第一章「ギルドと冒険者」

【レイ=名も無き少年】

少年はゆっくりと、フライドと名乗るその大男を見上げた。

 あの化け物程ではないが、彼もかなりの高身長だった。二メートルはいってそうだ。少年よりもかなり大きい。彼は筋骨隆々で、着ている粗末なシャツからは丸太のような腕がはみ出している。

 顔からして四十歳ほどか。荒い無精髭と乱雑に切られた灰色の短髪を除けば、なかなか整った顔立ちをしている。昔は結構格好よかったのかもしれない。

「た、助けてくれてありがとうございます」

 突然現れた謎の大男に困惑しながらも少年は礼儀正しく礼を言う。それを聞いたフライドは満足そうに歯を剥いた。

「おう! 気にするな」

 図体通りの太い声で豪快に言い放つ。

「ところで…」

 フライドは目前の全裸の少年をじっと見る。勿論、彼が何を言おうとしているのかは明白だ。

「なんでお前、素っ裸でこんな所にいるんだ?」

 至極当然の疑問だ。少年はつい苦笑いをする。困ったことに少年自身もその疑問の答えを知らないのだ。

「俺は詳しくないが、露出趣味なら人目のあるところでやるのがセオリーなんじゃないかな」

「いえ、違います、これは…」

「いい、いい、みなまで言うな。確かにそんなブツじゃあ恥ずかしくて動物ぐらいにしか見せられないよなぁ」

「だから違いますってば!」

 彼はフライドに自分が記憶を失っていることを伝えた。そして今までの経緯も簡単に説明する。川を辿って森から脱出しようとしていたところまで話すと、フライドは困ったように頭をかいた。

「記憶喪失だぁ? 疑う訳じゃないが、本当か? そんなお伽話みたいなことが実際にあるのかよ」

「僕だって何が何だか…。ただでさえ心細いのに、さっきは変な化け物に襲われるし…」

 少年はチラリと、向こうで潰れているあの亀の方を見る。再び動き出すような気配は無い。不死身の怪物というわけではないようだ。

 内臓が抉れていても満足に活動していたことから、ゾンビのような不死身の存在ではないかと疑っていた。しかし死んだ。内臓に依存しない生命活動だと推測できるが。

「あぁ? お前変異歹も知らないのか?」

「へんいたい…?」

 聞いたことのない単語だった。

「あいつの血の色を見ろ。真紫だろう。血が紫のヤツは変異歹っていって、普通の生き物が突然変異した連中さ。凶暴だし危険だから、次からは気をつけろよ?」

 化け物の説明をしながら、フライドは背負っていたリュックから一枚のリネンを取り出して少年に手渡す。なぜ持っていたのか、人ひとりを包み込むには充分な大きさの布切れだ。

「これ…」

「とりあえずそれで体隠せ。そのちっちゃいブツもな。笑われるぞ。家に着いたらもう少しマシなのをやれるからよ、今はその布で我慢してくれや」

「家って…?」

「あん? 俺の家に決まってるだろ?」

 不思議そうな顔をする少年に、フライドも怪訝な顔で返す。

「僕を助けてくれるんですか?」

 今にも泣きそうなうるうるとした目でじっと見つめられ、フライドは照れ臭そうに顔を逸らして頬をかく。

「まぁ、俺も元冒険者だからよ。困ってるヤツを放っておけないんだわ」

「フライドさん…」

「気にすんな少年。若いうちは遠慮なんかするものじゃないぞ? ガッハッハ!」

 フライドはまた豪快に笑ってみせる。非常に頼もしい彼の姿に、少年はやっと肩の緊張が解けるのを感じた。

「さ、行くか。えっと…」

 察するに名前を聞きたいのだろう。しかし少年自身も知らない。フライドも彼が記憶喪失なのを思い出し、困ったように頭をポリポリとかいた。

「あー、悪い。えっと…」

「あの…。レイ、です」

「え?」

「レイって呼んでください、フライドさん」

「おう、そうか。よろしくな、レイ」

 ニカっと笑い、フライドが手を差し出した。とっても大きくて、角ばった感じの男らしい手だ。

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 二人の男の間に硬い握手が交わされた。フライドの手は少し硬かったが、とても温かかった。


 森を出ると真っ青な晴れ空と緑に生い茂った美しい野原が出迎えてくれた。彩度の高い美しいその景色にレイは思わず目を細める。

「どうだ? 綺麗だろう」

「ええ。とても」

 爽やかな青と緑。そしてその中に溶け込むふわふわの白い雲。色とりどりの野花。その全てがお天道様に照らされて美しく発色していた。

「ここにはよく息子とピクニックに来ていたんだ。最近はお互い忙しくてもう随分来れてないんだけどな」

「フライドさんって子供がいたんですか」

「ああ。だからかもな、お前のことがほっとけ無いのも」

 フライドの案内のおかげで二人はあっという間に森から出ていた。彼は仕事の都合で、あの森にはたまに行っていたようだ。さっき襲われているレイを見つけたのは本当にたまたまだったらしい。

