第29話 未来のない死体です。

 

 ◇◇◇


『私は……羨ましいです。たとえあと一日でも……数時間でも数分でも。寿命が、未来があることが羨ましい』


『……どういう意味だ?』


『私は……本当は……もう、とうに余命を過ぎているんです』


『…………余命、を?』


『はい。お坊っちゃまの魔力を頂いていなければ、きっと今頃は死んでいました。結婚の契約は一年なのに……本当は一ヶ月程度しか持たなかったかと。辺境伯様を騙して嫁いでしまい、申し訳ありません。危うく、立派なお屋敷で死人を出す所でした』


『……前に再婚は考えていない、実家に帰って一生を過ごすと言ったのは』


『はい。正しくは、実家で一生を終える為です。ご迷惑はお掛けしたくなかったのですが、足がこんな風になってしまい結局ご迷惑を……申し訳ありません』


『父親に命じられたのか? 家の為に、死にそうな身体を売れと』


『いえ……私の意思です。残り少ない命なら、辺境伯夫人として贅沢に暮らしたいと思いまして。お金を頂ければ、実家で立派な棺も用意してもらえますし』


『棺ならもう用意されているんじゃないのか』

『……え?』


『死にかけていて、ずっと棺に寝かされていたんだろう? ……義理の母親に。他にも色々と虐待を受けていたんじゃないか? 暴力を振るわれたり、食事を抜かれたり』


『いえ、虐待などではありません。私が至らなかったから……躾の為です』


『セレーネ。では君は、ヘリオスが我が儘を言ったからと言って、叩いたり蹴ったりするのか? 何日も水だけで過ごさせたり、腐った物を食べさせるのが躾だと? もし兄上がヘリオスにそうしていたとしたら、君は兄上を素晴らしい父親だと思えるのか?』


『いいえ……いいえ……!』


『だったら君が家族にされたことも、躾などではないんだよ。軽蔑したり、もっと怒っていいんだ』


『怒って……?』


『いくら家族でも、君の心身を脅かす権利はないのだから。害されたら怒っていいんだ』


『ですが……育ててもらったのに』


『育てて……ね。出自にかかわらず、親には子を育てる責任がある。当たり前のことに恩を感じる必要はない』


『……ご存知だったのですか? 私が私生児であることを』


『ああ。結婚した後にだけどね。もし結婚前に知っていたとしても、僕はこの縁談を勧めていたし、兄上も君を受け入れていたと思う。出自なんかよりも、大切なのは “今” なのだから。……もっと自分を大切にするんだよ、セレーネ。ヘリオスやうさぎを可愛がるみたいにね』


『…………はい』


『ところで、兄上に嫁いで贅沢は出来たのか? それが君の目的だったのだろう?』


『はい、とても』


『どんな贅沢をしたんだ?』


『ええと……中庭付きの綺麗なお部屋を頂いたり、綺麗な糸と布で好きなだけ刺繍をさせてくださったり』


『ふっ……他には?』


『その刺繍をヘリオスにすごく喜んでもらえて、 “おかあさま” って……“大好き” って言ってもらえたり。家族と一緒に食卓を囲んで、美味しいご飯やおやつを食べて、沢山話して沢山笑って』


『うん……それはすごい贅沢だな。他は?』


『素敵な街を自分の足で歩いて、可愛いお友達まで頂いたり。街の人も、お屋敷の人も、侯爵夫妻も、ハーヴェイ様も。みんなみんな優しくて……』


『うん』


『辺境伯様も…………優しい。すごく優しいのに、いつも心臓が苦しくなります。苦しくて苦しくて痛いのに、未来を願ってしまう。叶わない約束を重ねて、少しでも先の未来に繋げたくなってしまう。沢山贅沢したせいで……私、おかしくなって……こんな……こんなに……』



『……君は涙まで綺麗だな。本当に、全部が綺麗だ。こんな涙を見られるなら、もっともっと贅沢させてあげたくなってしまうよ。……言ってごらん、僕が何でも叶えてあげるから』


『何……でも?』

『うん、何でも』


『…………役に立ちたい。辺境伯様の役に立ちたい。呪いで苦しんでいる人達を救って、現場に残っている兵器を処理して。辺境伯様と……優しくしてくれたラトビルス領の人達に、素敵な未来を贈りたい』



 ◇


 泣きながら私を抱き締めてくださったハーヴェイ様を思うと、心苦しくなる。

 寿命が見えるという重大な秘密を打ち明けてくださったのに……私は嘘を吐いてしまった。


 楽になりたくて、思わず死体だと打ち明けてしまいそうになったけれど、怖くてやっぱり躊躇ってしまった。

 咄嗟に口から出たのは、もしもの時に備えてジュリと用意していた嘘。死にそうなのも死んでいるのも、どちらもお怒りになるだろうけど……死にそうだと言った方が、気味悪がられないと思ったから。


 もしあの時、本当は死体なのだと言っていたら、ハーヴェイ様はどんな反応をされたのだろう。

 ……棺なら用意されているのではと言われた時には、一瞬ドキッとした。実家のことも色々調査されていたみたいだし、もしかしたら本当は全てをご存知なのではと思ったけれど。もしそうであれば、死体に対して『綺麗だ』なんて言葉は出ないはずだ。……今までと変わらず接することも。


 何でも叶えてあげると言われて、私はまた愚かにも自分の未来を願いそうになった。中身だけでなく、見た目もどんどん壊れている死体なのに。


 スカートをたくし上げれば、まるきり力の入らない、ふにゃふにゃの左足が見える。引きずれば何とか歩けるけれど、そうすれば今度は負担の掛かる右足を壊してしまう。足の次はどこだろう? 刺繍でよく使う右手? その次はきっと左手……

