第25話

 馴染みの酪農家のおっちゃんから飼葉を買い、街は避けてちょっと回り道しながらうてなの元に向かう。牛達はうとうとと眠っていた。それでも俺達が持って来た飼葉の匂いに、うもー、と鳴いて見せる。のんきな動物だ。生まれ変わったらこうなりたい。角もあるし。


 俺が頭に括り付けていた飼葉をもっしゃもっしゃ食べている牛は、流石に言葉が通じない。人に飼われる動物は人の言葉に寄りがちだからだ。コンコンコンコン、とドアをノックすると、はぁい、とちょっと寝惚けたような声がした。珍しい、昼近くまで眠っていたのか。否、俺はこいつの生活サイクルなど知らないから、自分達に当てはめているだけだが。

 魔女の朝は早い。日の出と共に起きて、薬湯作りを始める。最近は注文が多いので、一日中釜の前にいることもざらだ。儲かることは良いんだが、袋が足りなくなって来ているのも事実だ。返還率が低い。まあ、それでも貧乏はしていないから良いのだが。


 俺の頭の飼葉を食べている牛に、ほえ、とうてなは息を吐く。それから人畜無害そうな顔で、にこーっと笑った。


「朝ごはん忘れてたよー。夜行性の動物狩るのに夢中だったから、帰ってから今まで寝てたやー。それで、その飼葉はなあに? 綾姫ちゃん」

「お前が私の事件で証言してくれたのだろう? だからまあ、借りを返しに来た。一日分にもならんかもしれんが、飼葉だ」

「青いの君よだれでべっとべっとだけど良いの?」

「後で濯いでやる」

「うちでやってく?」

「いや、だから、借りは作りたくないしお前だって私の家に勝手に入って来る危険人物だから、しない」

「ちょっとだけだったじゃないー。それに今はまた結界張られてるから、入れないよ僕」

「そうか、それは何よりだ」

「もっと淑やかに信用して欲しい……」


 出来るものか。思いながら俺は飼葉を牛の前に下ろし、綾姫の足元に向かう。流石によだれまみれで肩に乗るつもりはない。


「あれ、青いの君スカートの中覗いてる?」

「っきゅー!」


 狙ったみぞおちにアタックする。いい加減にしろよこの野郎、懲りないな。げふっげふっと言っているうてなに、綾姫は呆れたような息を吐いた。


「覗くも何も、私はこいつらと一緒に風呂に入っているんだぞ。今更スカートの中なと見られたところで、大して問題も無い」

「青いの君、君って……」


 つくづく異性と見られてないよね。その目にもう一度タックルしてやろうかと思ったが、図星だったので止めた。虚しいだけだ。


 綾姫はきょとんとしている。何かおかしなことがあったのだろうか、という顔だ。俺、人型で告白したのに、やっぱり全然相手にされてない。あの男達が来てから数日は怯えられたが、もう気を許されてしまっている。ちょっと虚しいし悲しくもあるけれど、そこはそれ、日課になっているキスでとろかして行こう。次は舌も入れて。次こそは。そう思ってもう大分経つが、俺のキスはバードキスにとどまっている。悲しいかな、俺の方に度胸がなかった。

 それに綾姫、しれっとしてるし。やっぱり異性と見られるのはこのふわもふの身体では無理なのだろうか。かと言って人型でやるのはもっと勇気が出なかった。あの男達のように怯えられたらと思うと、度胸は萎む。


 暴漢になりたい訳じゃない、ただ愛し合いたいだけだけど、それは綾姫にとって恐怖だろう。そう思うと強引に事を運ぶわけにも行かないし、また怯えられたらその、可哀想だ。綾姫も俺も。居づらくなってもボディガードとしてその傍にいられないでいることは出来ない。ばーちゃんの遺言もある。せめて綾姫が一人前になるまでは。人型になってからのアレコレは、後で考えよう。

 それにしてもばーちゃんの遺言、今にして思えば残酷だ。ばーちゃんは俺が綾姫を愛していること、知っていたんだろうか。その上で釘を刺した? だとしたらどうしようもないな、本当。後手後手だ。


 俺が綾姫を好きだと自覚したのは、綾姫が十五歳ぐらいの頃だ。森で薬草を摘んでいたら、狼に出くわした。その頃はまだ動物言葉が得手じゃなかった綾姫は、それでも一緒に付いて来ていた俺をぎゅっと抱きしめて庇った。いつの間にか柔らかくなっていた胸にドキッとして、そんな場合じゃないとふるふるその腕から出た。

