爵の顔はサッと青ざめる。ハーヴェイはそんな侯爵の様子を窺いながら、一言も発しない兄の代わりに話し続けた。


「まさか黒魔術を使って死体を嫁がせるとはな。一年間の契約結婚なら誤魔化せると思ったのだろうが……随分見くびられたものだ」


 バラク侯爵は床にひれ伏し、額を擦りつける。


「申し訳……申し訳ありませんでした! 事業が悪化して……どうにもならなくて……家族を守るにはあれしか方法が……」


「……家族?」


 穏やかな仮面を被っていたハーヴェイと、無を貫いていたキリル。どちらの顔も一瞬にして崩れ、怒りに黒ずんでいく。……今ではない。兄弟はそう自分に言い聞かせ、必死に感情を抑えた。

 ハーヴェイは息を吐くと、バラク侯爵へ冷静に問い掛ける。


「お前の言う家族は、そこに並んでいる妻や娘達のことか?」


「はい」


「では、お前が送りつけたあの死体は家族ではないと? ……まあ、そうだろうな。安らかに眠っていた身体を棺から無理やり起こし、金の為に辺境の地まで追いやったのだから。家族だったら、そんな非道な仕打ちが出来る訳ない」


「……死んでしまった娘を犠牲にしてでも、まだ生きている、未来のある健康な娘達を守りたいと思ったからです。長女は婿を迎えたばかりだし、次女は婚約していてもうじき嫁ぐ予定だ。親として、どんなことをしても、出来る限りのことはしてやりたかったのです」


「親として……ね」


 今まで黙っていたキリルは、鼻で笑いながらそう呟く。


「私にも子がいるから、 “親” の気持ちは分かる。どんなに辛い境遇でも、子供だけはどうにか幸せにしたいと。だが……」


 キリルはおもむろに立ち上がると、床にひれ伏したままのバラク侯爵の元へ向かい、スッと前へ立つ。


「“お前” の気持ちは理解出来ない」



 磨かれた仕立ての良い革靴、そこから伸びる二本の長い足、更にその上には……

 徐々に目線を上げていくバラク侯爵は、そこで初めて気が付いた。怒鳴るでも、乱暴な言葉を使うでもない。そんな辺境伯の全身を、激しい怒りが覆っていることに。

 “戦場の悪魔” と恐れられた、先々代の血を濃く引く辺境伯。アイスブルーから降り注がれる冷気に、侯爵の背筋は忽ち凍り付いた。


  黒魔術を使った罪、知っていて黙認した罪で、一家全員王宮に連行された時よりも凄まじい恐怖が侯爵を襲う。あまりの恐ろしさに、辺境伯の怒りの理由を見誤ったことが、この後更なる怒りを買うことになるのだが。


 キリルは持参した書類を床に投げ、「読め」と命じる。それは以前ハーヴェイが入手した、セレーネの出生からこれまでに受けた虐待の詳細が書かれている書類。目を通したバラク侯爵の顔色は一層悪くなり、再びひれ伏し叫んだ。


「申し訳っ……申し訳ありません……! いくら家族の為とはいえ、問題のある私生児なんかを……しかも醜い死体なんかを、貴方様の元へ嫁がせてしまいまして……!」


「問題……?」


 眉をしかめるキリルに、横から侯爵夫人が口を挟む。


「あの私生児は、酒場で男をたぶらかしていた女中の血を引いており、引き取った当初から非常に問題の多い娘だったのです。侯爵令嬢として何とか躾けようと努力してきましたが……病弱なことを理由に我が儘放題、贅沢し放題で」


「我が儘……」

「贅沢……」


 兄弟は同時に、くっと笑う。

 これに調子づいた夫人は、目に薄い涙を浮かべながら、しおらしく訴える。


「……私生児とはいえ、半分は夫の血を引いた大切な子供。私達とて、本当は黒魔術など使いたくはなかったのです。ですが辺境伯様の元へ嫁げば、望んでいた贅沢な暮らしをさせてあげられるのではないかと。これはあのの為でもありました」


