【アンナ=王宮専属博士】

ロキロキは王都である。なら勿論、そこには王族が住んでいることになる。

 街の中心に立つ巨大な建造物。それこそがこの広大な王国を治める誇り高き王族の住まう城である。

 白の外壁は純白のレンガで積まれていて、美しさと気高さを感じさせる。壁の至る所に

つくられた棚のような出っ張りには、宗教と関係のありそうな羽や輪っかを持った人物の石像が飾られている。そしてそれらは全て無数の宝石類や貴金属で豪華に飾られていた。王家の権力を感じさせると共に、美術品としての完成度も素晴らしい。バックの美しい純白の壁とも相まって、一度視界に入れば暫くは目を逸らせないだろう。

 だが何よりも先に目を引くのは、その美しい外壁の上に連なる、下部にも負けず劣らない美しさを持つ巨大な塔だ。

 高さ十メートル以上はありそうな立派な塔が何本も何本も、高貴な威厳で立ち並んでいる。サファイア色の屋根瓦が良いアクセントとなり、見る者全てを魅了する美しき城を完成させている。

 アンナという名の少女はそんな完美な城をつまらなそうに見上げていた。

「見た目だけは昔のまんまだな…」

 彼女は短く吐き捨て、城門へ続く階段をゆっくりと登っていく。踏み出す度に大理石の踏板にコツンと、ブーツの踵が空虚な音をたてる。

 白銀の扉が少女の目前に迫るまでそうは掛からなかった。扉の上にはこの国のシンボルである剣と槌のデザインのエンブレムが大きく描かれている。

 馬車すら余裕を持って通れそうなほど大きな両開き式の金属製の重い扉。その前には槍を持った二人の衛兵が見張り立っていた。二人とも織部色の甲冑に身を包んでいる。

「女、何の用だ」

 衛兵の一人が強い語気でぶっきらぼうに聞く。返答によってはそのまま刺し殺される勢いだ。

「ガキの来る所じゃない。帰れ」

「なんてフレンドリーなおっさんだよ」

 皮肉の込もった彼女の呟きに衛兵は明らかに不機嫌な顔をする。対してアンナは気怠そうに一枚の紙を投げ渡した。それを見た衛兵の顔色が一変。

「お、王宮専属歴史学博士⁉︎ た、大変失礼致しました!」

 二人は物騒な槍を慌てて投げ捨て、急いで少女の為に城門を開ける。

「どうぞ、お通りください」

 二人は背筋を伸ばして敬礼する。

「昔はみんな顔見知りだったんだけどな…」

 短くため息を吐き、彼女は遠慮無い足取りで入城していった。


 城の中の景色は白基調の外観とはまるで真逆だった。

 派手な原色がふんだんに使われ、どこを見てもカラフルである。正面階段まで続く真っ赤な絨毯には水色のラインが二本。壁にはルビーやらサファイアなど、色とりどりの宝玉が数え切れないほど埋め込まれていた。机上では綺麗な黄色の大輪向日葵が花瓶の中から手を振っている。

