第23話

 一週間後、ある程度体調が回復した綾姫は大荷物で市に出た。わあっと並ぶ人々に、やっぱり綾姫は愛されているのだと実感し嬉しくなる。恋してるのは俺だけどな。あとうてな。あいつはそう言う知識、五年前にはもう知ってたって言うんだから、マセガキだと思う。そう言うのは好きな人が出来てからだ。もっともあいつの傍にそう言う感情を持つ奴がいなかっただろうことは想像できるが。案外綾姫が初恋なのかもしれない。好きなのが本当だとしたら。


「やっぱりここのじゃないと疲れ取れなくってねえ。ストックも合わせて大量買いしようかしら、今日は」

「生ものが多いから腐っちゃいますよ。飲み薬は二週間が限度です。貼り薬だって十日ぐらい。このクリームは一か月ぐらい持つんじゃないかな」

「このしわくちゃの顔に効くかしらね。ほっほっほ」


 とか言いながらちゃっかり買っていくばーさんである。良いカモが一人増えた。二週間分の薬はあっという間に売れて行き、いつも通り午前中にはなくなってしまっていた。多く持って来たのだが、ストックも素寒貧だ。あとは売り上げで消費した缶詰を補給しないとな、と思ったところで、ふっと気付いたのは殺気だ。


 俺は道に降りて綾姫の腰を突き飛ばす。

 その身体があった所には、ナイフの刃が突き刺さっていた。

 顔を見るが知らない女の顔だ。なんだって。ぶるぶると涙目になりながら、彼女はナイフを腹に抱えて持ち直す。

 転んだ身体を立て直した綾姫も、ぎょっとしている。そしてしげしげとその顔を見ていたが、やはり見た顔ではないらしかった。


「魔女! あんたが彼を誑かしたんでしょう、この魔女!」


 震えながらも大声で喋る彼女に、周りはざわざわとしている。が、誰も助けてはくれない。まあ俺と銀がいれば大概の事には対処できるから良いんだが、それでも公衆の面前で魔女呼ばわりは止めて欲しかった。精々が魔女見習いだ、こいつは。偶に竈の火を点け損ねて、かき回してもかき回しても煮立たない釜に首を傾げる程度の、ボケた薬師。そう、薬師としてもボケている。

 そっと耳をそばだてると、あちこちから情報が入って来た。


「あの子、魔女を襲ったって言う五人組の一人の恋人じゃなかったかしら」

「狩人の発言で引っ繰り返った話?」

「実は連中の方が強姦魔だったとか」

「まあ、恋は盲目って言うからねえ……」

「魔女の方に怒りが向いたのかしら」

「女の嫉妬は女に向くものだから」


 そういや結婚控えてるって奴もいたな。最後のヤンチャのつもりだったんだろうが、おそらく親達が破談にしたんだろう。仕方あるまい、犯罪者なんだから。こっちは被害者なのに、なんだって俺達の方が狙われなきゃならんのだ。刺すなら自分の男を刺せ。


 恋する乙女には言っても聞かねーんだろうなあ。突然の恋人の喪失は、その心を空っぽにさせただろう。こっちだって茫然自失が一週間続いたんだ、あれこれ言われる筋合いはない。しかも事実誤認している相手に。

 取り敢えずギラギラしているナイフを落とすために、俺はぽきゅんっと巨大化する。なっ、と驚いたその手に、飛び込んで噛み付いたやった。からんからんとナイフは落ち、それを踏んだのはうてなだった。来てたのか。顔も見せなくて良いというのに。その肩にはすっかり回復した朱が、瀟洒に乗っている。

 どうやらこっちは信頼度が上がったらしい。いつぞやの言葉を思い出しながら、銀も綾姫の前に立った。囲まれるようになった女性は、涙をぼろぼろ零してなんなのよ、と叫ぶ。


「魔女があたしの恋人を奪ったのよ! もうちょっとで結婚式だったのに、なのに! あんなに愛してたのに、今じゃ汚らわしくしか見えない! それもこれもあんたの所為よ、魔女! 出て行け! 街から出て行け!」

「あのさあ淑女ちゃん」


 割って入ったのは唯一喋れるうてなだった。


「君は強姦されたことがあるの?」

「なっ!? ないわよそんなの、あの人はいつも私に優しかったわ!」

「その優しい人が魔女を襲うはずないって?」

「そうよ!」

「そりゃあ大間違いだよ、淑女ちゃん」


 うてなの言葉に、俺達は反応しない。綾姫だけが二週間前のことを思い出して、かたかた震えていた。


「君の彼氏たちは魔女を見下して、何をしても構わないと思っていたよ。身体を抑え込んでワンピースを破いて、魔法の使えない綾姫ちゃんをふんじばってやろうとしてた。にやにや醜悪に笑いながら女を貪る男になっていた。それは僕が見てたからよーく覚えている。撃とうにも綾姫ちゃんがいたから出来なかったけどね」