 呆れた言動に、次女が加勢する。


「本当は私が婚約者と別れ、辺境伯様の元へ嫁ぐ予定だったのですが……病弱で社交界にも出られなかった可哀想な妹に、最期くらい贅沢をさせてあげたいと譲ったのです。このようなことになるなら、初めから私が嫁げば良かったですわね。こんなに素敵な方だと知っていたら……私生児なんかには勿体ないわ」


 女の欲望を隠そうともしない次女に、キリルは反吐が出そうになる。ねっとりした視線に耐えていると、長女までもが加勢し出した。


「あのは我が儘なだけでなく、母親に似て大の男狂いだったのです。外には出られないものですから、屋敷中の男という男を部屋に引きずり込んでいました。使用人から下男、挙げ句の果てに、義兄であるこのひとにまで手を出そうとして」


 長女にチラリと視線を投げられたその婿は、同意するように深く頷いた。


「手を出す……だと?」


「ええ、さすが卑しい北方の血を引い……」


 部屋の温度が急激に下がる。婿の前へ立つと、キリルはその薄汚れた胸ぐらを掴み、乱暴に立ち上がらせた。片手で取り出したナイフを毛深い首に当てると、地を這うような低い声で問う。


「まさかお前……セレーネに何かした訳じゃないだろうな」


「なっ……何も……! する訳……ないでしょう! あんな女に、そんな気が起きる訳がない! 髪も目も不気味だし、痩せて骨みたいだし。あちこち傷や痣だらけでみすぼらしいし、欲情なんてする訳……ぐふっ!」


 鳩尾みぞおちを押さえ、涎を垂らしながらその場にうずくまる夫に、長女は青ざめる。


「……よかったな。もし私の妻に少しでも触れていたら、その部分を一ヶ所ずつ切り落としていたところだったが。お前の目は嘘を吐いていない。ああ……だが、邪な気持ちで妻の肌を見た、その汚らわしい眼球だけはくり抜かなければ」


 ナイフの刃にギラリと反射する、残酷なアイスブルー。ここへきて漸く五人は、辺境伯の怒りの理由に気付き始めていた。


「兄上、お気持ちは分かりますが、抑えてくださいよ。上手く怒りを制御コントロールしませんと……失敗して、楽に死なせてしまいます。どうせなら最大限に苦しめたいでしょう? 」


「…………そうだな」


 キリルはナイフをしまうと、一旦目を閉じ、深呼吸をする。深い息と共に怒りを吐き出し、改めて五人に向かった。


「せっかく生きているのに、どこまでも腐った奴らだ。……誰一人として、セレーネが今どうしているか、安否を尋ねてこないとは」


「安否……だってセレーネは、もう死んでいるのよ? 死体に安否も何もないでしょう?」


 愚かな次女の失言に家族はゾッとするも、一度出てしまったものは取り消せない。皆、下を向き、辺境伯の次の言葉に怯えていた。

 が……震える耳に降ってきたのは、怒声でも罵声でもなく、ただ哀しみに満ちた静かな声だった。


「……彼女は死体なんかじゃない。身体は死んでいても、心は生きている。生きて、ずっと痛みを感じているんだよ。ずっと綺麗なまま……誰を憎むことも恨むこともなく」


 おずおずと見上げた辺境伯の頬には、つうと涙が伝っていた。大の男が……領地を統べ、人の上に立つ立派な男が人前で泣く。その恥ずべき姿を堂々と曝け出していることに、五人の恐怖は更に煽られる。


