【レイ=裏切り者】

 ぽわぽわぴょんぴょんの店を出て左側には別な建物があったが、その間は細い路地になっていた。その路地を裏口の方へと進んでいくと、突き当たりに野外トイレのような形の小さな木造建築がある。人一人が立って入れるスペースしかないような長方形の木の箱だ。

 フライドはセンリから借りた(奪った)鍵を使って、その扉にかけられた鎖の錠前を外していく。

「なんだ錆びついてやがる」

 ギィッと音を立てて扉が開いた。中は真っ暗で何も見えない。フライドが壁掛けのランタンにマッチで火を灯してくれた。明かりが灯り、中の様子が照らされる。

 木造の壁とランタンを除いて何もない空間にレイが首を傾げていると、フライドが笑いながら床を指差した。そこにはぽっかりと大きな穴が空いており、暗くて深い地下へと伸びていた。

「降りるぞ」

 さらによくよく見ると穴には年季の入った梯子がかけられていた。下は暗くて見えない。こんなに怖いアトラクションもなかなかないだろう。

「僕が先ですか?」

「なんだよ、怖がんなよ。俺が落ちたらキャッチしてくれや。ガッハッハ!」

「それが一番怖い」

 レイは恐る恐る梯子に足をかけ、ゆっくりと地下へと降りていく。梯子の横板は湿っていて、気を抜くだけで滑り落ちそうになる。自然と梯子を掴む手に力が入る。

「もしそうなったら奈落へ真っ逆さまだな」

 どこか楽しそうなフライドには心底腹が立った。自分が上だったらあの老ぼれを蹴り落としてやるところだが…もう遅い。仕返しは今度することにした。

 レイは慎重に、本当に慎重に梯子を降りていく。

「どこまで続いてるんですか、これ?」

 レイの後を追って梯子を降りてくる頭上のフライドに尋ねる。

「なぁに、もうすぐだ」

 その言葉はあまり正しくはなかった。一歩一歩段を降りるたびに、恐怖と戦いながら握力と靴のグリップ頼りに梯子を降りていくが、いまだ一向に着く気配がない。

 人一人が通れるサイズしかない、天然の石壁に囲まれてた正方形の穴。暗くて狭いこの空間は非常に不快で、恐怖から来るストレスがどんどん溜まっていくのがわかる。人間は本能レベルで暗い閉所が苦手なのだと知る。

「…光が見えたら、もうすぐだ」

 恐怖とストレスから来るレイの苛立ち。それを肌で感じ取ったのか、フライドは恐る恐る捕捉した。

(光?)

 レイは気になって下方を凝視してみた。すると確かに、遥か遠くの方に小さな黄色い点のようなものが見える気がしなくもない。

 梯子をさらに降りていくと光の点はどんどん大きくなり、どうやら終着点は光に照らされた場所であることがわかった。暗くて何も見えなかった縦穴だが、下から漏れ出す光によって次第に見えるようになってきた。

 そして完全に手元が見えるようになった頃、長い旅に終着が訪れた。

「ほ、ほら! すぐだったろ?」

 言い返す気にもならなかったので無視をした。

 レイは爪先で触って地面の存在を確認するとやっと、忌々しい梯子から手を離して着地した。目的地であった地下空間に到着したのだ。

 最初に抱いた感想は「明るい」だった。ここは地下の奥深く。体感で十数メートルは降りてきた気がする。当然太陽の光は届かず、本来なら一寸先見えない真っ暗闇であるはずだ。しかしこの場所は「明るい」のだ。流石に太陽光ほどではないが、何やら強い光がこの地下空間を照らしていて、人間が住むには十分な明るさを保っている。ランタンや松明ではここまでの明るさは確保できない。

 ふと上を、つまり天井を見上げ、明るくしていた犯人がわかった。

「綺麗…」

 レイは思わず感嘆の声を漏らした。初めて見るような美しい光景にそう言わずにはいられなかった。

 石の天井にびっしりと点在していたのは大小様々な黄金色の塊。それらが強く発光しており、空間を黄色に照らしている。柔らかくも、眩い光。暗闇を照らすその光景に、レイは一瞬自分が星空の元にいると思ってしまった程である。

