第12話 怯える死体です。
腰を伸ばし、今度は高い位置から私を見下ろして、さっきとは反対側に「う~ん」と首を傾げる。
……そんなに “よくない” のかしら。オーラがどんな風に視えるかは分からないけれど、とにかく今までに視たことがないくらい、“よくない” んじゃないかしら。全身がドロドロ汚い色に包まれていたりとか、顔に影が渦巻いていたりとか。
なにせ黒魔術で動いている死体なのだから……
握手をしたままの手に、じわりと汗が滲んでしまう。
もし死体だとバレたら……きっと気味悪がられて、追い出されてしまう。頂いたお金も返さなくてはならなくて……ううん、それどころか慰謝料を請求されてしまうかも。大切なお坊っちゃまが、死体の手からご飯を食べさせられていたなんて知ったら……辺境伯様がどんなにお怒りになるか。
せめて二週間後の、辺境伯夫人としての役目は果たさせてもらえるといいのだけど。その後は、下女として汚物の処理でも家畜の世話でも何でもすれば……お金だけはどうにか許していただけないかしら。
せっかく実家を助けることが出来たと思ったのに、役立たずどころか迷惑を掛けてしまったらやりきれない。
怖くなり下を向いていると、低い声が静かに響いた。
「ハーヴェイ、失礼じゃないか」
辺境伯様の声にやっと手を離してくれたハーヴェイ様は、やっぱり軽い調子で言う。
「これは……失礼。義姉上があまりにもお美しいので、見惚れてしまいました」
恐る恐る顔を上げれば、空色の瞳とパチリと視線がぶつかる。にこりと微笑みかけられ、とりあえずひきつった笑みを返すしかなかった。
「北方の女性は美人と評判ですが……これ程までに美しい方にお会いしたのは初めてです。これではカプレスク侯爵夫妻も納得するしかありませんね。例のご令嬢とは品も格も違う」
品に……格。下女同然の暮らしをしてきた私生児の私に、そんなものがある訳ないのに。
なんと答えたらいいか戸惑っていると、今度は高い声が元気に響いた。
「そうでしょう! お義母様は、とってもお綺麗なんです! 世界中のどんなお姫様よりも、きっと一番綺麗ですよ」
鼻を膨らませてハーヴェイ様に向かうお坊っちゃまに、さっきまでの恐怖は吹き飛び、顔がふにゃりと緩んでしまった。
「そうだな、きっと一番綺麗だ。君の自慢のお義母様なんだな」
ハーヴェイ様に茶色い巻き毛をぐりぐりと撫でられたお坊っちゃまは、「うん!」と嬉しそうに笑う。
「セレー……ネ、侯爵夫妻の滞在中、私が傍に居られない時は、何でもハーヴェイに頼るといい。彼は、私よりもずっと社交上手だから」
「はい、ありがとうございます。辺境は……旦那様。ハーヴェイ様、よろしくお願い致します」
「……こちらこそ、よろしくお願い致します。義姉上」
空色の瞳が私と辺境伯様を交互に見て、楽しげに細められた。
甘い焼き菓子と、深い紅茶の香りが充満する食堂。見ているだけで幸せになる華やかな食卓を、四人で囲んでいる。聖なる日でもないのに、今日は特別に同席を許可していただけたのだ。
隣からはお坊っちゃまが、私へ満面の笑みを送り続けてくれる。
昼と聖なる日の夜以外の時間を、一緒に過ごすのは初めてだものね。それに……おやつの時間は、お坊っちゃまにとって一番大切だから。こうして隣に居させてもらえるなんて嬉しいわ。
「今日のおやつは、叔父様のお土産をいただきます!」
ふっくらした手が、星の模様の可愛い包み紙を開く。中には、小さな星形の粒が、淡く優しい色で輝いていた。
「まあ! とっても綺麗ですね。お星様みたい」
興奮してお坊っちゃまよりも大きな声を上げてしまった私を、ハーヴェイ様は
「フロイターゼ国で最近流行っている砂糖菓子です。綺麗でしょう? 噛めるキャンディのような物です」
「お父様! これは小さいから、“一個” じゃなくてもいいですか? 何個食べていいですか?」
「そうだな……十粒なら食べてもいいだろう」
「十個も!? やったあ!」
青い瞳をキラキラ輝かせながら、自分の指で、黄色い星をつまみ口に放るお坊っちゃま。
ぱあっと溢れる笑顔に、大人達も自然と笑顔になっていた。
味覚の成長を阻害すること、また、栄養過多を防ぐ為、魔力をコントロール出来るようになるまでは、自分でご飯を食べられないお坊っちゃま。だけどおやつだけは、自分の手で、一日に一つだけ口にすることが許されている。
お坊っちゃまにとって、一番楽しみで大切なおやつ。味や食感が良いことはもちろん、見た目にも子供心をくすぐるおやつが用意されるのだと聞いた。一番最初にもらった、あの珍しい虹色のキャンディも、辺境伯様がアリボン国から仕入れた物らしい。そんな特別なおやつを、お坊っちゃまは私に分けてくれたのだ。
「美味しい……星って、甘くてシャリシャリしているんだなあ」
