第26話

「それで綾姫ちゃん、狩人さんとの仲はどうなってるんだい?」

「仲?」

「とぼけちゃダメだよう、あんな公衆の面前で告白されて! 弁護だってして貰っちゃって! 何にもないなんて言わせないよう!」

「あー……」


 そう言えば恋人になろうとか言われてたっけ、ぼそっと呟いた綾姫の言葉に、ちょっとうてなも可哀想になる。スタートダッシュは出遅れたが、そこから距離は全然変わっていないらしかった。常連のばーさんはきらきらと少女のような眼で野次馬してくる。楽しいのだろう、他人の恋愛は、いつになっても。いくつになっても。女ってそんなもんだろう。ばーちゃんは完全に無関心で、旦那が嫁さんと結婚したいと言い出した時も『いつから!?』と動揺していたが。

 いや毎日来てたじゃん嫁さん。遊びに。獣もいる森にいつも危険を冒して遊びに来ていたんだぞ。解るだろう、普通。


 まあその時は俺もばーちゃん優先で動いてたから心地は一緒だったが。でも綾姫とずっと一緒に居る今となっては、綾姫が恋愛感情をうてなに持っていないことはほぼ確実だった。キスされても、弁護料代わりに飼葉を置いてきた時も、うてなの方はアピールしていたが綾姫は完全無視状態だった。俺を洗うのすら遠慮したぐらい。

 まあ相手のテリトリーに入ると鍵掛けられて何かされるかもしれないから、その判断は正しい。


 待て、それって異性として意識しているからこその自衛か? 俺の立場って。俺の立場って。今でも一緒に風呂に入ってるのが悪いのか? そうなのか?


「案外悪い子じゃないみたいだしねえ、狩人としても腕は確かだし、お付き合いしてみるのも良いんじゃないかい? あ、それとももうしてるのかい!? 年頃の若い子が森で二人っきりだもんねえ」


 二人っきりじゃねーよ俺も銀も朱もいるよ。ぴょんぴょん綾姫の肩で跳ねていると、ちびちゃんだって早く落ち着いて欲しいよねえ、と斜め上の返事を返された。だからそんなんじゃねー。俺が綾姫を愛したいんだ、俺が。と言うか愛しているんだ。決定権は綾姫にある。その綾姫の恋愛感情は不動だ。不動の、ゼロ。キスされても。なんか俺も空しい。


「二人っきりでもないよ、この子たちがいる。それにあいつに対してどうこう思っていることも無い。愛されていると思う事もない。私は私で、この日々が気に入っているんだ」

「恋ぐらい知らないと一人前に慣れないよう?」

「一人前」


 ふむ、と綾姫は考え込む。余計な事を教えるな。

 でもそれがばーちゃんの出した課題である『独り立ち』だと言うのなら、困りものだ。俺は意識されないしうてなはほぼスルー。俺を意識してもらうには、やっぱり人型でキスをするぐらいのことが大切なのか?

 でも俺は綾姫に怯えられたくない。あれ以来綾姫は男の客に一瞬首をすくめるようになった。今日の市でもそれは消えなかったが、ローブを被っているのでバレなかったと思いたい。


 綾姫は脆い所がある。家族を喪って俺達ふわもふと一緒に暮らし始めてから、張り詰めていたものがあの時ぷつんと切れてしまったのだ。外は怖い。でも行かなきゃ飢える。魔女じゃないけど魔女扱い。魔法は使えないのに街に怯えられている。

 怯えているのはこっちだって言うのに。何をされるか分からない、こっちの方だっていうのに。魔法を使えるのは俺達ふわもふの方だ。でもそれがばれたら俺達の目を盗んで掻っ攫って行こうとするだろう。


 実際前回だって危うかったんだ。暴漢どもが綾姫をどこかへ連れ出していたら、うてなにでも頼るしかなかっただろう。だが家の前で事に及ぼうとしてくれたお陰で、俺と銀は間に合った。連中のような奴がいるから、俺達は綾姫から離れられない。離れようなんて考えたこともあるけれど、あんな経験をさせるぐらいなら多少怯えられても良い、俺達が綾姫の傍にいる方が良い。

 綾姫がそれを望んでくれなくても。それは俺の勝手な我が侭でも。根本はうてなと同じような感情から来ているとしても。


 俺は綾姫の傍にいたい。うてなじゃ駄目だ、俺がいたい。我が侭でも、それでも俺が綾姫を守りたい。俺こそがその心を害するものになってしまったとしても。

 ――我が侭が過ぎるとは、知っている。分かっている。その上で俺は、この感情を諦めるつもりがない。たとえ今は意識されなくたって。それでも構わないと、思ってしまっている。

 本当は愛されたいんだけどな。


「やっほー綾姫ちゃん。珍しいね、午後までお店出してるなんて」

「ああ、うてなか。最近客が増えてな、一見さんは午前中、常連客は午後に取りに来てもらう事にしているんだ。お前は?」

「僕は牛用の飼葉買いに行くところ。色々難しいんだねー牛って」

「なんならうちのカボチャもやろうか。ねずみにやられて食えないのがいくつかある」

「青いの君達そう言うのの退治は出来ないの?」

「出来んなあ」


 あはは、と笑う綾姫の肩は、震えていない。いい加減うてなには慣れたんだろう。キスされても、慣れたんだろう。すり、と綾姫に頬にすり寄ると顔を向けられる。すかさずキスをすると、ラブラブだ、と笑われた。こいつには嫉妬という感情も無いらしい。一人相撲の気分で、実に切ない。


