第24話

「朱は元気そうだったな」


 缶詰を棚にぽいぽい並べながら、綾姫はそう言った。そう言えばうてなが朱を市に連れて来るのなんて初めて見たな、と俺達は頷く。傷もすっかり塞がったようだったし、後で様子を見に行ってやろうか、とも思うが、幾ら結界を直したとはいえまだ綾姫を一人にするのは不安があった。次の市の時にもしも出会ったら、声を掛けてみようと思う。

 もっともうてながお喋りを許せばだが。その辺り、テイムされていると言うのは不便だ。俺達だって真名を呼ばれたら従うしかないが、テイムほど強制力がある訳じゃない。それはばーちゃんにも言われていた。あくまで友達としていておくれな。俺達は主従関係ではなかったと思う。綾姫とも。


 ただ俺達が勝手にお姫様扱いしているだけだ。勝手に主扱いしているだけ。それでも綾姫は滅多に俺達のすることを止めないし、俺達も綾姫の嫌がることはしない。それは信頼関係のなせる業だ。生まれた時から知り合っている俺達だからこそ、そうであると言える。

 だからこそ助けた時に止められたのは、ちょっと遺恨の残るところだったかもしれない。俺と銀は綾姫を助けた。その肌を守る織物となった。なのに綾姫は自らそれを解いた。連中は都合の良い事を言って警備隊に報告した。魔女ならそうすると思わせたのだ。うてながいなければ俺達ふわもふの証言なんて取り上げられなかっただろう。つくづく都合の良い奴め、うてな。


 魔女の系譜ではあるものの、綾姫はろくな魔法は使えない。最近はまた本を読んで、護身系の魔法を覚えようとしているようであるが、途中で寝てしまう。だから俺達はこいつから離れられないよなあと、今日も寝落ちした頬にすりすりと懐く。キスしたいな。でも眠ってる間はアウトだ。俺がそう決めた。


 火にかけていた薬湯は、大分煮詰まっていたから冷ましておく。クリームはもうちょっととろみが付いてから。綾姫の代で初めて出したのはこのクリームだが、街のばーさんたちの口コミで若いねーちゃんにも売れている。綾姫の勝ちだ。勝負事じゃないけれどなんとなくそう思えて、俺は嬉しい。

 薬湯を作る回数は増えたが、この季節でも銀の魔法で薬草を育てることは出来るので、問題はない。森の野生のは流石に無くなっちまってるから、乾燥させたものを買ったり作ったりしている。野菜は三人食べて行ける程度には蓄えもあるから問題なかった。俺達はおっとりと静かに暮らしたいだけなので、それは叶っている。


 あの女のように勝手に綾姫に婚約者を盗られたとか思い込む奴がこれからも出て来ないと良いのだが、やはり魔女のローブは必要だろう。喧伝して歩いているようでも、素顔を晒すよりは危なくない。綾姫が美人であることを知らしめるのはよろしくない。

 あんなことが起こるくらいなら得体の知れない薬師の娘でいた方がよっぽど良かったんだ。その辺は銀も反省しているようだったが、まさか集団で襲いに来るとは銀も予想していなかっただろう。そして銀も自分にできる対処はした。だから悪くないとは言えないが、精一杯に綾姫を守ることはした。

 俺達のお姫様の為に、俺達は戦った。綾姫は傷付いたが、致命傷には至らなかったと見て良いだろう。今日の女だって、結局は男に怒りを向けた。それで良いだろう。


 良いんだろうが、男の客が増えるのは危険で嫌だなあ。うてなみたいな無邪気な奴ですら嫌なんだから、邪気を含んだ眼差しで見てくる奴らが良いわけがないだろう。見世物じゃねーんだぞコラ。いざとなったら俺達が魔法でどうにかするのも手だが、なるべく攻撃的なふわもふでいたくはないのが本音だ。俺達はほら、マスコットキャラクターだから。魔女の隣できゅるんっとしているだけの、無害な荷物持ちの幻獣だから。

 そこら辺心得てないと、綾姫はまた疎外されてしまうだろう。森と街の宙ぶらりんの存在になってしまうだろう。街の住人になって欲しくはないけれど、森の魔女として孤独でいて欲しくもない。大体この家は綾姫の生まれた場所だし、家庭菜園もあるから離れるには勿体ない場所なのだ。だから街には通っているだけ。