えくぼの頬っぺたを押さえ、うっとりと言う。
「シャリシャリしているのですか?」
「はい、お義母様も食べてみてください! 何色の星が好きですか?」
「そうですね……どれも綺麗で迷ってしまいます。お坊っちゃまが選んでくださいますか?」
「じゃあ……これ! お義母様みたいに綺麗です」
お坊っちゃまは真っ白な星をつまみ、私の口へ「どうぞ」と丁寧に入れてくれた。
美味しい……噛むとシャリっとして、舐めると甘くて。
幸せ……今、この瞬間が本当に幸せ。
死体だとバレてしまう前の、最後の幸せなのかもしれない。
もしも天国があったら、こんな場所なのかしら。いつか、暗い棺の中から、こんな明るい場所に逝けたらいいなあ……
身体に広がる温もりと共に、幸せの余韻を味わっていると、辺境伯様が少し厳しい口調で言った。
「セレーネ、“お坊っちゃま” ではなく “ヘリオス” と。息子に敬語は止めなさい」
「あっ……申し訳ありません。辺きょ……旦那様」
辺境伯様の想い人……からの妻、そしてお坊っちゃまの義母を演じる為、呼び方や話し方に気を付けているのだけど……なかなか慣れないわ。あとたったの二週間で、自然な雰囲気を出せるのかしら。
視線に気付き前を見れば、ハーヴェイ様が楽しげに私を見て……違う。何かを “視て” いる 。
薄い空色の瞳は、柔らかいのに深くて底が見えない。見えそうで見えない……あと少し……と探っている内に、逆に捕まってしまった。
怖い……どうしよう。
何とか目を逸らしヘリオスへ戻せば、美味しい星達が、瞬く間に小さなお口に吸い込まれていた。
今、何個目かしら。もうお約束の十粒は食べてしまったんじゃない?
心配になっていると、突然、お坊っちゃまの手元から星達が包み紙ごと消えた。何事かと状況を飲み込めずにいたけれど……お坊っちゃまの視線を辿って見たものに、あっと驚いた。
たった今までお坊っちゃまの手元にあった星達の包みが、何故か辺境伯様の掌にある。
お坊っちゃまは驚くこともなく、それを見て、ただがっかりとした表情を浮かべていた。
「十粒食べただろう。もう終わりだ」
「はい……ごめんなさい」
私の視線に気付いた辺境伯様は、自分の掌を見て、ああと頷きながら口を開いた。
「……私には、人が持っている物を奪ったり、逆に自分が持っている物を人へ送る魔力があるんだ。セレーネ、両手を出してみて」
ドキドキしながら出した両手には、突然星達の包みが現れた。一方、たった今まで包みがあった辺境伯様の掌からは、何もなくなっている。
「わあ……手品みたい」
私の言葉に、辺境伯様の目元がくしゃりと垂れる。その微笑みに、さっきのドキドキとは違う激しい鼓動が、心臓を容赦なく襲った。
「祖父から譲り受けた珍しい魔力なんだ。戦乱の世では、敵の武器を奪ったりと大活躍だったらしい。戦による犠牲者を最小限に抑え、国を勝利と平和に導いたその功績が認められ、辺境伯の地位と領地を賜ることが出来たんだ」
そういえば……先々代の辺境伯様が地位と領地を賜ったのは、戦で手柄を立てたからだと、侍女長から教わっていたわ。
「もし貧しければ一流の泥棒になれたかもしれないが、幸い暮らしには困っていないし。手品師になって人を楽しませるには、演技力も愛嬌も足りないし。戦もない平和な今の世では、あまり役に立たない魔力だな」
「いいえ……素敵です、とても。離れた人に、贈り物をすることが出来るのでしょう?」
辺境伯様はくすりと笑う。
「贈り物か……その発想はなかった。でも残念ながら、肉眼で見える距離の相手にしか贈れないんだ」
「それでも素敵です。柱の陰に隠れて、好きな人の腕に、突然花束を贈ったり」
「ふっ……驚いて落とすんじゃないか?」
「私なら絶対に落としません。綺麗な花束なんか、もう夢みたいで。消えないようにって咄嗟に抱き締めてしまいますもの」
「僕はお菓子がいいなあ。難しい算術の本が消えて、代わりに手がお菓子で一杯になったら嬉しい!」
「まあ、ヘリオスったら」
温かな笑い声が広がる食堂。本当に天国みたいな明るい光が、私達を包んでくれている気がした。
◇◇◇
「まるで本物の家族みたいでしたね。あの雰囲気なら、何も疑われることはないでしょう」
その夜、執務室のソファーで兄と向かい合うハーヴェイは、陽気にワイングラスを傾けていた。
反対にキリルは、ちっとも減らない
「……いい
「ええ、とても。外も内も美しい。ただ……視えないんですよね、何も」
「……視えない?」
「ええ。“物” にならよくあることですが、“人” で視えないことはまずない。考えられるとすれば、私の魔力を弾く魔力を持っているか、もしくは……死体か」
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