第15話 高揚する死体です。

 

 街へ向かう馬車の中、ハーヴェイ様の三人の恋人の話を聴きながら、私はノートにペンを走らせていた。


 まず一人目は、アリボン国の伯爵だという、ハーヴェイ様より大分歳上の女性。年齢は秘密。アリボン国では女性が爵位を継承することが認められている為、独身のまま自由気ままに暮らしているという。

 二人目は、首都に住む平民の女性。夫亡き後に引き継いだ事業を成功させ、大金持ちになった。ハーヴェイ様と同じ26歳。まだお若いが、仕事が生き甲斐で再婚願望は一切ない。

 三人目は……と説明の途中で、ハーヴェイ様はぷっと吹き出した。


「私の奔放な交際関係を真面目に書き記してくださる女性は、貴女が初めてです」

「……贈り物を選ぶなら、その方を知らないとと思いまして。皆様のお好きな色やドレスの型、ご趣味などは?」

「知りません。髪型やら服装やら、会うたびにコロコロ変わっていますし。女性は飽きっぽいですからね」

「そうですか……」

「適当でいいんですよ。貴女の感覚で、良いと思った物を選んでくだされば」


 適当……感覚……流行りなど全く知らない私に選べるのかしら。三人とも独身で、結婚願望のない自立した女性。お金持ちで目も肥えていらっしゃるでしょうし。


「ほら、大通りに着きましたよ。ここで降りましょう」


 ハーヴェイ様は先に降りると、颯爽と手を差し伸べてくれる。その手を取り、見下ろした地面には、実家のあるサフライ領の街では見たこともない、美しい石畳が広がっていた。薄桃色の一枚に爪先からそっと降りれば、自分が立っている場所が、大きな薔薇の花びらの中だということに気付く。


「綺麗……」

「フロイターゼ国の職人がデザインした石畳です。ここはローズ通りなので、石畳だけでなく、あらゆる所に薔薇が描かれているのですよ」


 顔を上げれば、ずらりと並んだ店先や窓に薔薇が飾られている。薔薇の刺繍の旗や、薔薇の壁画、薔薇のステンドグラスも。その全てが見事に調和していて、街全体がまるで美術館のようだった。

 日が傾き始め、通りが美しい色を失う前に、街灯が連鎖しながら灯る。太陽が映す鮮やかな色から、夜の深い色へ変わっていく束の間の光景。感動で胸が一杯になり、ほうとため息が漏れた。


 目が見える死体でよかった……


 しばらくその場に立ち尽くしていた私を、ハーヴェイ様は急かすこともなく、気が済むまで見守ってくれていた。




 茶系の薔薇が彩るシックな外観に惹かれ入ったのは、ラトビルス領の伝統的なアンティークのお店。

 そこで目についた、美しいレース刺繍の手袋や、絹のハンカチ、銀細工の髪飾りなどを選んだ。値段を見るたびに、大切な鼓動が何度も止まりかけたけど……ハーヴェイ様は何も気にせず、私が良いと言った物を、片っ端から店の人へ預けていく。


 こんなに高級なお店だなんて知らなかった……せっかく買ったのに、皆さんに気に入っていただけなかったらどうしよう。

 というか……そもそも……


「あの、私は殿方とお付き合いしたことがないのでよく分からないのですが……他の女性が選んだ物を贈ったりして、ハーヴェイ様の恋人は不快に思われないのでしょうか?」


 ここでやっと素朴な疑問を口にすると、軽い調子で返答された。


「ああ、大丈夫ですよ。誰が選んだかなんてわざわざ言いませんし。言ったところで気にするような女性達じゃありません。恋人の数も、その他のあれこれも、全て伝えた上で交際していますからね」