「セレーネが可哀想だ……こんな奴らを家族だと信じて、心も身体も、何度も何度も殺されて。……でもこれで、何の罪悪感もなく “治療” を行える」


 キリルは涙を拭うと、弟を振り返り、夕飯のメニューでも訊くような軽い口調で尋ねた。


「で? 視えているか?」


「ええもちろん。夫人は五十年、長女は七十年、次女は六十五年、婿は五七年。侯爵は……やはり残り僅かなので、奪わずに苦しめた方が良さそうです」


「そうか」


「さあ、誰からいきますか?」


「……もう決めたよ」


 キリルは五人の中から一人を選ぶと手をかざす。

 落ち着け……散々練習してきたのだから大丈夫だ。まずは二十年分……この手に手繰り寄せろ。

 祖父が遺した戒めを心で唱えながら、目には見えないあるものに狙いを定めて、慎重に念じた。



 ◇◇◇


『────しばらくして、私はこの魔力の本当の恐ろしさを知った。


 それは、アリボン国の奇襲攻撃に遭った時のこと。私の腹心の部下が敵と相打ちになり、致命傷を負ってしまった。

 駆け付けた私の前に倒れていたのは、瀕死の部下と、手当てをすればまだ助かる敵。私は、部下を傷付けたその敵への怒りを制御コントロール出来ないままに、手をかざしてしまった。


 ……暴走した私の魔力は、まだ助かるはずだった敵の寿命を全て奪ってしまった。上手く戻すことが出来ず、それならばと部下へ送ろうとしたが、部下の身体もそれを弾いてしまう。

 結局……人一人を無意味に殺し、大切な友を助けることも出来なかった。戦時中とはいえ、そのつもりはなかったとはいえ、私は黒魔術で人を殺めてしまったのだよ。

 この出来事も、魔力のことも、恐ろしくて誰にも言っていない。言えないまま、辺境伯としてこの地を治めることになってしまった。


 キリル、お前に目覚めたものが、私と同じとは限らない。ただ、身体の奥に尋常ではない熱を感じているのなら……その可能性は高いだろう。


 負の感情をコントロールしなさい。さもなければ暴走してしまう。特に怒りは……非常に危険だ』



 ◇◇◇


 全身の細胞はざわざわと騒ぎ、血液が沸騰する程の熱に包まれている。燃える手に、見えないものの重みを確かに感じ、キリルはハッと顔を上げた。そこには次女が、怯えた顔でぽかんと口を開けている。


 よかった……殺していない。


 兄の様子から成功したと分かったハーヴェイは、ニヤリと笑いながら、豪奢な箱を手に待ち構えている。

 弟が蓋を開けたその中に、キリルも笑みを浮かべながら、手のそれを丁寧に納めた。


「娘に……娘に一体何をしたんだ?」


 震える声で問うバラク侯爵。キリルは振り返り、淡々と言い放った。


「魔力で寿命を奪ったんだよ。約二十年分」


「なっ……なんということを!」


「あと四十五年も生きるのだから問題ないだろう。まあ……後になって、あの時死んだ方が楽だったと思うかもしれないが」


「そんな……! そんなことっ、許される訳がない。寿命を奪うなんて……それこそ黒魔術じゃないか!」


「国王陛下の許可は頂いている。黒魔術を使い、また知りながらも黙認した大罪人らには、黒魔術で刑を執行しても構わないと」


「何だと……?」


 放心状態のバラク侯爵に代わり、夫人が金切り声を上げる。


「嘘……! 嘘よそんなこと! 法を犯した罪人を、違法な黒魔術で罰するなんて……そんなこと絶対にあり得ない! 道義に反しているわ!」


「……そうだろうな。普通なら」


「普通なら?」


「今回の件は、陛下が特別に許可してくださったんだよ。それはそれは、ね。……我が家と親交のあるカプレスク侯爵夫妻、特に夫人は、同じ北方の血を引くセレーネを、実の娘のように可愛がっている。セレーネが実家で虐待を受けていたこと、亡くなってからも金の為の道具にされたことを伝えたら、大層お怒りだった。

 もしかしたら夫人が、姑……侯爵の母君に相談されたのかもしれないな。カプレスク侯爵家は、嫁姑の仲が良いことでも評判だから」


「カプレスク……侯爵……」


 この国の大人なら誰もが知っているであろうその名に、自分達の置かれた状況を悟る五人。彼らが崖っぷちで激しく怯える姿を、キリルは高い空の上から楽しげに見下ろし、口元を残酷に歪めながら引導を渡した。


「知っているだろう? カプレスク侯爵の母君は、降嫁された王女殿下……国王陛下が唯一頭が上がらないと言われている、実の姉君であることを」


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