「運が良かったなぁ少年」

 そんなことを言ってフライドは再び大笑いした。彼という男は明るく豪快な性格のようだ。熱苦しい彼の性格を少し鬱陶しく感じる人もいるかもしれないが、レイにとってはただただ頼もしかった。

 フライドが指を差す。それは大きな大きな白い壁だった。そう遠くない。

「あれが街だ。さっさと帰ろうぜ」

 二人は道も無い草原を街の方向へと歩いた。草花の良い香りが漂う。鳥の囀りも聞こえ、非常に気持ちが良かった。レイはつい何度も深呼吸をする。

「こんなに綺麗な空気、初めて吸うような気がします。もしかしたら僕はこの辺の人じゃ無いのかも」

 彼は冗談めかして笑っていたが、どこか寂しげな笑顔だった。

「…記憶が無くて不安か?」 

 フライドの問いに即答することは出来なかった。

「大丈夫だっ。きっとそのうち戻るさ。沈まぬ太陽など無いんだぜ?」

 あまりピンとこない例えだったが、レイには十分だった。

「はい。フライドさんのおかげで元気も出ました。会えて良かったです、本当に。一人だったら心細かったと思います」

「そうか…。それなら良かったな」

フライドはレイの肩に優しく手を置いた。


 近づくと、街の外壁が想像以上に大きいことがわかった。首が痛くなるまで顔を上げないとそのてっぺんが見えないぐらいだ。

「すごい…」

 壁についている大きな門も迫力がある。全部金属でできていて非常に重そうだ。どんな侵入者すらも弾き返しそうな、圧倒的な頼もしさを感じる。

「そうだレイ。これが首都ロキロキだ」

 フライドは門番にカードのような何かを見せた。門番はそれを見て頷き、門にとりつけられた小さな鉄の扉に鍵を差し込んだ。

 扉がギィーと開き、ロキロキの大都会が二人を出迎える。先ほどまでの広大な自然とは一転、圧倒的な人工的な光景にレイは目を丸くする。

 門番がどうぞと言い、二人はロキロキの街中へと足を踏み入れた。

「す、凄い…」

 連なる大きな家々、どこまでも伸びる道路。人の活気と生活の匂い。その全てがレイを驚かせる。

「ガッハッハ! 俺の自慢の故郷だ」

 目を輝かせるレイを見てフライドも嬉しそうだ。二人を見つめる怪訝な視線に、二人は気づいていない。レイは自分が準裸であることすら忘れ、初めての景色に興味津々だった。

 二人は街についての雑談なんかしながら街の奥へと歩いていく。フライドはレイの質問に対して何でも答えてくれた。おかげで「フライドさんと行くロキロキの観光散歩」はとても楽しい時間であった。

「ところで、あの人に何を見せていたんですか?」

「ん?」 

「門番さんのところです」

「んあぁ、あれか。国民証だ」

「国民証?」

 フライドはレイにさっきのカードを渡して見せた。金属製の薄いカードで、フライドの個人情報が刻まれているようだ。フルネーム、生年月日、住所など。どうやら身分証明書みたいな役割のようだ。

「国民はこのカードが無いと街に入れて貰えねぇんだよ」

「でも僕それ持ってないですよ?」

「素っ裸だったから当然だな。尻の間に隠してたなら別だが。ガッハッハ!」

 フライドは自分の冗談に大笑いする。レイもつられてちょっと笑った。

 二人は街の西側へと進んでいく。こっちはどうやらひとけが少なく、比較的静かなエリアのようだ。

「俺のカードは少し特殊でな。俺は元冒険者だって言っただろ?」

「言ってましたね。何なんです? それ」

「ま、簡単に言ったらさっきの化け物を退治する仕事だ。依頼を貰って討伐。報酬ゲーット」

 フライドは剣を振るうジェスチャーをした。

「それでその冒険者の本部みたいな所を冒険者ギルドって呼んでんだが、そこでは特別な国民証を発行して貰えんだ。で、それを持ったヤツと一緒なら、持っていないヤツも自由に街に出入りできることになってるってワケよ」

「何でですか?」

「さぁ? 冒険者が任務先で出会った旅仲間を連れて帰って来れるようにじゃないか? 冒険者ギルドなんて常に新たな冒険者を募集し続けているし、そういうスカウトみたいなシステムがあった方がメリットがある。ギルドの立場はかなり大きいから、少しぐらい法律を変えるのは訳ないはずだ」