「それはガイダンストーンってんだ」

 いつの間にかフライドも梯子から降り立っていた。彼はレイの隣に立ち、同じように天井を眺めながら説明を続ける。

「この鉱石は常に発光している珍しい石なんだ。この地域の、それも地下深くにしか存在していないから、普通に生きていたらまずお目にかかれないだろう。ここはたまたま鉱脈だったみたいなんだ。おかげでこの部屋には天然の照明が付いているってわけだ」

「部屋?」

 ガイダンストーンに照らされたこの地下空間を改めて見渡してみる。

 地下の奥深く。そこにあったのは光に照らされた広大な洞窟だった。いや、洞窟と称すには些か語弊がある。

 洞窟とは普通天然由来のものであるが、この空間の天井と四壁と床の全ては殆ど平らで、それぞれ平行になっている。つまり空間自体が綺麗な長方形の形をしており、人の手が加えられているのは誰の目にも明らかであった。まさにフライドの使った部屋という言い方が適切かもしれない。綺麗に石切された地中の部屋、そんな感じだった。

 空間の大きさはかなりのもので、高さは約五メートル。奥行きは四、五十メートルほどで、幅はそれより少し狭いくらいだ。

 この規模の空間は掘るだけでも大変なのに、壁や床をこの精度で平らにするのは相当な事だ。労力もだが、かなりのテクノロジーも無いと出来ない芸当だ。

「凄い場所ですね…」

 空間に装飾や家具などは何も無かったが、一つだけ何かが置かれていた。片手で持てるぐらいの小さな木箱と、そこから壁に向かって伸びている黒い紐だけだった。

 それ以外には本当に何もなく、この部屋の用途は不透明であった。

「ハハハ、最初はみんな驚くんだ」

 フライドは持ってきた荷物を適当に床に置いた。

「こんなところで今から何をするんです? ここは何なんですか?」

 必死に梯子を降りたはいいが、実は彼はまだ何も聞かされてはいなかった。フライドはにぃっと笑う。

「この場所はな、簡単に言うと店で買った武具をテストするために造られた闘技場なんだ。まぁ、つまりお試し場だな」

 その答えは少々予想外だった。フライドもそれをわかっていて、戸惑うレイを面白そうに眺めている。

「闘技場? だってここ何も無いじゃないですか。わからないですけど、普通はなんか試し斬り用の俵とか的とかあるんじゃないんですか?」

「そう、その通り。やっぱ試し斬りには的が要るよな。でもただの的じゃつまらないだろぅ? 動かないし」

「?」

「それにせっかく防具も買ったんだ。どうせならそっちも試したいよなぁ?」

 フライドはニヤニヤしたまま空間の奥へと歩いていく。レイはフライドの口ぶりから、今から何が行われるのかの予想が少しづつ付き始めていた。地下の奥深く、何も無い部屋。天然の石壁、人の世界から隔離された空間。そしてフライドが今まさに歩み寄っていっている謎の木箱。 

 こういうのを嫌な予感と言うのだろう。そしてレイの予感は当たることとなる。

 フライドは木箱を手に持つと、後ろに付いていた短い棒のような物を掴み、捻った。

「怪我しないようには気をつけろよ?」

 どこかでカチッという音が鳴った。そしてゴゴゴという振動音が壁の向こうから鳴り始める。まるで金属と金属が擦れ合うような、そんな重い音。

「こ、これは⁉︎」

 金属の音がする壁。その壁がレイの見ている前でゆっくりと動き始めた。壁は砂埃を巻き起こしながらゆっくりと持ち上がっていく。天然の壁だと思っていたそれはただの薄い一枚岩であった。

 持ち上がった岩の奥にはもう一つ、空間があった。レイは上がり切った扉の奥に何かがいることに気付く。人間ではない。

 その何かから火花が散った。そしてそれを合図に、その何かはゆっくりと動き出した。

「あれがお前の相手になる「人造生物」だ。制御装置がついてるから安心しろ。命の危険はあんまり無い」

「少しはあるんですか⁉︎」

 どうやら闘わされるみたいだ。レイは剣を抜き取った。漆黒の刀身が紫色に輝く。

 相手は身長一メートルほどの獣だった。兎が頑張って二足歩行しているような見た目をしている。

 しかし普通の生物とは明らかに違う。身体中にパッチがあり、太ももや首に関しては曲がった鉄板のようなもので覆われていた。鉄板からは黒い紐のようなものが伸びており、それがどこかへ繋がっている。確かに人造であると言われれば納得だが、その不気味な姿にレイは度肝を抜かれてしまった。