 半年どころか、もっともっと短くなるかもしれないと考えゾッとする。


 せっかく役に立てることを見つけたのだから、身体が使えなくなる前に、早く動き出したい。ハーヴェイ様も、そんな私の我が儘をサポートすると仰ってくださった。



『私の許可なしに、その特異体質とやらを使うことは絶対にさせない。……使わないと、約束してくれセレーネ』



 ……「はい」と答えなかったのだから、約束はしていない。約束はしていないのだから、破ることにはならないわよね。

 兵器の処理が上手くいったら、今度は呪いで苦しんでいる人達を救いに行きたい。

 ラトビルス領では、戦時中に浴びた呪いの兵器の後遺症で、子や孫の代まで苦しんでいる人達がいると聞いたから。


 役に立ちたいという自分の願いが、辺境伯様と奥様の夢に繋がるのなら、これ以上の幸せはない。

 だから、もし辺境伯様が頑なに反対されるなら、その時は死体だということを打ち明けよう。もう死んでいる、朽ちて骨になるだけの身体だとお分かりになれば、心配もされないし罪悪感も沸かないでしょう。……いっそ使い捨てだと思ってくだされば楽だわ。


 ハーヴェイ様は自分を大切にと仰ってくださったけど、死んでいるのだから大切にしようがない。だけど……少しだけ、考え方を変えてみる。

 自分がラトビルス領の役に立てば、死体を送りつけた実家のことを赦していただける。赦していただければ、 “自分が” 安らかに眠れる。実家の為じゃなくて、自分の為。少しだけ、そんな風に。


 頑張ってくれた左の膝を撫で、右膝に祈りを込めながらスカートを戻す。そのままベッドへ上半身を倒し、ゆっくり仰向けになると、暗闇を求めて手元のランプを消した。それでもまだチカチカとうるさい残像を消そうと、閉じた瞼を腕で覆う。

 辺境伯様と星を見たのは、つい昨日のことなのに。瞼に残る眩しい光は、遥か遠い昔に感じる。


 ハーヴェイ様の秘密に、辺境伯様の過去。

 どちらも一人で抱え苦しまれて……背中を撫でることしか出来ない自分がもどかしかった。

 頭も心も一杯で、今日はとても疲れた気がする……こんな夜は、夢も見ない程ぐっすり眠れたら、どんなに救われるか。


 寿命…………ああ、あんなこと訊かなきゃ良かったな。



『ハーヴェイ様、もし死んでいる人を視た場合には、寿命はどのように映るのですか?』


『何も。寿命どころか、そもそも死体にはオーラが視えない。物でも人でも、未来がないものには、何も視えないんだ』



 空っぽの砂時計でも、 干上がって底がひび割れた湖でもなかった。

 器すら視えないのは、特異体質のせいなんかじゃなくて、私がそもそも死体だから。

 未来のない……死体だから。



 ◇◇◇


「お熱の原因は、呪いの魔力にご自身の魔力が過剰に反応された為だと思われます。命の危機に瀕した場合、稀に魔力が高まる場合もありますが、この熱の上がり方を見る限りでは違うでしょう。お身体の怠さも残っていらっしゃるでしょうし、念の為、あと二~三日は安静になさっていてください」


 診察を終えた医師が出て行くと、ハーヴェイは眉間に皺を寄せる兄の枕元に座った。


「そんな顔をなさらないでください。あれ程の呪いを浴びたのですから、お命が助かっただけでも幸運なのですよ。工事なら少しくらい遅れたって……」


「セレーネの足は大丈夫なのか? 随分気遣っていたみたいだが」


「……ああ、さすがに屋敷とここを何度も往復して疲れたみたいなので。足に負担が掛からないよう、くれぐれも注意致します。兄上が回復されるまで、夫の代わりも務めますのでご心配なく」


 ピリッとした空気を、キリルは浅く吸い込み、冷静に弟へ向かう。


「……それなら、セレーネが明日、工事現場に行かないように見張っていてくれないか? 約束を守ってくれるとは思うが……心配で」


「何故行ってはいけないのですか?」

「……危険だからに決まっているだろう」


「私が責任を持って付き添うので大丈夫ですよ。現場でもちゃんと抱いて歩きますし、“よくない” ものを視ながら、慎重に作業致します」


「絶対に無事だと言い切れるのか? 私には、夫として彼女を保護する責任がある」


「それは保護という名の束縛ですね。法律はどうだか知りませんが、夫だからといって妻を縛る権利はありませんよ。……自ら役に立ちたいと言ってくれた、セレーネの気持ちを考えてください。危険だと仰る気持ちも分かりますが、安全だと思う場所にだって危険は潜んでいるものでしょう。人間、いつどこで死んでしまうかも分からないのですから」


 口調は軽いのに、空色の奥には炎が揺らめいている。そんなハーヴェイに対し、キリルの顔は怒気を孕み始めた。


「屁理屈を言うな。結婚したことも、一人の女性に責任を持ったこともないお前に何が分かる。本当に大切に想うなら……あんな所になど絶対に行かせられないはずだ」


「さあ、どうでしょう。愛し方は人それぞれですから」


「…… “義弟” のお前には、セレーネを愛する権利すらない。それがあるのは夫だけだ」


「せっかく権利があるのに無駄にしているじゃないですか。兄上が愛しているのは、今でもアイネ一人なのでしょう? すぐ傍のセレーネから目を逸らして……永遠に……遠い悪夢から抜け出そうとしないじゃないですか」


「……抜け出すよ」


「え?」


「セレーネとは離縁しない。契約結婚は解消し、私の本当の妻にする」


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