第11話 複雑な死体です。
何だろう、何の用事だろう、もう死体には見えないと思うけど……それでも死体は死体だし。
怯えやら不安やら……きっと複雑な私の顔を見て、辺境伯様は静かな声を更に和らげてくれた。
「……どんな用事かを説明するに当たり、私が一年間の契約結婚を望んだ理由をお伝えしなければなりません。聴いていただけますか?」
「……はい」
心地好い声に、耳を傾けた。
「このラトビルス領へ来る時に、舗装されていない酷い道を馬車で通って来られたと思いますが、実は今、あの道を舗装工事すべく計画を練っている所なのです。昔はあの道と険しい山が、他国の侵略を防ぐ砦の役割を果たしてくれましたが、アリボン国ともフロイターゼ国とも平和条約を結んで長く経った今となっては、逆に物資や人の流動を妨げる障害でしかありませんから。
我がラトビルス領が二国との貿易で栄え、外国人によって見識が広まったように、他の領地にも新たな風を吹かせることが出来ればと踏み切りました」
辺境伯様が治めるこのラトビルス領は、東にアリボン国、北にフロイターゼ国、そして西には険しい山がそびえ立っている。その為、他の領地から馬車で
平和条約を結ぶ前は、
舗装工事は他の領地、ひいては我が国の発展に必要なことでしょうけど……それと契約結婚がどう関係するのかしら。
「舗装工事については国王陛下の許可もいただいており、公共事業に認定され助成金も下りる予定です。問題なのが工事の技術で……あの道には浅い位置に特殊な岩盤があり、魔力保持者が作業しても、途方もない年月が掛かるのです。その為、隣のカプレスク領に、舗装工事用の魔道具とその技術者を提供してもらえないか交渉致しました」
確か……カプレスク領は、魔道具の製造技術で栄えた領地だわ。特殊な大型魔道具を沢山保有しているとか。
「カプレスク領とはこれまで良好な関係を築いてきましたので、今回の交渉もすんなりまとまり、無償で魔道具と技術者を提供してもらえることになりました。道が整えば、カプレスク領もより栄えるでしょうしね。ただ一つ、交換条件といいますか……悩ましい話を持ちかけられてしまいました」
アイスブルーの瞳が陰り、表情が固くなる。
「カプレスク侯爵の姪の、リュゼ嬢と再婚して欲しいという話です。リュゼ嬢は一昨年アリボン国に嫁ぎましたが、諸事情により一年も経たずに離縁され、カプレスク領に戻られたそうです。その後に開かれた夜会で、たったの一度だけ会った私のことを気に入ったと……カプレスク侯爵を通して再婚を申し込んできました」
思わぬ事実に息を呑む。
私との契約結婚の前に、辺境伯様に再婚のお話があったなんて……
「貴女に……こんなお話をするのは大変酷だと承知しておりますが、この国では離縁した女性への風当たりが強い。離縁後、年月が経てば経つ程、再婚は難しくなる。リュゼ嬢にはあまり “よくない” 噂があった為、なかなか再婚出来ず焦っていたようです。そこで私に白羽の矢が立ったのでしょう。魔道具や技術者と引き換えに、是非姪と再婚をと。
舗装工事は国の公共事業ですので、国王陛下がカプレスク侯爵に魔道具の提供を命じてくだされば済む話なのですが。カプレスク侯爵の母君は降嫁された王女殿下……つまりは国王陛下の姉君ですので、あまり強くは出られないのでしょう」
額に落ちる真っ直ぐな黒髪が、長い指で無造作に掻き分けられる。
「相手がどんな女性であれ、一生再婚などしたくなかったのに。よりによってあんな……」
辺境伯様は、私を見てハッと口をつぐむ。そして、少し気まずそうに続けた。
「……もちろん私も、一度会っただけのリュゼ嬢の噂を鵜呑みにした訳ではありません。彼女がアリボン国に嫁いでからのことを調査し、弟からも “視た” ことを聞きました」
「 “視た” ……?」
「ああ、弟のハーヴェイには、 “よいもの” と “よくないもの” を “視分ける” 魔力があるのです。物でも人でも。オーラが視えると言った方が分かりやすいでしょうか。よいものには積極的に近付き、よくないものは遠ざける。そんな彼も、リュゼ嬢は “よくない” と断言しました」
オーラを視る魔力……とても凄いけれど。視ただけで一線を引けてしまうから、相手を知るまで長く接する必要がない。便利なようで、実は複雑で寂しい魔力なのかもしれない。
自分は……弟様の目には、どう “視える” のかしら。死体なんだから、“よくない” に決まっているわよね。
「そこで弟から、この再婚話を上手く躱す為、期限付きの契約結婚をしてはどうかと勧められました。再婚を考えている想い人が居るのだと、カプレスク侯爵を欺いたらどうかと」