 動物言葉は俺の方が分かったので、ばーちゃんの孫だぞ、と言うと、狼は退散していった。へたり込んで怖かったと泣き出す綾姫に付いて、俺はそれが収まるのを待っていた。


 怖くても俺を庇った綾姫。こいつが俺を愛してくれた。それは家族愛だったけれど、俺にとっては恋愛だった。怖がらせないようにぴょんぴょん跳ねて無事を確認すると、落ちていた薬草に気付く。頭の上に乗せて、今日はもう帰ろうと促すと、こくんっと頷いて綾姫は目元を拭った。


 凄いね蒼。あんな動物も怖くないんだ。

 凄いだろうっとない胸を張って家に急いだあの日から、俺は綾姫を愛している。


 キスしたい、抱きしめたい、愛し合いたい、思うけれど俺にはどれも過ぎた事だった。ふわもふの身体で出来る事なんて、擦り寄って安心を与えるだけ。それすらも出来なかったのがあの男達が来た後だ。寝込んでしまった綾姫。でも本当に眠っていた訳じゃないのは、目の下の濃いクマを見れば解ることだった。綾姫は全然無事じゃない。なのに俺達には大丈夫だと言って見せる。好きな甘いものすら食べられなくなっていたのに。

 俺達にすら遠慮していた。もしくは警戒していた。それはちょっと悲しくて辛い事だが、俺が『男』であることを意識してくれたのは良い事だったんだろう。今はもうなくなってしまったけれど。定期的に姿を見せてやりたいとも思うが、ばーちゃんの遺言は絶対だ。破った俺が悪い。不可抗力だった銀と違って、俺は自分から姿を変えて見せたのだから。


 ふわもふでいることは、息苦しくて切ないし空しい。だけどこの姿でしか出来ないこともある。許されないこともある。俺は綾姫を守りたい。愛したい。愛されたい。恋されたい。焦がれられたい。でもそれは、ふわもふの姿では出来ないこと。否、逆か。ふわもふの姿でしか出来ないこと。


 うてなの小屋を辞して、俺達は少し歩いた所にある家に向かう。俺が前を行って結界を中和すると、綾姫はそのすぐ後ろをぽてぽてと付いて来た。乾いた草原、今度は火も防ぐ結界だから、問題ない。問題なのは。問題とは。井戸水を被ってぷるぷるぷるっと身体を震わせ、それを弾き飛ばす。冷たいよ、と綾姫はけらけら笑った。

 この笑顔を守りたい。ずっとずっとそうして行きたい。でも俺は、愛し合いたいとも願っている。こんなふわもふの身体でそんな事出来るはずもない。キスすら慣れてしまったこいつに、愛される事なんて。


 あったら良いのになあ。そんな方法。やっぱりばーちゃんの遺した薬で、人型になることを考えてしまう。でもそれに怯えられてしまったら? あの男達と同じだと思われてしまったら?


 そうなったら俺は、やっぱり、ここに居られないよなあ。


 俺は綾姫を怯えさせたい訳じゃない。恥じらって欲しいとは思っていたが、それがイクォールに近いことも分かっている。どっちも根底は同じだ。『男』を認識されたい。でもそれが綾姫を傷付ける存在ではないと、分かって欲しい。うてなには随分慣れた。でも俺は? 俺の男としての存在感は、どこへ行ってしまったんだろう。


 肩に上って頬にキスをする。うん? と振り向かれたので、口唇にもキスを。擽ったがって笑う、綾姫。違う、そうじゃない。怯えて欲しくない、その願いは叶った。恥じらって欲しい、その願いは叶わない。うてなに口唇を奪われた時のように赤面して、恥じらって。リードされているのなんてほんの少しだと思っていたのに、全然追い付ける気がしない。

 綾姫、お前はどうしたら俺を愛してくれるんだろう。ふわもふな身体の方が良いなら、それでも良い。本当は嫌だけれど、それで構わない。お前を傷付けない愛し方が出来るのなら、それで良い。


 でももし人型でも同じ愛を受け取ることが出来るのだとしたら?

 その方が良いに、決まってる。

 でも試せない俺は、臆病者だ。

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