「なっ……彼がそんな事、するはずないっ! 全部でっち上げよ!」

「目撃者がいてもそう言えるの? この証言は僕と青いの君や白いの君、両方の見た光景だよ。僕が嘘を吐いて何になる? 告白した相手が襲われそうになっていました。何の意味がある? まして君の恋人なんかに」

「あんただってスリに魔女の持ち金奪わせようとしたんじゃない!」

「残念ながらそれに関しては片付けているから関係のない話だなあ。話題を逸らすのは悪い癖だよ、淑女ちゃん」


 拾ったナイフの刃を持って女性に返したうてなは、無表情だった。いつかと同じポーカーフェイス。何の感情も無い声。何の憐憫も無い声。淑女はナイフを取り落す。それから、しゃがみ込んで、うわあああと泣き始めた。知った事じゃないので、俺は綾姫に寄り添い、立ち上がることを促す。その足は震えていた。

 人を呪わば穴二つ、とも言うけれど、あの男は婚約破棄に前科者のレッテルまでついてしまったんだなあ。思えば哀れではあるが、綾姫に何かをしようとしたことは許されない。主に俺達に許されない。綾姫を襲おうとなんて考えるからだ。そして突き飛ばされた衝撃でローブの外れた綾姫の顔は、衆目に晒されてしまった。また同じ事件が起こる可能性を、広げてしまった。それは大いなる誤算でもある。


「綾姫ちゃん、お祖母さんそっくりねえ」


 言ったのは花売りの老女だった。懐かし気に見られて、老人たちがああと頷いて見せる。


「今だから言えるが、あの魔女は俺の初恋だったからなあ」

「俺も。でもすぐ森に帰っちまうから声も掛けられなくてなあ」

「懐かしい。長い黒髪までそっくりだ」

「亡くなったって聞いた時には悔しかったよなあ。なんで告白ぐらいしなかったのかって」


 おいおいばーちゃんモテモテじゃねーか。そしてその孫の綾姫は、老人たちから見たら共通の孫のようなものなのかもしれない。そうして陣を組んでくれると、こっちも助かる。俺達にも限界はあるのだから。主に三分の、限界があるのだから。


 淑女の泣き声に人混みから出て来たのは、綾姫を襲った一人だった。保釈金さえ払えば帰っては来られる。その足で破談に行かされたのだろう。早い方が良い。女の盛りは短いという。早いうちに次の相手を見付けなければ、行き遅れになってしまう。それは家にとって恥だろう。もっとも噂で聞いた事がある程度の知識だが。女の結婚は早い方が良いらしい。ばーちゃんは、ちょっと早すぎる頃に襲われたらしいけれど。ロリコンだったのかな、前の狩人。


 元恋人を宥めるようにしゃがみ込んでその背を撫でる男に、淑女はキッとした目を向ける。そして拾ったのはナイフだ。

 彼女は男の足にナイフを突き刺した。

 ぎゃあああああと声が上がる。


 うてなが淑女のみぞおちを打ち、気を失わせる。綾姫はそれから、花売りの老婆を呼んだ。今日の彼女の商品の中には薬草も入っている。チドメグサも。綾姫はそれを齧り、薬研代わりに歯ですりつぶす。俺と銀は男のズボンをナイフで裂いて、患部を露出させた。ぺっと唾液交じりの草汁をそこに当てると、あああああああっと男は叫んだ。沁みるんだろうが応急処置だ、仕方がない。

 誰か医者を、とうてなが叫び掛ける。慌ててやって来た医者は、チドメグサで止血されているのを見て、動脈までは達していないと言った。それから麻酔もなしにちくちくと傷を塗っていく。次にやって来たのは中年の夫婦二組だった。淑女と男の両親だろう。男は泣きっ面に蜂、もとい顔面ストレートを食らう。


「これ以上恥を掻かせるな! お前とは勘当だ! 裁判が終わったらどこへなりと去るが良い! 恥さらしめ!」

「あんな男の為に罪を犯すなんて、なんてことをしたの! あなたにまで泥が付いてしまったじゃない、まったく! 魔女を襲うだけならまだしも――」


 言われて俺は緩くふわもふタックルを淑女の母の脚に食らわせる。はっと手で口を押さえたが、もう遅い。後悔役立たず。口元の草汁を手で拭った綾姫は、やっと立ち上がって、ローブをぱたぱたとはたき、土汚れを落とす。それからさっさと雑貨屋に向かった。缶詰を買うためだ。

 誰も声を掛けられない。だけど多分、また手紙は増えるだろう。目の前で薬草の効果を示したのだ。誰に文句を言われるわけもない。さて、今日のスープは何かな。柔らかいホワイトアスパラが食べたい。缶詰をねだってみよう。


「ありがとうな。蒼」


 こしょっと耳元で礼を言われ、俺はもふもふとその唇を奪った。

 やっぱり反応はなかったけれど、まあ、始めたばかりならこんな物だろう。

 さっさと修羅場を去っていく俺達であった。

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