ああ、やっと話が見えてきたわ。
「その契約結婚の相手が貴女です。カプレスク侯爵は少々苦い顔をしていましたが、弟が紹介した別の男性とリュゼ嬢との再婚話が上手くまとまった為、関係にひびが入ることはありませんでした。魔道具と技術者の提供も正式に決まり、間もなく舗装工事に着工出来る予定です」
「良かった……」
ほうと胸を押さえ息を吐く私を、辺境伯様は何故か少し辛そうな顔で見ている。
「用事というのは……二ヶ月後に、カプレスク侯爵夫妻をこの屋敷に招待しなければいけなくなりまして。是非貴女に会いたいと言うのです。病があるからと断りましたが、決して無理はさせない、こちらから向かうと言われてしまいまして。……姪との再婚話を断り、娶った後妻がどんな令嬢か興味があるのでしょう。頑なに断れば、舗装工事を前に、関係にひびが入ってしまう。それだけはどうしても避けたいのです。ですから……大変申し訳ないのですが、貴女には人前で私の妻を演じてもらう必要が生じてしまいました。外出ではありませんが、正式な招待ですので夜会も催しますし、辺境伯夫人として多くの客人をもてなしていただくことになるでしょう」
演じて……
チクリとした心臓の痛みと共に、一気に冷や汗が吹き出し、背中が湿っていく。汗ならこんなに器用に出せるようになったけど……でも……
上手く演じることが出来る? たったひと月の、付け焼き刃の淑女教育しか受けていないのに。
「私に……務まるでしょうか。その……病気で……一度も社交界には」
「当日はなるべく私が隣にいますが、ずっと付きっきりという訳にはいかないので。二ヶ月の間に、侍女長から色々と教わっていただく必要があります。ですが、体調を最優先で、貴女のお身体に負担がかからないよう徹底致します」
「あの……体調だけでなく……私の容姿は大丈夫でしょうか? 辺境伯様やお坊っちゃまが恥ずかしい思いをされませんでしょうか?」
お坊っちゃまやお屋敷の人達は、この異質な容姿を差別することなく、いつも優しい言葉をかけてくれる。だけど……お屋敷の外の人達がどう思うか。
夜会だからそれなりに華やかなドレスを着なくてはならないでしょうし、悪目立ちして不快な思いをさせてしまったら。……私のせいで、二人が何か言われるのだけは嫌だわ。
「以前も言いましたが、この領地には大勢の外国人が行き交います。客人の中には、きっと小麦色の肌の人や、赤い目の人だって。何も気にすることはありませんよ。それに、私は貴女を……」
辺境伯様は薄い唇を開けたまま、私の目をじっと見つめる。何度目かの呼吸の後、それは初めて会った時と同じように、無機質にパクパクと開かれた。
「貴女のことを、醜いとは思いません」
アイスブルーの瞳が、すっと逸らされる。
醜くないと……そう言ってもらえたのに、心臓を冷たい手でギュッと掴まれたみたいな、変な感じがした。
◇◇◇
それから毎日、午前中の決まった時間に侍女長が部屋を訪れ、マナーレッスンや外国のお客様のもてなし方、辺境伯夫人としての心構えから、この屋敷や領地の歴史まで詳しく教えてくれた。
祖母程の年齢の侍女長は、気さくで優しく、不安はあったけれど、楽しく学ぶことが出来た。知識を身に付けるって、こんなに素晴らしいことなのね。
お姉様達と同じように家庭教師から学ぶことが出来れば、どんなに幸せだったのだろうと……たまにこんな風に考えてしまう自分が嫌になる。世の中には文字も読めない子がいるのに、私は父からもらった本のおかげで、読み書きと簡単な計算は出来るようになったのだから。卑しい私生児のくせに、半分貴族なのだという
昼になれば食堂へ行き、可愛いお坊っちゃまとご飯を食べる。午後は刺繍をしたり、ダンスの先生とホールでレッスンをしたり。
死体とは思えないくらい、充実した毎日を送っていた。
カプレスク侯爵夫妻の訪問まで残り二週間になった頃、辺境伯様の弟のハーヴェイ様が屋敷を訪れた。休養と辺境伯様のサポートを兼ねて、侯爵夫妻がお帰りになるまで、ここに滞在されるとのことだ。
私の前に立った彼は、背丈もお顔立ちも、辺境伯様とよく似ている。ただ、緩いウエーブの黒髪と、薄い空色の瞳から、辺境伯様よりもずっと柔和な印象を受けた。
挨拶を交わした後、ハーヴェイ様は握手をしたまま腰を折り、私の顔を覗き込む。
やがて「う~ん?」と軽い調子で言いながら、大きく首を傾げた。
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