「狩人さんの話をしてたところだよう」

「へー僕の? 何、血液型? AB型だよ。星座は知らないけど」

「いやいや、二人の仲の進展をねえ」

「この前ちゅーしました」

「まー!」

「不可抗力だ。隙を突かれただけ。別に何とも思っていない」

「でもキスだよキス! あれまー、綾姫ちゃんたらいつの間にか大人になっちゃって! 何味だった?」

「触れただけなんで解りません」

「紳士的だねえ、いきなりがっついては来なかったのかい。綾姫ちゃんも恋を知る年頃だし、やっぱり狩人さんみたいな子と幸せに添い遂げて欲しいねえ」

「お婆さん。私は嫌ですよ、勝手に人の唇奪って行くような奴。しかも初めてだったのに。それよりなら、こいつを選びます」


 こしょっと擽られたのは俺だ。冗談に決まっているけれどちょっと嬉しくて毛がぶわっと広がる。ひどーい、と言ううてなの肩には朱が隠れていた。そう言えば、と俺は朱に話しかける。


「怪我はもう良いのか、朱」

「うん、もう殆ど塞がってる。綾姫ちゃんの薬とこの人の手当てで、何とかなっているよ」

「そっか、なら良かった。結構心配したんだぜ?」

「私のドジだったんだから仕方ないよ。捨てられるかと思ったけれど、この人存外私に優しくしてくれたし」


「あ、青いの君うちの子と浮気してる」

「世間話だろう。それより、お前は随分とその子の信頼を勝ち取ったみたいじゃないか。いっそお前がそいつと添い遂げろ」

「いや僕にそういう趣味は。あれ、でもこの子も変身できるの?」

「出来るぞ。確か一分」

「キスするだけで終わっちゃうじゃん!」


 一分も濃厚なキスをするつもりなのか。引いた俺に、朱はふるふるっと冬毛を震わす。恥じらっているらしい。まさかお前本当に。いやでも優しくされたら嬉しいよな。俺だって嬉しい、綾姫に抱かれているのは。

 ふわもふ同士の言葉が分からないばーさんはけらけら笑って、どっちも仲良しさんで良い事じゃないか、なんて言う。だから俺達の会話はただの世間話だと。まあ、綾姫が分かっていてくれれば良いか。


「魔女さん! 薬湯四つ下さい!」

「はい、取ってあるよ。そんなに効くかい?」

「これがあると無いじゃ一週間の動きが変わってきますよ! 苦くもないしハーブで良い匂いだし!」

「魔女ちゃん、この前頼んだクリームある?」

「作ってありますよ、はいどうぞ」

「綾姫ちゃん、湿布あるかね。前に傷めた腰がどうもまだ痛む」

「はいどうぞ。運が良かったですね、今日はあんまり売れなかったんですよ、午前中。牛の湿布の方が売れたぐらい」

「あれは匂いがなあ」

「ですよねえ。人間にも効くことは効くんですけど。しこたま」

「しこたまか……来週も治ってなかったら試してみるかな……」

「お勧めはしませんよ。警告はしましたからね」

「ねーちゃんふわもふに餌やって良い!?」

「良いぞーただしあまり辛いのは止めておくれ。舌が腫れてしまってごはんを食べられなくなる」

「リコリスのグミー!」

「!!」

「あ、それも匂いがきついから止めてあげてくれ……」


 真っ黒な独特の味のグミは苦手なので、綾姫の首の後ろに隠れると、ちぇーと子供はチョコ菓子を差し出してくれる。俺は半分食って、残りは銀に渡した。仲良しだね! と言われて、そうだな、と頷く。ウェハース型のそれはあっという間に食われてしまった。

 腹が減ってたんだ、俺達も。最近は午後も店開きしてるから、食いに行けなくて。くすくす笑っているのはうてなだ。まだいたのか。さっさと行けよ。牛が腹を空かして待ってるぞ。そう言えばこいつ牛の分娩方法なんて知ってるんだろうか。まあ知らなかったら図書館に行けばいいだけか。逆子とかだと大変らしいが、朱が手伝ってくれるだろう。あれで馬力は強い、朱。ふわもふは雌の方が力が強いと言われている。情けないながら。


 で、でも俺はこの所荷物持ちとか薪割りで頑張ってるし! それでも綾姫を守ることは出来なかったが。ちゃんと綾姫の傍にいなきゃダメなのに、俺! 今度からはどんな些細な時にもいるようにしよう!


 思っていると商品が全部はけ、店じまいをする。何か食べて行くか、と問われて、銀も俺もふるふる頭を振った。出来るならば甘い果物。りんごなんかがこの季節は美味いが、綾姫のちょっと焦げたスープで充分なのだ。俺達は。

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