(変異歹の方がある意味マシかも…)

 フライドは箱をまだ手に持っていて、例の棒に手をかけたまま構えている。安全装置と言っていたが、あれでいつでも止められるということなのか。

「俺もあんまり詳しくは無いんだが、あれは「キカイ」とか「カラクリ」と呼ばれる、自動型の道具らしい。電気って分かるか? 雷とかのアレだ。ビリビリビリ。あれを使って動いてるらしいぜ」

(じゃああの箱を使って電気を流しているのか。電気を止めれば動きも止まる。確かにそれなら安全そう)

 箱と兎の体から伸びている紐のようなものが電気を流す媒体となっていると推測できる。兎の方は先が見えないが、箱の紐は壁の中へと繋がっている。もしかしたら壁の奥のどこかで繋がっているのかもしれない。

「じゃあ戦わすぞ。炎とか吐いてくるから気をつけろな」

「えっ⁉︎ 炎⁉︎」

 フライドが箱の棒をもう一段階捻った。瞬間、兎の姿が消えた。

「上だ!」

 慌てて頭上を見る。今まさに飛び蹴りが顔面に迫り来る真っ最中であった。黒い影が落ちる。

「防げ! 避けきれない!」

 右手に剣を握っていることを思い出し、攻撃を弾こうと腕を振り上げる。しかし、遅かった。

 メテオのような飛び蹴りは少年の顔面を正確に捉え、勢いよく後頭部を地面へと叩きつける。強い衝突音、そして何かが砕ける音が洞窟に響く。

「偉いぞレイ!」

 興奮気味にフライドが叫んだ。

 蹴りが入った瞬間、レイはすぐに左手を頭の後ろに当てていた。頭を守るための咄嗟の判断。その結果レイの頭蓋骨が砕けることはなく、代わりに樫の籠手が粉々に砕けた。脳にも衝撃が走ったが、力の殆どは籠手を砕くのに使われた。左腕に若干の痺れを感じる。

「立て直せ!」

 最初からそのつもりだった。立ち上がる動作をしていれば隙が生まれる。レイは寝そべったまま冷静に、追い討ちを掛けようと近づいてきた兎の足首を斬りつけた。

 兎の体勢が崩れ、レイはすかさず蹴り飛ばす。兎は後ろへ飛んでゆき、地面を転がった。

「偉いぞ! 今だ、立って反撃だ!」

 レイは既に立ち上がっており、敵に向かって剣を構えた。

 隙あれば追い討ちをと考えていたが、そこである事に気付く。

 兎が転がった地面に紫色の跡が付いていた。斬った足から漏れた液体が付着したようだ。でも血液の赤ではない。その紫色の液体に、レイは見覚えがあった。

「変異歹…?」

 変異歹という怪物には、普通の血の代わりに紫色の体液が流れている。毛細血管なども全て紫色なので、その体内は全体的に紫を帯びた色になっているのが特徴である。フライドは先程、あの兎を人造であると言っていた気がするが、紫色の体液は変異歹の特徴と一致する。

 レイはちらりとフライドを見た。彼の疑問に気づいたのか、フライドは説明を始める。

「あー、さっき人造生物って言ったけどよ、厳密には違うらしい。俺も詳しくないから適当に言ったんだけどよ。正確には変異歹の死骸を電気の力で「キカイ」に作り替えたようだ。よくわかんねぇよな」

「じゃあ死んだ変異歹を改造して動くようにしたって事ですか?」

「かもな。要は動く死体人形ってとこだろ」

 彼が言いたい事は伝わったが、しかしその説明だけではどうも腑に落ちない。

(死体なら、血はもう流れていないんじゃないか? いつ死んだ個体なのかは知らないけど、あんなにツギハギだらけで、体にまだ体液が残っているのは不自然だと思う)

