第22話

 次の市を、綾姫は休んだ。ばーちゃんが生きてた頃からいつも行っていた場所に、初めて今日は行かなかった。幸い薬草も野菜も缶詰もあるから食事には困らないし、ちょこちょこ貯金もしていたからその辺りに問題はない。問題は、綾姫があれ以来寝たきりで何もしようとしないことだった。

 虚脱状態とでも言うのか、ショックが過ぎて寝込んでしまっている。俺はその綾姫にフルーツの缶詰を届けるぐらいしか出来ない。いつもならシロップまで飲み干すのだが、今はパイナップル半分でも残すようになった。痩せていく身体に心配の声を上げるが、大丈夫だ、と撫でられるばかりである。


 もどかしいが綾姫は今、混乱の中にいる。キスでもされた方がまだマシだったかもしれない。否、それではまるで恋人だ。恋人でも出来ないようなことをしたのが連中だ。傷付けようとしたのが連中だ。否、もう傷付いているか。十二分に、傷付けられている。


 どうしたら良いんだろうな、ばーちゃん。心理学の本も持っていたけれど、俺には読めない。どうしたら良いか分からないから、せめてもふもふと身体を寄せる。だけど綾姫はそれにすら怯える。俺はただのふわもふではなくなってしまったのだろうか。連中、今度現れたらどうしてくれよう。街で見付けたら、どうしてくれよう。


 綾姫がうつらうつらし掛けた所で、結界の外から声が響く。綾姫を起こさないように窓から出ていれば、警備隊の隊長とうてなと先日の連中がお待ちかねだった。綾姫は絶対に起こせない。俺はぴょんぴょんとポストまで出ていく。それ以上は近付かない。じとっと見上げると、五人の男達はヒッと声を上げた。目の前のふわもふがただのふわもふでないことを覚えたからの恐怖だろう。いい気味だ、もっと恐れろ。


「この五人が魔女に殺され掛けたというのでな。待っていたのだが今日は魔女は店を出していなかった。代わりに狩人に話を聞くと、これがまた矛盾する。殺そうとしていたのはこの五人の方だと」


 見てやがったなら助けろよ、うてな。あと朱の調子はどうなのかも訊きたい。きゅっきゅーと声を出しても伝わらないので、思案する。人型になるか。どうするか。


「彼らの通訳なら僕が出来ますよ、警備隊長。青いの君、お願い」


 渡りに船とばかり、俺は先日の事をふわもふ語で話す。うん、うんと頷くうてなには、本当に伝わっているのだろうか。胡散臭そうにしているのは警備隊長である。怯えているのは暴漢たちである。詳らかにされる事実。殺され掛けたのは綾姫の方だ。心を殺され掛けたのは。今だってその傷は残っている。そんなに簡単に癒えないものだ、これは。


「夕飯の野菜を取りに綾姫ちゃんが畑に出たら、襲われたそうです。最初は白いの君がその辺の竹を急成長させて上まで押し上げた。そこに青いの君が合流して、水に落としたと」

「魔女は魔法を使わなかったのか?」

「隊長、彼女は薬を作れるだけでまだ魔法はほとんど使えませんよ。だから魔女と言うのは正しくない。精々が薬師です。ちなみに白いの君は植物を、青いの君は水を操る魔法を使えます。彼らの方がよっぽど魔法使いだ」

「そうなのかね? 君達」


 ぶるぶる震えているのは、報復が怖いからだろう。彼らを殺しかけた相手が目の前にいる。ふわもふだって戦えることを彼らは知っている。むしろふわもふこそが脅威だったのだと、知っている。


「綾姫ちゃんはワンピースを破かれていた。物証になると思うから、持って来てくれる? 青いの君」


 ふるふるっと俺は身体を揺らす。それなら俺達が夜なべして繕ったからだ。飛ばされたボタンだって直したし、裂け目は綺麗に閉じた。でなければ綾姫がまた思い出してしまうと思ったからだ。言うとうてなが通訳してくれて、そうか、と眉を寄せられる。


「証拠がないとなるとな……」

「きゅ」

「ああ、あれ? 白いの君が生やした竹林跡」


 指さすともうにょきにょき生えている竹が見える。ヒッと怯えたのは男達だ。斜めに切ってあるから、串刺しを連想したのかもしれない。じろりと睨み上げると、五人は土下座した。


「すいません、狩人の言う通り、俺達の方が襲い掛かりました! 街で見かけて可愛い子だったんで、やっちまおうって!」

「魔女の家に入って行ったのは解ったんですけど、今までみたいに近づけないってことが無かったんで、入って行きました! それでちょっと出かけたのから戻って来たのを確認して」