「そうなんですか…」

 折角厳重な警備なのに、何だか詰めが甘い気がする。心無い冒険者が敵国のスパイを招き入れないとも限らない。あまりにもギルド贔屓な法律だ。レイは疑問に思ったが、それ以上深くは考えないことにした。

「ま、でも一生金魚の糞みたいに俺にくっついている訳にもいかないし、お前にも自分の国民証が必要だな」

「作れるんですか?」

「簡単だ。冒険者ギルドで冒険者登録すればいい。正式に国民になるのは難しいが、国民証をもらうだけならギルドが手頃だ」

「冒険者か…」

「立派な職業ではあるんだ。弱気を助け、化け物を打つ。危険だが、ヒーローになれる職業さ」

「変異歹の退治なんて僕に出来るかなぁ」

 先程の恐怖がよぎる。あんなのと戦える自信がどうしても湧かない。

「ま、国民証を貰うだけなら無理に依頼をこなす必要は無い。登録だけしとけば冒険者であるという恩恵は受けられる。まぁ会員費はかかってしまうが、それでも記憶喪失の身元不明が国民証をもらうには一番合理的な方法だ。だがな…」

 フライドは突然立ち止まり、大きな笑顔をレイに向ける。

「だけどお前が本気で冒険者になるって言うなら、俺にはその手伝いが出来る」

「え? それって…」

 ガラガラガラッ‼︎

 フライドは突然、側の建物の扉を勢いよく開け放った。薄い木壁の安っぽい平家だ。どうやらいつの間にか目的地に着いていたようだ。

 促すフライドに従い、レイは中を覗き込んだ。目を凝らして薄暗い室内をよく見る。

「ここは⁉︎」

 驚くべき光景がそこにはあった。水でいっぱいの大きな樽に、大小様々な木机。真ん中には立派な金床が置いてあり、その奥にはびっくりするほど大きなかまど。そして一番驚いたのは壁一面にびっしり飾られた金属製の剣や鎌や鎧。

「ようこそ、俺の鍛治工房へ。ガッハッハ!」

 いつの間にか革のエプロンを着ていたフライドが豪快に笑う。

「俺は十年前に冒険者を辞めてから鍛冶屋になった。毎日鋼を鍛え続けて今や街一番の鍛冶屋だ。新人冒険者の装備を揃えてやることなんて訳ないのよ」

 彼の言う通り、部屋に見える装備はどれも一寸の歪みもない美しい直線の輝きを放っていた。彼が腕利きであることはどうやら間違いない。

「どうだ、レイ。二人で最高の冒険者を目指してみないか? 冒険者の先輩で鍛冶屋の俺なら良いアドバイザーになれると思うな」

 冒険者。文字通り、冒険する勇気が問われる命懸けの仕事。自分の命を使って弱者の盾と剣になり、人間の脅威と命のやりとりを強いられる。

 それを踏まえ、齢十五の少年は真剣に考える。その危険性を理解できるからこそ、彼は本気で悩む。

 確かにこれから先、稼ぎは必要になる。生活にも必要だし、もしかしたら医者か何かを使って記憶を取り戻せるかもしれない。その時もお金は必要だ。国民証も欲しいし、良くしてくれたフライドに恩返しもしたい。

 しかし、彼は知ってしまった。つい先程体を持って経験した。「死の恐怖」を。誰かに殺意を向けられることの恐ろしさを。命は、決して軽くなんてないことを。

 冒険者はきっと危険な職業だし、フライドもそう言っていた。あっさり変異歹に殺されるかもしれないし、それ以前に腰がひけて敵前逃亡するかもしれない。

 でも…。

「フライドさん、一つだけ聞かせてください」

「なんだ?」

「僕みたいに変異歹に襲われる人って、結構いるんですか?」

「…ああ」

 フライドは辛そうに目を細める。

「あいつらが何なのかはわかっていない。五十年ほど前から突然現れ始めた謎の「災害」だ。変異歹どもは日々数を増し…、村や町が破壊され、人々は次々と殺される」

 それがこの世界の性だと彼は言う。残酷すぎる定めだと。

「…そう、なんですね……」

「俺は誰かを救いたくて冒険者になった。しかし誰だって自分の命が一番大切なはずだ。死と隣り合わせのこの仕事を、お前に無理強いするつもりは全く無い。だが…」

 フライドは躊躇うように言葉を切る。しかし、再び口を開いてこう言った。

「俺は命をかけて人類のために戦った。そんな人生を誇りに思っている。これこそが男の最もかっこいい生き様だと俺は思う」

「…」

 レイは考え込むように俯いている。そんな彼を見てフライドは微笑んだ。

「とか、かっこつけたけどよ、命の危険があるのは事実だ。だから最後にはお前が決めろ。しっかりと考えた上で答えを出すんだ」

「僕は…」

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