 しかしそんな事を考えている暇はなかった。兎はいつの間にか立ち上がっていて、威嚇しながらレイに詰め寄ってくる。

「まずい! 気をつけろ!」

 片足を負傷して機動力を大きく削がれていても、兎は怯む様子を見せない。レイを睨みつけたと思った次の瞬間、兎の口から火炎放射が放たれる。真っ赤な炎がレイを焼き殺そうと揺れ踊っている。

「マントを使え! 炎耐性がある」

 そういえばセンリの説明でそんなことを言っていた気がする。レイは咄嗟にマントを翻して防御を試みるが、これが良手だった。近づくだけで汗をかくほどの火炎放射が、まるで壁に投げつけられたプリンのように砕け弾かれた。

 レイはこの隙を活かす。彼は立っている地面を全力で蹴り、思いっきり前方へ跳躍した。兎はギョッとして避けようとするが、足に受けたダメージが残っていて上手く動けない。

 レイは剣を構える。獲物はもう間合いの中だ。剣を振えば届く距離にまで捕らえたのだ。

(いける…!)

「やっしゃあ、レイ、トドメだ! 技名を叫ぶのも忘れるなよ」

「わ、技名⁉︎」

「カッコよく決めろよ」

 想定外の事にレイはパニックだ。

「え、えーっと…。ぜ、ゼロソードアタック‼︎」

 渾身の力を込めて剣を突き刺す。肉を突き刺す感触が剣から腕に伝わり、一瞬遅れて紫の血飛沫が腕に飛びかかった。嫌な光景に思わず顔を逸らす。

 兎は苦しそうにもがく。手足をバタバタ動かし抵抗しようとしているようだが、剣は深く突き刺さっていて抜けない。切り口からは紫色の体液が流れ、体からはバチバチと火花が散っている。

 兎の動きは段々と弱々しくなっていき、遂には動かなくなった。レイが剣を抜き取ると、兎はバタンと床に倒れる。そしてもう、ピクリとも動かない。

「し、死んじゃった?」

「大丈夫だ」

 ぱちぱちぱち。フライドが拍手をしながら近寄ってきた。

「こいつの替えの在庫はまだたくさんあるからな」

「い、いや、そういうことじゃ…」

「凄いなレイ、良くやった! まさか戦闘経験皆無のクセに一人でやっちまうなんてな」

 フライドはもう一度大きな拍手を贈る。拍手の音が空間に木霊するも、レイはあまり喜びを感じていなかった。

 レイの腕にはあの気持ち悪い殺傷の感覚がまだ残っていた。生き物の肉を強引に斬り、命を奪っていく感覚が。レイは右手にかかった紫の液体に負い目を感じるように、じっとそれを見つめている。

「フライドさん…」

「まぁ、気持ちは少しはわかるけどよ。生きるってこういうことさ。食すため、素材を得るため、そして殺されないために、他者の命を奪う。そしてお前は今日、人類を守る冒険者になった。他者の命を奪うってことに、今のうちに慣れておけ」

「…わかりました」

 レイはポケットからハンカチを取り出し、その液体を拭き取った。


 地上はそろそろ、夕方と呼ばれる時間帯に差し掛かる。仕事終わりなのか、ぐったりと疲れた様子の人達が大勢、街を歩いている。

「俺達も疲れたなぁ」

 フライドは大きく背伸びをした。ただでさえ巨大な男が背伸びをすると物凄い威圧感がある。

「今日はありがとうございました。何から何まで」

 命を救われ、冒険者の道を諭され、そして戦闘訓練にまで付き合ってもらった。装備も買ってもらえたのは凄く嬉しいが、素っ裸を見られた事実は出来れば消し去りたい。

 レイ達はあの後もしばらくは地下に篭って、夕方になるまでずっと剣術の訓練なんかをおこなっていた。森で出会ったのが朝だったから、フライドとは今日一日ずっと一緒にいた事になる。