「幻獣連れてたってどうにかなるだろうって、俺が指示を出しました!」

「俺がワンピースを破きました!」

「ごめんなさい、ごめんなさい! だからどうかことは内密に」


「出来るわけないだろうこの不埒者」


 言ったのは意外にもうてなだった。ポーカーフェスでいつもの猟銃をかちゃりと慣らし、男たちを見る。


「綾姫ちゃんには僕が先に告白してたんだよ。他にも相手はいる。それを無視して暴漢になった君達は、裁かれるべきだ。魔女だと見下していたんだろう? 普通の女の子には出来ない事をしてやろうとしたんだろう? 立派な犯罪だよ。犯罪に立派があるかどうかは知らないけれどね」

「俺、結婚控えてるんです! だからどうか、」

「下半身猿みたいな奴と結婚しない理由が出来て良かったじゃないか、相手の娘さん。浮気も本気も一緒くたにする強姦魔だ。お前たちは結婚なんかしない方が良い。奥さんに絶対に迷惑を掛けるよ。断言してやる」

「そんな、」

「言い訳は聞かんぞ、もう。大体お前さんたちは魔女に殺され掛けたと言って飛び込んで来たんじゃないか。そこが嘘だったのなら、何の信用も出来ない。付いて来い、狩人君も一緒だと心強い。幻獣は証人には出来ないが――」


 幻獣差別だ、ぎゅぃ、と鳴くと、皮手袋に包まれた大きな手がぽんぽんと頭を撫でてくる。


「うてな君が代わりに証人になってくれる。すまないが、我慢してくれ。ところで魔女はどうしている?」

「きゅっきゅー」

「ショックが強すぎて寝込んでるらしいですよ。生娘を強姦しようとするなんて、最低だね君達」


 お前には、強姦未遂二回ファーストキス強奪犯のお前にだけは、連中も言われたくない台詞だろう。手を縛られて五人と警備隊長は去っていく。その姿を見送りながら、うてなはちょっと遅れて行くようだった。しゃがみ込んで、そっと俺に話しかけてくる。


「本当に寝込んでるの? 綾姫ちゃん」

「きゅー」

「ご飯も食べないって、心配だなあ。ちなみに僕を新しい結界内に入れてくれるつもりは」

「きゅいっ!」

「食い気味に即答拒否だったね!? まあ良いや、朱ちゃんが大分回復してきていることぐらいは、伝えてあげて。じゃあ僕行くね」


 きゅぃーっと俺もポストを覗いてから家に戻る。ちょっと狭いガラス窓、手紙が大量に届いているから入りにくい。肝試し四人組の連名もあるらしかった。あとはいつものばーさんじーさんの筆跡。知らないのは、最近獲得した常連客だろう。何とか家の中に入り込むと、蒼? とベッドの上から呼ばれる。まあこれだけの大荷物抱えてたら音も立つ。


「どうした、蒼」


 本当に蒼いのは自分の顔の癖に。思いながら俺は、届いていた手紙を差し出す。身体を起こした綾姫はベッド脇の引き出しからペーパーナイフを取り出して、一通一通開けて行く。くすっと笑ったようだった。時々見せる柔い笑み。良いものがあったのだろうか。だとしたら、それはそれで嬉しい。綾姫を元気づけてくれる、言葉の数々ならば。


「突然休んだから風邪か何かを疑われているようだ。出来ることがあれば薬草でも摘んで持って来てくれるとさ。これは良くないな、薬湯売ってる魔女が風邪なんて引いていたら価値が下がる。他にもいろいろだ。いつもの四人はあれが無いともう疲れが抜けないと言うし、常連のばーさまやじーさまは今週分のストックが無いと言うし。我が侭だなあ。我が侭だよ」


 ぽたっと綾姫は手紙に向けて涙を落とす。


「我が侭に……愛されているのだなあ、私は」


 そうだ、みんなお前を愛してる、心配している。俺は恋してる、別の側面から心配している。うてなだっていつもの貼り付けたような笑みを消したぐらいだ。お前は必要とされている。街に、みんなに。もうコミュニティの一員として、認知されているんだ。

 だからという訳ではないが、早く体調を戻そう。フルーツポンチを持って来た銀からそれを受け取った綾姫は、久し振りにそれを完食したが、チェリーの種を飲んでしまったのだけは失敗だったらしい。


「あれの毒は青酸なのだよ……まあ一個ぽっちじゃどうもならないだろうが」


 うーむと頭を押さえて。三つ編みにしている長い髪を揺らす、その姿はいつものように戻っているようだった。


「きゅっきゅー」

「そうか、朱は無事か」

「きゅ!」

「ふふ、私みたいに肩に乗せてきたら、本物だな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る