第13話 捕まりそうな死体です。

 

「……死体?」


 聞き捨てならない言葉に、キリルは眉根を寄せる。

 ハーヴェイは残りのワインをさらりと喉に流すと、空のグラスをくるくると回しながら、ふっと息を漏らした。


「そんな怖い顔をなさらないでくださいよ。ほんの冗談です」

「冗談?」

「あんなに綺麗な女性が死体である訳ないでしょう。……禁忌の黒魔術で蘇ったのでもない限り」

「黒魔術……」


 繰り返すことしか出来ないキリルに、ハーヴェイは手酌でグラスを満たしつつ楽しげに語る。


「治癒魔力の使い手の中には、死体を蘇らせる程の卓越した魔力を持つ者がいるそうです。法に触れる黒魔術ですので、実際に使う者はまずいないでしょうが。蘇ると言っても本当に生き返る訳ではなく、死体が限界を迎えるまで、魔力で無理やり動かすだけらしいですし」


「彼女が……その動く屍だとでも?」


「いいえ。死体そのものにオーラを視ることは出来ませんが、黒魔術を使ったものには “よくない” オーラが視えるはずです。しかし彼女には、“よい” も “よくない” も何も視えませんでした。ですので、私の魔力を弾く何らかの魔力を、彼女が持っていると考えるべきでしょう」


「……彼女に魔力はないよ。魔力量を検知する魔石にも全く反応がなかった」

「目覚めていない、秘めた魔力があるのかもしれません」

家令ジェファードが操る魔石は高品質で、どんなに微量な魔力にも反応するはずだが」

「うーん、不思議ですねえ」


 ハーヴェイは、水のようにさらさらとワインを呷りながら首を傾げる。


「この縁談には、確かに “よい” ものを視たんですけどね」


「もう一度確認するが……彼女の父親のバラク侯爵に初めて会ったのは、首都で開かれた建国記念祭だったな? そこでいきなり資金援助の話を持ち掛けられたと」


「はい。バラク侯爵の事業は、年々経営悪化の一途を辿っていますからね。“よくない” ものが視えましたし、適当に相槌を打ってやり過ごしていたら、今度は娘の縁談を世話してくれないかと頼まれまして。平民でも死にそうな老人でも構わないから、実家への援助を望めるような、金持ちと結婚させたいと」


 一層深くなる兄の眉間の皺に、ハーヴェイは口角を上げながら続ける。


「すぐに断ろうかと思ったのですが、丁度兄上がリュゼ嬢との縁談話に頭を悩ませていらっしゃったので、咄嗟に契約結婚を思い付いたのです。金欲しさに娘を売るろくでもない親なら、逆にこちらが利用してやれと。後日送られてきた釣書と調査書を視た結果……兄上にとって、非常に“よい” 結婚相手だと判断した為、お勧めした訳です。病持ちの魔力なしであることなど問題にならないくらいにね」


 キリルはグラスのふちに薄い唇を付け、ほんの少しだけ流し込むと、深く息を吐いた。



「で……どうですか? 私の “眼” に狂いはなかったですか?」


「……ああ。いいすぎて、胸が痛むよ。離縁後、彼女が辛い思いをしないように……幸せになれるように、良い再婚相手を見つけて欲しい」


「心配要りませんよ。あんなに若くて美しい女性なら、たとえ再婚でも引く手あまたでしょう。離縁に寛容な、フロイターゼ国に嫁ぐ手もありますし」


「そのことだが……再婚先は国内、出来ればこのラトビルス領の近くにして欲しい。彼女の病は見た目以上に重く、ヘリオスの魔力が継続的に必要なんだ」


 キリルは、ヘリオスの魔力を摂取したセレーネが、嫁いだ当初に比べてどれ程変化したかを伝える。


「へえ……今でも白くて華奢過ぎるとは思いましたけど。そんなに変わったんですか」

「ああ、まるで別人だ。最初は痩せているどころか、骨にドレスを纏っているような……それこそ」


 “死体みたいだった”

 思わずそう言いかけて呑み込んだ。


「そういうことなら近くで探しますけれど。そういえば、ラトビルス領こっちに住む友人が、身を固めたいと言っていたな。身分は準男爵ですが、輸入販売事業で成功している金持ちですので、再婚相手としては申し分ないでしょう」


「……身分や金だけでは駄目だ。もしも彼女の病が悪化して、元の容姿に戻ったとしても、変わらず大切にしてくれる男ではないと。彼女の容姿ではなく、優しい内面を見てくれるような、そんな男を紹介して欲しい。お前にはそれを視る “眼” があるだろう?」