「気にする必要は全くねーよ。これだけ恩を売っておけば俺の老後も安心だな。ガッハッハ!」

 冗談っぽく言って大笑いするフライド。レイもつられて笑う。

「だが流石に疲れたな。さ、今日はここで飲むか。お前にも付き合ってもらうぜ?」

 フライドが指差したのは一軒の飲み屋だった。少し古びた、こじんまりとした小さな店だった。

 オンボロの看板には「居酒屋ハイパーゼットン」と書かれている。なんだか店の風貌に似合わず随分強そうな名前だ。

 フライドは勢いよくハイパーゼットンの扉を開け放ち、店内の床を軋ませながらずかずかと入っていった。レイも後を追う。

「よお、二人だ」

 中にいた店主風の男に声をかけると、彼は我が物顔で空いている席にドスンと座った。行きつけの店で常連なのだそうだが、そのあまりの立ち振る舞いにドギマギしながら、レイは彼の向かいに座った。

 狭い店内には他にも結構な数の客がいる。彼らは皆揃って、防具などの装備で身を包んでいた。武器なんかもぶら下げている。一目で戦士とわかる風貌。あれが本物の冒険者なのだろう。レイにとっては先輩という事になる。

「よしレイ、何頼む? とりあえず生か?」

「い、いや、僕は…」

「なんだ? 遠慮するなよ?」

「いや、多分僕十五ぐらいですし、お酒は…」

「十五ならもう立派な大人だ。ほれ、遠慮せずに飲め飲め」

 しかしやっぱり酒は断ることにした。代わりにさくらんぼのジュースを注文してもらう。フライドの方は、なんといきなり生ビールを四杯も頼んでいた。見た目のイメージ通り、酒豪のようだ。

 暫くしてビールが樽のような形の大きなジョッキで運ばれてきた。フライドは豪快に左右の手で一個づつ持ち上げる。

「お前らも掲げろ! 新たに誕生した期待のルーキー、新人冒険者のレイ君を祝って、乾杯っ!」

「「「乾杯っ!」」」

 フライドの音頭に合わせて店内に居た他のお客も一緒になって叫ぶ。こうして店中を巻き込んだ大宴会が始まったのである。

 レイは居酒屋に来たのは初めて(多分)だったが、こういう雰囲気も悪く無いと思った。最初は少し緊張していたが、今やすっかりフライド達と一緒に楽しんでる。誰が注文しているのか、料理や飲み物がじゃんじゃんと運ばれてくる。テーブルは既に沢山の食器で溢れかえってしまっている。

「おおぉ、いい飲みっぷりだ! ほらじゃんじゃん食えよ? ガッハッハ!」

「な、何ですかこの正方形の形した怪しいきのこは? 毒とか、無いですよね…?」

「いいから食え食え、ちょっと目眩がするだけで問題ないから」

「いやそれ問題ありますよね⁉︎」

 一緒に乾杯した他のお客達もフライドが連れてきた少年に興味津々のようで、気がつけば店内にいた全員がレイ達のテーブルにやってきていて、店中巻き込んで一緒に飲み食いをしていた。

 話を聞けば彼らは冒険者時代からフライドを知っており、今でもこうして一緒に呑む仲なのだそうだ。彼らは面白そうにレイを取り囲み、様々な質問を投げかける。

「少年どこの出身なんだい?」

「フライドとはどこで知り合ったんだ?」

「彼女はいるの?」

「おおお、おじさんと、あ、遊びに行かない? はぁはぁ」

「え、え〜と…」

「ガッハッハ! お前ら、あんまりそいつを困らせてやるなよ」

 料理はさらに運ばれてきて、宴会はますます盛り上がりを見せる。人当たりのいいレイを冒険者達も気に入り、オススメの品を食べさせたりしている。冒険者の一人が持っていたギターで陽気な曲を弾き始め、店の雰囲気はもう最高だ。

 かつてない盛り上がりにすっかりテンションが上がってしまったマスターはフロアでブレイクダンスを踊り始め、冒険者達は手拍子や口笛でそれを囃す。


 店の窓から外を見ると、辺りはいつの間にか暗闇になっていた。楽しい時間はいつも早く過ぎる。そろそろ睡魔もやってくる頃だ。

 レイは頬杖をついて理由もなくぼーっと外を眺めていた。夜なので人通りは少なく、たまに疲れた様子の大人が通るぐらいだった。仕事が長引いて今帰っているのかもしれない。そうでなければこんな真っ暗の中を好き好んで出掛ける者は居ないだろう。夜道を照らすのは家の窓から漏れ出す蝋燭の微小な光と、月光と星々だけだ。