 それでも馴染みの客は増えているし、綾姫は勝手に愛されている。都合の良い魔女として扱われている。それでも構わないことは構わない。必要とされているのは悪い事じゃないからだ。好き勝手言われても、都合の良い事だけ求められても、綾姫はそれで満足している。涙が出るほどに。

 俺達だって綾姫の好き方とは違う自覚がある。俺のは恋だし銀のは家族愛だ。繋がっているのは銀とだけ。俺の思いはあんまり伝わっていないし、暫くは伝えるのをやめておいた方が良いのかな、とすら思っている。


 あんなことがあった後だ。今日だってとばっちりを食った。恋愛が面倒な物だと思わせたくないから、俺も自重をしようかと思ってしまう。俺は関係ないのに。綾姫なんて被害者なのに。なんだってこんな目に遭わされないといけないんだ。

 まああの女も一応被害者ではあるか。ただし恋人によって傷付けられているが。それを綾姫の所為にしたかったのは、やっぱり愛していたからなのだろう。面倒な恋人を持っている。持っていた。最後は自分で報復出来たのだから構わないのか。

 ともかく綾姫は悪くない。それが街に伝わっていると助かる。じーさんばーさん達がそれを心得てくれていると良い。綾姫は悪くない。魔女は悪いものじゃない。どうかそれを、覚えてくれていれば良い。


 ふわあっと目を覚まして伸びをした綾姫は、少しの間ぼんやりしてから長い髪を掻く。それから机の方に向かって、救急箱を取り出した。どこか怪我をさせていたっけ、心配になって呼ぶと、塗り薬を取り出しながら綾姫は言う。


「応急処置の道具も持っていた方が良いのかな。これからは。自分か相手が怪我をすることもあるかもしれないし」


 そんなのからは俺達が守ってやる。きゅいきゅい鳴くと、そうか、と綾姫は苦笑いをする。心強いな、なんて、心にもない顔をして見せるから悲しくなる。ふわもふの身体で今回は片付けられたけれど、綾姫が人質に取られたら魔法を使わざるを得ないだろう。なるべく徒手空拳で片付けたいのだが。今回のように。齧ったり突撃したり、意外とこの身体は頑丈だしそっちにも向いているのだ。ナイフはまず刺さらないだろうし。薙がれても毛が幾本か抜けるだけ。

 格闘戦でも案外と行けるのだ、この身体は。それだけで済まない時は魔法だが、そんな時は先に街の人間が庇ってくれるだろう。その辺は信頼している。信用している。うてななんかも。あいつは出来れば利用したくないが。まあ、仕方ない時は助けも乞おう。綾姫を守るため。大義名分は奴にだって通用する。


「蒼には今回助けられてしまったな。怪我はないか?」

「きゅっ!」

「そうか、お前は強いものな。私よりずっと、強い。私ももっと魔法を勉強したいが、娯楽でなく教科書として読むと途端に眠くなるあの現象は何なんだろうな……何度も読んだ本なのに、呪文だの儀式だのを覚えようとすると、途端に面倒くさくなる。すまんな、ふがいない姫で」


 姫だからこそ不甲斐なくて良いんじゃないか。むっふー、と息を吐くと、そんなものか? と綾姫は救急箱をしまう。


「でも私はせめて自分の身は自分で守れる程度にはなりたいのだよ。今回のようなことがまた起きないとは限らない。はは、女たちにリンチされるのは恐ろしいものだな。下手をするとまた男達を差し向けられるかもしれない。その時はせめて服ぐらい燃やしてやろうと思うが、いざとなると指も鳴らせない。枯草ばかりになってよく燃えるようになったというのに――そうだ、うてなにも一応礼として何か持って行ってやらないとな。牛の飼葉でも持って行ってやるか」


 そう言えば飼ってたな、牛。どうせなら物々交換で牛のうんこも貰ってきて欲しい。良い肥料になるまで寝かせておきたい。それに、うんこの匂いがするところでは、勃つものも勃たないだろうし。

 そんな事を考えながら、俺はそろそろ腹が減ったので、部屋のドアを開ける。台所からはスープの良い匂いがしていた。昨日の残り物だが、スープは日を重ねるごとに煮詰められて美味いので、構わない。


「腹が減ったのか? 私もだ。それじゃあ、食べようか。銀が用意してくれているようだし」

「きゅっ!」

「腹膜炎起こさないように市の日は朝抜いていくか」

「きゅーっ!」

「冗談だよ。大丈夫、もうへまはしない。……でも助けてくれると、助かる」


 そんなことは当たり前だと、俺は胸を張って返事をした。

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