 両手で苦しげにグラスを握るキリルを、空色の瞳がじっと見据える。


「分かりました。セレーネ嬢の為に、“眼” を凝らして最高の再婚相手を探しますよ。でも……よろしいんですか? すぐに会えてしまう距離で彼女が再婚などしたら、後々兄上が苦しくなるのでは?」


「……どういう意味だ」


「いえ。なんとなく……そんな気がしただけです。あ、そうそう、一つ気になっていたのですが。侯爵夫妻の前で彼女に愛妻を演じさせるなら、“旦那様” ではなく “キリル様” と呼んでもらった方が良いのでは?」



『キリル様』



 今でも耳に残る、太陽のように明るい声。

 生涯でただ一人、自分をそう呼んだ女性の記憶が胸に押し寄せ、キリルのグラスが小刻みに震え出す。


「アイネだけ……私を名前で呼ぶ女性は、生涯アイネだけでいい」


 愛しさも哀しみも後悔も、気を抜けば溢れてしまいそうな全てを、キリルはワインと共に一気に呷る。

 弟が手にしていた瓶を魔力で奪い取ると、乱暴にグラスに注ぎ、全て一気に飲み干した。

 トンとテーブルに置かれた空のグラス。その硝子の壁に、葡萄色えびいろの雫がゆっくりと伝い底に落ちていくのを、兄弟はただ眺める。しばしの沈黙の後、ハーヴェイはまた軽い調子で言った。


「まあ……セレーネ嬢のことは私にお任せください。兄上に縁談を勧めた責任がありますからね。彼女の魔力も、滞在中にそれとなく探ってみますよ」




 ◇◇◇


 今日のお昼も、可愛いお坊っちゃまと二人で楽しく……のはずが……

 目の前にはハーヴェイ様が座り、フォークを手に、にこやかな空色の瞳をこちらへ向けてくる。


 きっと私に何かを “視た” はずなのに……何も咎められることはなく、今日もいつもと変わらない一日が始まってしまった。

 辺境伯様には言わないでいてくださったのかしら。それとも……気付かないふりをして、何かを探っている?

 また、底のない空色に捕まりそうになり、慌てて皿に視線を落とした。


「お昼はいつも二人きりなんですか?」

「はい。辺……旦那様は仕事でお忙しいので」

「勿体ないなあ。こんなに美しい方と食事が出来るのに。私なら仕事なんか全部放り出してしまいますよ。なあ、ヘリオス?」

「はい! 勿体ないです。お父様も一緒に食べればいいのに」

「じゃあお父様の代わりに、今日から叔父様も一緒に食べていいか?」

「うーん、いいけど……たまにはお義母様と二人になりたいです」


 ね? と同意を求めるように笑うお坊っちゃまが可愛くて。ふにゃふにゃと顔が緩んでしまう。

 お坊っちゃまと居ると、いつもこんな風に締まりがなくなってしまうわ。


 素直な甥にハハッと笑うと、ハーヴェイ様はナプキンで口を拭いて言った。


「義姉上、午後は何か用事があるのですか?」

「ダンスの先生がお見えになるので、ホールでレッスンをしていただく予定です」

「ダンスの先生って……もしかして、コナ先生ですか? ベテランの、初老の、女性の」

「はい。私は病で一度も踊ったことがなかったのですが、基本から丁寧に教えてくださっています」

「兄上と踊ってみたことは?」

「いえ……緊張して、本番で足を踏んでしまわないと良いのですけれど」


 ハーヴェイ様は目を見開き、信じられないという風に首を振る。


「コナ先生は女性にしては長身ですが、男性と踊るのとでは全く勝手が違うでしょう。特に兄上は男性の中でもかなりの長身ですし、ダンス未経験の貴女がそのまま本番を迎えられたら驚かれるのでは」


「……そうですか」


 ハーヴェイ様の言葉に一気に不安になる。本当はダンスの華という、フロイターゼワルツを踊れたら良いらしいけれど、それはステップが難しく、男性の激しいリードに上手く付いていかなければいけない。コナ先生の判断で、出来るだけ身体に負担がかからず、ステップが簡単だというダンスを教わっているのだけれど……


「では、私がレッスンにお付き合いしますよ」

「……え?」

「兄上とは身長も体格も同じくらいですし、女性をリードするのは大得意ですから……ね?」


 淡い空色が妖しい色を帯び、キラリと光った気がした。


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