(今日は色々あったなぁ)

 思い返せば長い一日だった。とてもたった一日の出来事とは思えないほど、沢山のものと出会った。

 記憶が無い恐怖はまだ完全になくなった訳ではないが、今はとても前向きな気持ちを抱いている。暗闇に閉ざされた過去よりも、自分を待つ明るい未来が楽しみで仕方がない。

(フライドさんみたいないい人に会えて良かったなぁ)

 後ろではまだ宴会が続いている。酒飲みの夜は長いが、レイは少し疲れてしまった。フライドに帰宅の提案でもしようと思い、立ち上がろうと彼は椅子を引いた。

 その時だった。

 レイはふと、窓の外を走る小柄な誰かに気づいた。それはピンク色の髪をした小さな少女であった。彼女は何かを抱えながら全力で走っている。

(どうしたんだろ、こんな時間に)

 レイはつい気になって彼女を視線で追う。すると彼女はよっぽど慌てていたのか、つまづいて転んでしまった。小さな体が勢いよく地面にぶつかる。

(大変だ!)

 少女を助けようと、レイは慌てて店を飛び出して行った。

 あんなに勢いよく転べば怪我もしているだろう。一人で立てないなら医者に照れて行かなくてはならない。そう思い、駆け寄る。

 しかし、彼よりも早く少女の元に駆け寄った人影があった。人影は三つで、影の大きさから大人だろう。体格もいいので多分男だ。

(なんだ連れがいたのか。よかった。彼らに任せておけば大丈夫そうだ)

 レイは胸を撫で下ろして店に戻ろうとしたが、向こうの様子が何かおかしいことに気づく。一向に男達が少女を助け起こそうとする気配がない。それどころか彼女に向かって何か怒っているようだ。どうも穏やかじゃない雰囲気に、レイは恐る恐る近寄ってみる。

 小さな女の子があんな派手な転び方をすれば、良識ある大人なら心配になってすぐに助け起こすと思うが、三人の男達はしゃがもうともしない。

 怪訝に思ってレイは男に声をかけようとした。三人がかりで地に伏す少女を怒鳴りつけている光景はあまりに異常だった。そして、事態は急激に悪化した。

「ひぅん!」

 ドスッという鈍い音と同時に、少女が悲痛な叫びをあげた。

「⁉︎」

 音は何回も連続で鳴り、その度に少女は聞き苦しい声をあげた。レイは、目の前の光景が信じられなかった。あまりに異常で、思考が一瞬フリーズしてしまった。

 本当に信じられなかった。大人の男が三人がかりで幼い少女を何回も蹴りつけるこの光景が。

「や…」

 気づいた時には体が動いていた。頭が真っ白になり、ただ感情だけが体を突き動かした。

「やめろ馬鹿野郎っっ‼︎」

 背後からの大声に驚いて振り返った男の顔面にレイの拳が突き刺さる。男は顔面から道に落下し、口から血を吹いて気絶した。

「な、なんだこのガキ⁉︎ 突然何をするんだ⁉︎」

 他の仲間が動揺混じりに叫ぶ。その態度がまたレイをさらに怒らせる。

「突然だと⁉︎ お前ら自分が何をしていたか考えてからものを言え‼︎ その子が何をしたかは知らない。お前らの関係はわからない。けどっ! 寄ってたかって小さな女の子を痛めつけるなんてどうかしている‼︎ どんな理由があれ、僕はお前らを絶対に許さないっ‼︎」

 こうしている今も少女は足裏にされている。男が足に体重をかける度に彼女の顔が苦痛に歪む。だが少女は大事そうに抱えている何かを必死に庇っている。自分の体がどれだけ傷つけられても、決して腕を開こうとはしなかった。あまりに痛ましいその姿に、レイの堪忍袋はとっくに限界だった。