「そう……なのですか」


「ええ。恋人に自分の未来を委ねたり、重ねたりしてはいけません。お互い今が楽しければそれでいいのです。……あ、そのブローチもいいですね。石違いで三つ買いましょう」


 道端の石ころをつまむかの仕草でブローチを取り、店の人ヘ渡すハーヴェイ様。ダンスの時には近くに感じたその姿が、今はとても遠くに感じる。


 ……男女の関係とはそういうものなのだろうか。だからお父様も、お義母様という立派な妻がありながら、私のお母様と関係を持ってしまったのだろうか。

 ただ、“今” を楽しみたかっただけなのに、私を妊ったことで “未来” に重なり、お父様の家庭に影を落としてしまった。

 自分が家族として受け入れられなかった理由がそこにあるのだとしたら……ハーヴェイ様の言葉の意味も理解出来る気がした。




 アンティークのお店が素敵で長居し過ぎてしまった為、恋人達への土産はもう充分だと言われた。

 次はヘリオスの贈り物を選ぼうと、玩具店へ向かう。


 すっかり日は沈み、月と街灯だけが石畳を浮かび上がらせる。危ないからどうぞと差し出された腕に、おずおずと手を掛け、影が伸びる硬い薔薇の上をゆっくり歩いた。



 玩具店のショーウィンドウには、可愛い玩具達が、オレンジ色の温かな灯りに照らされている。

 その中で、私はある物に目を奪われ、思わず硝子にペタリと張り付いてしまった。


「可愛い……」


 円らな栗色の瞳でこちらを見つめる、ふわふわのラベンダー色のうさぎのぬいぐるみ。他にも黄色の猫や、水色の犬など、珍しい色の動物達が並んでいた。


「毛と瞳の色をオーダー出来るぬいぐるみですね。人気なんですよ」

「どの動物に、どんな色を選んでもいいのですか?」

「ええ。ヘリオスがもっと小さい頃に作ったことがありますが……毛も瞳も、確か二十色くらいの中から好きな色を選べましたよ。耳や尻尾だけ色を変えたり」

「素敵……自分だけの、夢のお友達ね」


 鼻を硝子にくっつけ、夢中で可愛い子達を覗く。

 どれくらいそうしていたのだろうか。ショーウィンドウに反射するハーヴェイ様の姿に、はっと我に返った。パチリと硝子越しに目が合うと、意味深な笑みを浮かべられる。


「……ヘリオスはもうぬいぐるみよりも、ああいう方を喜ぶでしょうけどね」


 船の模型を差す長い指が、私を夢の世界から現実へ引き戻す。

 子供みたいで恥ずかしいわ……

 うつむきながらショーウィンドウを離れると、とぼとぼと店内へ入った。



 さっき見た船の模型を作れるセットを購入し外へ出ると、ショーウィンドウの前で、お坊っちゃまと同じくらいの男の子が目に涙を浮かべ、母親らしき女性へ何かを訴えていた。


「船! あの船欲しい!」

「この間お誕生日プレゼントをあげたばかりでしょ? 次のお誕生日まで我慢しなさい」

「次の分を今欲しいの! 次はいらないから!」

「駄目よ! どうせ次のお誕生日になったら、またその次のお誕生日の分を欲しがるのでしょう?」

「絶対言わない! 次は我慢するからあ! ねえお母さあん……」

「駄目ったら駄目! もう……どうして今日はこんなに聞き分けが悪いのかしら」


 そのやり取りを見ていたハーヴェイ様は、おもむろに母子へ近付いていく。すっとしゃがむと、今買ったばかりの包みを男の子に差し出した。


「これ、あの船なんだけど。間違えて前と同じ物を買っちゃったんだ。返すのも面倒だし、よかったら君がもらってくれないか?」


 ぱあっと顔を輝かせる男の子の隣で、母親は困惑の表情を浮かべている。


「あの……」

「急いでいるので、受け取ってもらえると本当に助かるのだが……いけないか?」


 ハーヴェイ様の顔を見て、母親は頬を赤らめながら小声で言った。


「そんな……本当によろしいのですか?」

「もちろん。こちらが頼んでいるのだから」

「お兄さん! これくれるの? ほんとに本当?」

「……ああ」


 ハーヴェイ様は、大きな手を男の子の頭に乗せ、優しく微笑む。

「素晴らしい船を作るんだよ。どこでも好きな場所へ行けて、いつでも好きな場所へ帰って来られる船を」


「うん! ありがとう!」

「ありがとうございます」


 見えなくなるまで何度もお礼を言いながら、手を繋いだ母子は路地を曲がって行った。

 振っていた手を下ろし、拳を作ると、ハーヴェイ様は重い声で呟く。


「次は……未来は、当たり前にはやって来ない。あの子は……」


 顔が苦しげに歪められ、空色の底に深い影が浮かぶ。私の視線に気付くと、ふっと表情を和らげ、今まで通りの軽い口調で言った。


「……なんてね。金が有り余っていると、気まぐれでああいう善人ぽいことをしたくなるんですよ。ヘリオスの分をもう一度買いに行ってもいいですか?」

「……はい」


 見上げる程に高くて広い背中。それは何かに怯えて、一人きりで震えている気がした。




「さあ、そろそろ馬車に戻りましょうか。貴女のおかげで素敵な土産を買うことが出来ました。ありがとうございます」

「いいえ。こちらこそ、綺麗な街を案内していただいてありがとうございます」


 さらっと差し出された腕に手を掛け、停車場へ向かう。

 こうして歩くのも、少しだけ慣れてきた……かしら?


 停車場に近付くにつれて、ふわりと漂う甘い香りと賑やかな声。ローズ通り入口の広場には、来た時にはなかった屋台があり、薔薇の形のパンや焼き菓子などが売られていた。

 沢山の人が集まり、好きな場所で好きなように食べたり飲んだりしている。ふと、その中の何人かが手にしている、細い瓶に目が止まる。美しい薔薇の花が浮かぶ透明なそれに、皆美味しそうに口を付けては、ごくごくと喉を動かしていた。


「あれは……」

「薔薇の砂糖水です。ジュースのような物ですよ」

「とても綺麗ですね」


 私の言葉に、ハーヴェイ様はすっと屋台へ向かい、二本買って一本を差し出してくれた。


「あの、私は」

「飲んでしまうのが勿体ないくらい綺麗でしょう。一晩、鑑賞用として部屋に飾った後、ヘリオスの魔力でお飲みになれば一石二鳥ですよ」

「……ありがとうございます」


 彼はにこりと笑うと、自分の瓶の蓋を外し、周りと同じく美味しそうに喉へ流し込む。


 もしかしたら……私も飲めるんじゃないかしら。

 ダンスも踊れて、街も歩けて、買い物も出来たのよ。身体は平気なのに、心が怖がっているだけかもしれない。お水くらい……きっと、勇気を出せば。


 お祭りみたいな雰囲気に気分が高揚し、私も蓋を開けてしまう。瓶に口を付け、冷たい液体をぐっと舌に流し入れた瞬間……身体中の細胞が、激しい拒絶反応を起こす。


 苦しい……苦しい……


「……義姉上?」


 ゲホゲホと激しく咳き込み、震える手からは瓶が滑り落ちた。


 ガシャン!!


 濡れた石畳に散らばる、美しい花びらと破片。立っていられず、その上に崩れ落ちた。

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