 初めて訪れる客なら美しくも芸術的なそのコントラストに舌を巻いて感動するが、アンナは見向きもせずにステステと過ぎ去っていく。

「おぉ、嬢ちゃんじゃないか!」

 突然背後から肩を叩かれた。アンナは織部色の甲冑を着たその人物の顔をまじまじと見つめ、それが知り合いであることに気づいた。

「ダンケルさん」

 彼は昔からの馴染みで、この城の騎士だ。アンナが幼い頃から王宮騎士団として働いていたベテランの男だ。中肉中背の中年で、人の良さそうな髭面をしている。

 彼はアンナの手を取ると嬉しそうに握手する。

「戻って来てたのか。大きくなったなぁ」

「ダンケルさんも元気そうで」

 その時アンナはふと、彼の後ろに隠れた小さな影に気付いた。

「その子は…」

「おっ、嬢ちゃん覚えてるか? トトケルだよ。大きくなったろ?」

ダンケルはその小さな子供をひょいと持ち上げてアンナに見せる。子供は照れ臭そうにしながらも、アンナの顔をチラチラと見ている。

「ほら、お姉さんにご挨拶は?」

「赤髪のお姉さんこんにちは」

 子供はそう言って小さく手を振ってくれた。

「トトケルって…まさかあの時の赤ん坊か。ダンケルさんの息子の」

「そうだよ。嬢ちゃんが三年も旅に出てるからこんなに大きくなっちまった」

十七の少女は時の流れに驚く。

 彼女は少し戸惑いながらも、トトケルの柔らかい髪をそっと撫でてやった。するとトトケルは満足そうに笑った。もう照れと恥ずかしさは無くなったようだった。

「良かったな、トトケル」

 ダンケルは少し重そうに息子を床に下ろした。その行動がとても父親らしく、アンナはなんだか不思議な感覚を覚えた。

「元気な子でさ。将来は俺みたいな騎士か、冒険者にでもしようと思ってるん…」

バッッッ‼︎

アンナが突然ダンケルの胸ぐらを掴む。

「絶対に冒険者なんかにはさせるなっ‼︎」

 鬼のような形相で彼女は叫ぶ。その怒号は廊下中に響き渡り、メイドや他の騎士達も

びっくりしている。

「じょ、嬢ちゃん? 落ち着けよ」

戸惑ったダンケルの顔を見て我に帰ったのか、アンナは静かに胸ぐらを離す。

「お姉さん、どうしたの?」

 トトケルはすぐさまアンナの袖を掴んだ。まるでアンナを落ち着かせようとしているようだった。

 無垢なその顔に見つめられ、アンナは気まずさで目をそらしてしまう。トトケルは叫び声をあげたアンナに対して驚いたり恐れたりなんてしなかった。彼はただ心配そうに、まるで自分よりも幼い子供の面倒を見るかのような目でアンナを見つめている。それがアンナにとっては物凄く辛かった。

「なんでもない…」

 彼女はそう言ってその小さな手を振り払う。トトケルが少し悲しそうな顔をしたことに彼女は気づかなかった。

「とにかく…トトケルをギルドには関わらせるな。頼む…」

 震える声でそれだけ言い残し、彼女は階段の方へ走り去っていった。残った人達は何が何だかわからないといった顔をしている。

「お父さん、あのお姉さんどうしちゃったの?」

 不安そうな声でダンケルの息子が尋ねる。

「心配ない。彼女は本当は怖いお姉さんじゃなんだ。驚かせてすまないな」

 そう言って父は息子を優しく撫でた。

「うん、僕わかるよ。あのお姉さん、本当は優しい人なんでしょ? だってこれ」

 トトケルが左手を突き出すと、そこには小さな木彫りのカニさんが握られていた。カニさんのお腹には「ごめん」と彫られた文字が。

「嬢ちゃん、いつの間にこんなの…」

「お父さん! お願いだからあのお姉さんを怒らないで。僕、お姉さんにカニさんのお礼がしたい」

 ダンケルは微笑み、トトケルを抱き上げる。

「怒らないよ。あのお姉さんはいつも他人のために自分を犠牲にしてでも全力を尽くしてくれる人だ。今だって、きっとお前のことを心配してくれたんだ。俺はいつもあの子には感謝しかないんだ」

 話しながら、いつの間にかダンケルの瞳からは涙が流れていた。

「お父さん? なんで泣いてるの?」

「い、いや、なんでもない」

 ダンケルは涙を拭いて無理やり笑顔を作ってみせた。

「今度会ったら一緒にお礼を言おうな。その時はきっと、きっとあの子も微笑んでくれるよ」


 階段は最上階まで続いていた。城内部は四階建て。塔や屋根裏を含めればもっとある。一階一階も物凄く広く、部屋の数は四階合わせて百超過。初めて訪れた客人はおろか、長く働く者ですら迷う時があるほどだ。

 アンナは城の四階を目指して階段を登る。

 四階は他の階と比べて比較的小さい構造になっている。幅も狭く、部屋の数は極端に少ない。その代わり、城で一番重要な部屋がこの階には存在していた。王家の寝室だ。

 階段を登りきると、一直線の長い廊下がアンナを出迎えた。その長い廊下には、それと同じだけ長い一枚の金色の絨毯が敷かれていた。少し視線をずらして天井を見れば、そこには大きなシャンデリアが何個もぶら下がっている。ガラスのような素材のひし形が何個も連なり、光が乱反射している様は流石の美しさと言えるだろう。

 右側の壁には大きなガラス窓がずらりと並ぶ。壁なんてほとんど無い程だ。高級なガラスをここまで使っている建築もこの城ぐらいだろう。そしてもう片方の壁には大小様々な絵画が飾られている。アンナは知らないが、有名な画家の絵ばかりだ。

 三階までの構造なら、この絵画の壁には絵の代わりに何枚もの扉が設置されている。騎士や使用人の寝室。化粧室や台所、それに食堂など。「王宮」という組織が使用する様々な種類の部屋の扉が何枚も設置されている。

 しかし四階は彼らが使用するための場所ではない。ここはある種神聖な空間というような扱いを受けている。ここにあるのは王の寝室やその書斎、食事の部屋など。さらには玉座が置かれた大広間なんかが設置されている。つまり、四階というのは「王族のフロア」なのだ。王族が生活するのに必要なものは全てこの階にあり、逆に言えばそれ以外のものは何もないのだ。

 なのでわざわざこの四階を訪れようとする者はほとんど居ない。そもそも来る必要が無いし、恐れ多い部分もある。

 しかしアンナは無表情のまま、特に臆する様子も見せずに金色の絨毯を踏みつける。そして淡々と長居廊下をただ前方へと歩いていく。何枚もの絵画が通り過ぎていったが、彼女はそれらをちらりとも見ない。ところどころ扉もあったが、それらも眼中にはなかった。ただ一つ、小さな赤い木製の扉とすれ違った時、彼女はチラリとそれを見た。扉には「使用不可」の文字が書かれた札がかけられていた。少女はその看板の意味をすぐさま理解した。心に小さな棘が刺さったような嫌な痛みが走った。

