第10話 贅沢すぎる死体です。

 

 ◇◇◇


 ────金色の雫が、頭から離れない。

 美味しくて幸せなのだと……そう言いながら泣く彼女にハンカチを差し出したのは、もう数時間も前のことだというのに。


 キリルは指でクラヴァットを緩めながら、ぼんやりと自室のソファーに腰を沈める。


 美人と評判の北方の女性。何度か会ったことはあるが、あんなに美しい女性は初めてだ。化粧や髪型で取り繕ったのではない。身体の内から溢れるような、清らかで神々しい美しさは……ヘリオスの言葉を借りるなら、まるで月……そう、月の女神のようだった。

 心根の優しさに加えて、容姿もあれ程までに美しい女性なら、きっと嫁ぎ先の幅も広がるだろう。


 ……あとは病の問題か。

 ヘリオスの魔力と、彼女の相性がよほど良いのか、たったの一週間で体調が劇的に変化したという。ジュリというあの侍女の話によると、完治した訳ではない為、健康状態を保つには継続的にヘリオスの魔力を摂取する必要があるらしい。

 普通なら菓子一つで満腹になるのに、あのリゾットを丸々一皿食べられたということは、彼女の身体が、それほどまでにヘリオスの魔力を欲しているということなのだろう。まるで底のない器のように。


 新しい嫁ぎ先に、定期的にヘリオスの菓子を送れたら良いのだが……となると、あまりここから離れていない方が望ましいだろう。

 新しい……嫁ぎ先……


 そこまで考え、キリルは深いため息を吐いた。



 何故あんなことを許可してしまったのだろう。契約結婚の相手がどんな女性であれ、ヘリオスと必要以上の接触などさせたくなかったのに。



『お義母様のご飯は、これから僕が全部、魔力で美味しくしてあげますね』

『ありがとうございます』

『あっ、でも……せっかく魔力で美味しくなっても、お義母様のお部屋に運ぶ間に冷めちゃいますよね』



 あの時、ヘリオスの言葉にはっとした。彼女の部屋はこの屋敷の一番端にあり、キッチンからは大分距離が離れている。今まで出していた食事は、彼女の元に届いた頃には、すっかり冷めきっていたのではないだろうかと。



『お気遣いありがとうございます。お坊っちゃまの魔力で、ぽかぽかになるので大丈夫ですよ』



 彼女はそう言って微笑んだが、温かな湯気の立つ食事とそうでないものとでは、食に対する意欲も大きく変わってくる。今後どうやって彼女に食事を提供しようか考えていると、ヘリオスから思わぬ提案がなされた。



『お父様……僕、お義母様と一緒に、食堂ここでお食事を摂ってはいけませんか? そうすればすぐ、熱々のご飯に魔力をかけることが出来ます』


『……それは駄目だ。お義母様とは、聖なる日以外は会ってはいけないと約束しただろう。第一、お義母様の部屋から食堂ここまでは大分離れている。食事の度に歩いたら、ご病気のお義母様が疲れてしまうよ』



 はいと言いながらも、しゅんと肩を落とすヘリオス。その表情や仕草が……アイネにそっくりで。そんな息子から目を逸らせば、今度は彼女の横顔を捉えてしまう。優しく微笑む頬には、さっきの金色の雫が……美味しくて幸せだと流していたあの雫が思い出され。

 気付けば、昼食だけは毎日食堂で一緒に摂ってもいいと許可してしまっていた。昼は仕事が忙しく、一人で食事をさせてしまうことも多い為、ヘリオスは今にも飛び上がりそうな程喜んでいた。



 ハーヴェイの強い勧めで決めた、この契約結婚。

 セレーネの父親であるバラク侯爵は “よくない” が、この結婚には非常に “よいものが視える” と。

 金銭的な援助を求める程困窮しているはずなのに、侯爵夫人も令嬢達も、しょっ中園遊会やら夜会やらで遊んでいるとハーヴェイは言う。そんな令嬢のどこに “よいものが視える” のかと疑っていたが、よく話を聴けば、バラク侯爵が嫁がせたいと言ったのは、重い病で屋敷に引きこもっており、社交界には一度も出たことがない三女だという。


 病の為見てくれが悪い、身体も弱く妻としての役目は果たせない、それでもよければ一年間嫁がせるから金を寄越せ。親としての愛情をひとかけらも感じない、そんな要求だった。

 ……それを受け入れ、契約してしまった自分も最低の人間だ。自分と息子の為に、何の罪もない令嬢を金で買って、その人生を台無しにしてしまったのだから。


 彼女に逢って最初はその容姿に驚いたが、内面に触れる内に、“よいものが視える” とハーヴェイが言った意味が分かった気がした。

 朗らかで人懐こく見えるが、実は繊細で人を選ぶヘリオスが、彼女にはあっという間に懐いてしまったことからも。中庭での顔の見えない僅かな会話と、たったの一週間、手紙をやり取りしただけなのに。

 偶然なのか、ヘリオスの瞳と同じ、深い青のリボンとドレスを身に着けていた彼女。二人のその雰囲気からは、姉弟のような仲睦まじさすら感じた。


 ……いっそ彼女ではなく、贅沢三昧の姉達の方が良かった。息子の害になるからと、心置きなく部屋に閉じ込め、契約として割り切って接することが出来たのに。



 妻を失った哀しみの中、父親として息子の哀しみに向き合わなければならなかった。気が狂いそうな哀しみに耐えながら、幼いヘリオスに母親との別れを理解させることが、どれだけ大変だったか。それなのに、また一年後には新たな別れを経験させることになってしまった。


 全部、全部罰なのかもしれない……アイネを殺してしまった自分への。




 ◇◇◇


 聖なる日以来、私は毎日お坊っちゃまと食堂で昼食を摂れることになった。


 辺境伯様は仕事でお忙しいとのことで、昼はお顔をお見せにならない。お坊っちゃまの話では、昼食も週に数回は父子おやこで召し上がっていたそうだけど…… 私と “三人で” というのは、やはり抵抗があるのだろう。

 書面上の家族なのだから当たり前のこと。なのに寂しいだなんて呆れた感情を抱いてしまうのは、あの温かな食卓を一緒に囲んでしまったせいかもしれない。


 手紙のやり取りだけでも感謝しなくてはいけないのに、お坊っちゃまとこうして食事を摂ることまで許可していただいているのだから。贅沢すぎて、これ以上何かを望んだりしたら、バチが当たってしまうわ。



 最近では侍女ではなく、私がお坊っちゃまの隣に座って、小さなお口にご飯を運んでいる。お坊っちゃまが、「お義母様と二人きりになりたい!」と可愛い駄々をこねてくれたからだ。

 逆に私も、お坊っちゃまの手で直接魔力入りのご飯を食べさせてもらうことがある。お皿に魔力をかけてもらうよりも、こちらの方がより美味しく感じるし、何より互いに食べさせ合うことで、小さな紳士の矜持を守れるなら嬉しかった。


 毎日会っても楽しい話は尽きることがなく、まだお手紙交換も続けている。

 一人の時間も、お坊っちゃまから預かった大量の布に、夢中で絵を描いていた。可愛い笑顔を想いながら色を載せる時間は、甘酸っぱくて本当に幸せだった。



 そうして二週間程たったある日、久しぶりに部屋を訪れた辺境伯様から、あることを告げられた。



「ここに嫁いだ初日に、妻の同伴が必須の用事以外は外出を制限させていただくと言ったことを覚えていますか?」


「……はい」


 嫌な予感がする。


「その用事が出来てしまいました」


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