「やめろって言ってんだろっ‼︎」

 レイは飛びかかろうとしたが、その時、男達の武装が目に入った。革や金属で造られた防具を着ており、腰にはナイフや斧が刺さっている。

「まさか…」

 彼らは冒険者だったのだ。つまりは戦闘のプロ。新人のレイ一人が敵う相手では無い。

先程殴りつけた男もケロッと復活して剣を抜いた。他の二人も彼に倣って武器をとる。

「かっこつけてんじゃねーぞボウズ。そーゆーのは他所でやんな」

「ふざけるな! こんなこと誰だって見逃さないっ‼︎ 恥ずかしくないのかっ⁉︎」

「そうか、お前知らないのか」

 男達の態度が一転。彼らはレイを馬鹿にしたように笑いだす。

「なんだ」

「物知らずの田舎者め。なら教えてやるよ、こいつらの正体を」

 男は右足を振りかぶり、少女の肩を全力で蹴飛ばした。もはや声にならない叫び声をあげて少女が痛がる。蹴られた腕が弾かれ、少女が抱えていたものが露わになった。

「これは…」

 少女の胸の中には、山吹色をした小柄な鹿のような生き物がぐったり倒れていた。全長は四十センチメートル程で、少女がようやく抱き抱えられるほどの大きさだ。生き物は怪我をしていた。呼吸が荒く、とても苦しそうだった。

 だが、レイはその怪我の色に見覚えがあった。本日だけで何回か見たそれは…

「変異歹⁉︎」

 小型だが間違いない。よく見れば左側の肋が剥き出しになって紫色の体内が丸見えになっている。しかし鹿の変異歹は襲ってくる様子を全く見せず、ただ涙を流して苦しそうに喘いでいるだけだった。

「これで分かっただろう? あいつは人間のくせに変異歹に肩入れする悪魔ども、「ソモの民」のガキだ」

「ソモの…民?」

「やはり知らんかアンポンタン。どっかの村で変異歹を匿い、怪しげな研究や実験をしている連中がソモの民だ。変異歹に肩入れする人類の敵だよ」

 他の男達も彼の言葉を肯定し、口々に少女を罵り始める。

「ち、違…う……」

地に伏す少女は声を絞り出す。彼女の口角は切れてしまっていて血が流れていた。しかし彼女はどうにか喋ろうと口を動かす。

「あたし、達は…変異歹さん達と…、共存の、道を、探しているだけ…なの」

「黙れ、この汚れ者め!」

「お願い…、この子に薬を買いに…来ただけなの。病気なのよ…」

「それが人類に対する裏切りだって言ってんだよ。変異歹は殺すものだ」

 男が足を上げる。彼の履く厚底のブーツは少女の顔面真上に掲げられた。少女の顔に影がかかり、彼女は恐怖で目を瞑る。

「やめろォォォォッッ‼︎‼︎」

 レイが吠える。我慢の、限界だった。

「お前達は狂っている! そのソモってのが何をしていても、お前らがいくら気に食わなくても、それがこの子を虐待していい理由になるわけないだろうっ‼︎ 暴力でしかものを言えないのならお前らは人類ですらない‼︎ 野蛮なケダモノだ!」

 それを聞いた男達はただ肩を竦めるだけだった。全く悪びれていないその態度にレイの怒りがさらに込み上げる。脳内で何かがブツリと切れた。

「…彼女から離れろ」

 気づいた時には剣を抜いて彼らに向けていた。

「お、やる気か?」

 三人の男達も改めて武器を手に構えをとる。今まさに殺し合いが始まろうとしたその時、大声を上げながら近づいてくる者達がいた。

「おい少年やめろ! 喧嘩なんてするもんじゃない!」

 居酒屋で共にした冒険者達がレイを追ってきたのだ。突然飛び出していったレイが揉めているのが見え、心配になってきてくれたのだ。彼らは割って入って喧嘩を止めようとするが、レイの怒りは収まらない。静止してもまだ戦おうとするので、ついには羽交締め

にされる。

「離してください! あの子を助けないと! あいつら、あの子がソモって民族だって理由だけで彼女を殴り殺しにしようとしたんですよ⁉︎ あの野蛮人どもから彼女を守らないと‼︎」