 そのうち廊下の突き当たりが見えてきた。三階までならここには階段が配置されている場所だが、四階では少し違った。突き当たりにあるのは一組の大きな扉。扉の向こうには部屋が当然存在するのだが、その部屋こそが彼女の目的地だった。扉の前で足音がすたっと止まる。少女は扉を、上から下までゆっくりと見渡した。かなり豪華な扉だ。明らかに他の部屋とは質が違う。

 まず目に付くのはその鮮やかな色だろう。真っ赤に染められた柔らかい豚革が扉の表面に張り付けられている。等間隔で金のボタンが取り付けられており、シワになった豚革が菱形の模様のように見える。

 革の端は黄金で作られた扉枠の内側に綺麗に折り畳まれている。煌びやかな黄金のメタリックな反射と、豚革のマットな赤色。この派手な二色の組み合わせが王族にふさわしい煌びやかさを演出している。

 アンナはその扉をジィッと見つめ、小さくため息をついた。そのため息にどんな感情がこもっていたのか、それは彼女自身わかっていない。最近、彼女は自分の感情がわからなくなる時がある。自分の心なのに、何故か他人のもののように感じてしまう。不明瞭なもどかしさにイライラが止まらない時も珍しくない。

(私は…)

 扉には太い金属の輪っかが取り付けられたライオンのレリーフが取り付けられている。分厚い扉を必死に叩いて怪我をしないために、金属の重い音で代わりにノックする意図のものだ。ドアノッカーと呼ばれ、大きな家や屋敷では珍しくない。

 アンナはゆっくりとドアノッカーに手を伸ばした。しかしいくら待っても、彼女の手は輪っかに触れない。その時彼女は自分の手が震えているということに気づいた。

(まさか私は…怖がっているのか…? 何を…?)

 答えは見つからない。彼女はもう一度、今度は深いため息をついた。

(怖い訳が無い。私が怖がるのは理に適っていないだろ)

彼女の白い手が輪っかを握り、それを強く二回、扉に打ち付けた。乾いた金属の音が廊下と、扉の向こうの部屋にも響いたようだ。

「どうぞ」

 若い男の声が返事をくれた。入っていいという意味だったが、アンナは中々扉を開けようとしない。

「あいてますよ」

 鍵のかからない扉だから当然だ。反射的に心の中でそう呟いたアンナはそこで、自分が扉を開けようとしていなかったことに気づく。

「失礼します」

 もう一度だけため息をつき、彼女はゆっくりと扉を押し開けた。

 部屋の中はとても明るかった。大きな大きな窓からいっぱい差し込む日差しが一瞬、少女の目をくらませた。

「君は…」

 それは大きな部屋だった。普通の家なら一階全部に値するほど大きいが、この部屋は寝室でしかなかった。キングサイズの大きなベッドにはキャノピーが取り付けられていて、カーテンもかけられるようになっている。ベッド含め、家具は全て白色ベースに金の飾りで統一されている。大きなクローゼットや鏡のついたタンス。テーブルやイスまで全てが高いクオリティーで揃えられている。その完備で小綺麗な様は見事と言っていいだろう。

 その部屋の奥、窓から外を眺めるようにして若い少年が立っていた。彼は突然の来訪者の顔を確認しようと、こちらを見つめる。

 その人物は少年に見えるが、その顔はどこか女性らしさも持ち合わせており、中世的な美しさを持っていた。背もそこまで高くはない。少し身なりを整えれば女の子と言っても十分に罷り通るだろう。ふわっとした若菜色の髪が日の光を受けてきらめいた。

 彼は高級感のある純白のシルクを使った衣を身につけ、頭には黄金の王冠が乗せられていた。一眼で高貴な身分だとわかる。彼がこの城の主、つまり国王その人なのだ。

「アンナ…ちゃん…?」

 国王が少女の名前を呼んだ。嬉しそうに、しかしどこか信じられないといった様子で。

 アンナは気まずそうに視線を逸らしそうになったが、我慢して頭を小さく縦にふった。それを見た国王の顔が一気にパァアっと明るくなる。

「アンナちゃん!」

 彼は少女に駆け寄り、その体を強く抱きしめた。無尽蔵に流れ出る涙が少女の肩を濡らしていく。

「戻ってきて、くれたんだね」

 嗚咽しながら、彼はただひたすらに泣いた。ただぎゅうっと少女の体を抱きしめ続ける。もう離さないと言わんばかりに。

「ただいま、アルト」

「うん! うん! おかえりぃ…」

 アンナはほんの少しだけ口元を緩め、少年の頭を優しく撫でた。

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