 レイはそう訴えた。目の前でどれだけ理不尽なことが行われているのかを伝えたつもりだった。

 しかし。レイを拘束する腕の力は全く弱まらなかった。逆に、強まった締め付けによってレイは完全に身動きが取れなくなる。

「どう…して…?」

「少年、ソモはまずいよ」

 レイを羽交い締めにしている冒険者がぽつりと言った。さっきまで一緒に楽しく飲み食いをしていた男だった。

「え…」

 思考が一瞬、止まった。言われた言葉が、理解できなかった。

「ソモの民は、ギルドの禁止も聞かずに田舎村で変異歹の飼育をしている奴らだ。怪しい研究もしているようだ。関わっちゃいけねぇ」

 別の冒険者が言った。さっき店で料理を取り分けてくれた若い男だった。

「それどころか、見かけたら街から追い出すようにギルドは言っている。人類の裏切り者達を許してはいけないからな。お前も冒険者を目指すんだったら、率先してソモを追い出すように働いた方がいい。それが正義だ」

 まるで小さい子供に言い聞かせる親のように、冒険者の男はそんなことを言った。

「ほら聞いたか? これがまともな意見だ。俺達は正義の冒険者ギルドの方針に協力しているだけの善良な市民さ。分かったなら殴ったのを謝ってさっさと消えろ」

 この場にいる冒険者は全部で七人。誰一人、レイの言葉を肯定する者はいない。

「………」

 実はレイも心のどこかで気付いていたのかも知れない。こんなに大きな騒ぎになっているのに、それを止めようとする人は誰も居ないということに。こんな表通りで少女が痛めつけられているのに、助けたり、通報したりする人が誰も居なかったということに。

 冒険者というのは街のヒーローだとフライドは言った筈だ。これではまるで話が違う。

 いや、そうじゃない。だからこそだ。だからこそ、彼らが正しいということになっているんだ。レイは自分の中で怒りともまた違う、複雑な感情が湧き上がってくるのを感じた。

「  して」

「少年?」

「…離して……」

震えが、止まらなかった。

「離せって言ってるだろっ‼︎」

 彼女はきちんと説明していた。共存のために研究していると。街に害なすつもりは無く、ただ薬を買いにきただけだと。そこには戦う意図も、争う意志さえなかった。

 彼女が本当はどんな人物かは知らない。変異歹を使って国家転覆を狙う大悪党かもしれない。

 だが、無抵抗な少女を平然と痛めつけるこの光景が、どうしたってまともには見えない。

「それを何だと? ギルドが言ったから迫害してもいいだと⁉︎ ふざけるなっ‼︎」

 騒ぎを聞きつけたフライドもいつの間にか来ていた。彼は事情を何も知らないが、怒り狂うレイを心配そうに、戸惑ったような顔で見つめている。何度も声をかけようとしていたが、しかしレイは止まらない。

「お前ら全員イカれている‼︎ どうしてこんな残虐なことが平気で出来るんだよ⁉︎」

「少年落ち着けよ。お前も冒険者になりたいんだろ? なら俺達に従った方がいい」

「バカか…?」

「少年?」

「…冒険者? 僕がもうそんなのになる訳ないだろ‼︎ こんな殺人集団の仲間なんてこっちから願い下げだ‼︎」

 レイは国民証を取り出し、地面に思いっきり叩きつける。

「レイ!」

 思わずフライドが叫んだ。が、少年の耳には届かなかった。

「おい、このガキを捕まえろ。何をしでかすかわからねぇぞ」

 七人の大人の冒険者がレイを取り囲む。一人一人が戦闘の手だれだ。

(くっ。ここで捕まったら彼女は…)

 男達はじわじわと近づいてくる。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」

 絶望。月に向かってただ叫ぶことしかできない。彼は無力な自分を呪った。

「へっへ、観念しな。無駄な抵抗はよ…ん?」

 突然だった。レイの体が青白い光を発し始める。輝きはどんどん強くなり、彼の姿が光に覆われ見えなくなっていく。

「何ぃっ⁉︎」

 眩しさに思わず目を閉じた。そして次の瞬間、少年の姿はどこにも無かった。青白い光とともに、雷のように消えてしまった。

「逃げたのか⁉︎ どこだ‼︎」

 慌てて見渡すが、少年はおろか、さっきまで倒れていた少女と鹿の変異歹すらも居なくなっていた。

 暗い夜道には突然の異常現象に慌てふためく七人の冒険者と、悲しそうな顔をしたフライドだけが残された。

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