第21話

 薬を混ぜている銀の待つ家に戻ってみると、きゅーっとお帰りなさいの声を受けた。ただいま、と言って綾姫は銀の身体を撫でる。羨ましかったので俺も俺もと身体を跳ねさせると、はいはいともふもふの身体を撫でられた。俺も心地良いが綾姫だって心地良いだろう。冬毛はもふもふ度倍だ。ただし綾姫の手の荒れも倍になるので、ちょっとそれは心配である。クリームを使っていても水仕事をすればすぐに落ちてしまう。元々顔用だから仕方ないが、寝る前にしっかり塗り込んでおけばそれほどひどくはならない。あくまで、それほど、だが。


 だけど俺達はいつもより水を含んでしまうので手伝いも出来ないのだ。薬湯に毛が入っていたら嫌だろう、そう言う理屈。難しいなあと銀と交代すると、まだ薬湯は水っぽいままだった。もう少し煮詰めなければな。思いながら俺はぐるぐると薬湯を混ぜる。

 綾姫は少し荒れた手でもう一度俺をもふもふしてから、外の畑に夕食の食材を取りに行った。今日も根菜メインのスープかな。コンソメに塩胡椒。うーん腹が減る。カレーも好きだ。シチューは牛乳が入ってるから食えない。


 銀がついて行って、さて次はどのタイミングでキスを仕掛けようかなと思う。次は舌も入れたいから食前の方が良いだろうか。取り敢えず綾姫が包丁を使っている時には、驚かれてしまうから止めよう。呑気に構えていると、外から声が聞こえた。


「蒼!」


 銀の悲鳴に、慌ててドアを開け外に出る。

 そこには竹林が出来ていた。

 その上の方に引っ掛かっているのは、街で綾姫を見ていた連中。

 しくじった。もっとさっさと新しい結界を描いておけばよかった。綾姫はへたり込んでいる。そのワンピースは前側のボタンを飛ばされていた。集団で何をしようとしたのか分かって、頭がカッとなる。やっぱり魔女の姿でいた方が良かったんじゃないか。それなら誰も綾姫を、『女』と見ない。


 だが今は違う。綾姫は『女』を晒してしまった。これからは一層の警戒を強めなくてはならない。綾姫。呆然としている。自分が何をされ掛かったのか、まだ理解できていないのかもしれない。だとしたら痛ましい。綾姫は自分に対する悪意にすら鈍感だ。街の人間が自分をどう思っているのか関心がないほど。魔女であることに安心していたほど。そのぐらいに綾姫は、自分の魅力に気付いていなかった。


 竹林はおそらく銀が成長魔法で作ったものだろう。この辺はたけのこもよく取れるから。俺は水を作り出しその中に落ちてきた男達を受け止める。しかし次は溺れるだけだ。助けてくれ、と言う言葉。綾姫が使っていたらこいつらはそうしただろうか。否だろう。だから容赦はしない。水を膨らませて、四・五人の男を水没させる。おやめ、と声が響いた。

 綾姫だった。


「もうおやめ、そのままでは死んでしまう!」


 死んでも良いと思っているからやっている事だ。ぷいっとして俺は更に水を増させる。


「『蒼』!」


 真名で呼ばれると、魔法が収束して男達が落ちて来るのが分かった。


 げえっと水を吐き出したり、げほげほ噎せたりしている男達。ぐったり動かないのはいないから、致命傷にはなっていないだろう。綾姫の奴、余計な事を。こう言うのは根源から絶っておかないといけないだろうに。優しすぎる俺達のお姫様。お姫様のように綺麗な魔女。魔法は使えないただの女の子のような、十七歳。シンデレラや白雪姫を信じていた、可愛くも幼い俺達の綾姫。

 それを襲うだなんて、虫唾が走る。複数人数でって辺り、うてなより性質が悪い。うてな。あいつは結界が無くなってもこんな風に綾姫を襲いに来ることはなかった。ある意味紳士的ではあったんだろう。俺達がいたと言うのもあるだろうが、真摯に朱の心配だけをしていた。邪気はない。なかった。こいつらと違って。


 こいつらは先代の森の狩人より性質が悪い。集団で、俺達がいるにも関わらず、襲い掛かって来た、綾姫は下着が見えている服の胸元をぎゅっと握り込むようにして、少し怯えているようだった。怯えもするだろう。うてなのように眠らせてから事に及ぼうとしたんでも無い。意識のあるうちに恐怖を叩きつけられた。怖かっただろう。俺が寄り添うと。びくっとされた。

 それは『男』に対する反応だったことに、最低ながら嬉しくなる。

 こいつらのお陰で、綾姫は『男』を知ることになったわけだ、皮肉にも。


 わたわたと逃げていく男達に、俺と銀は倉庫から白線引きを取り出した。身体に付けて呑気に結界を張る訳にはいかない、さっさとしなければ。銀と一緒にがらがらと鳴らしながら円を描いて行く。少しぐらい歪んでも良い。それから陣にしていく。前と同じだが、それでも十分だろう。

 出来てしまった竹林は、俺が根元から水流カッターで引き倒す。後で割って竹炭にでもしよう。薪割り場にそれを持って行くが、綾姫はへたり込んだままだった。きゅっきゅ、と銀が家に入ることを促すことで、やっと立ち上がる。


 綾姫は泣いていた。ばーちゃんが死んだ時とは違う涙なのは、眉間に寄った皴で分かった。怖かったのだろう。突然襲われて、服を破られて。何をされるかは分からなかっただろうが、直感的に嫌なことは分かったはずだ。恐ろしかっただろう。今まで自分の傍にいなかった人種にそうされて。

 やっぱり外に出る時は、俺がついて行けば良かった。呑気に薬を混ぜている場合じゃなかった。銀の戦闘力は俺より弱い。それでも『成長』の力は、森では有効だ。街でなくて良かったと、思うべきなんだろう。どこでも良いところなんてないけれど、マシだっただけ良い。やっぱり俺が付いて行かなくちゃ。俺が守ってやらなくちゃ。


 思うものの俺も警戒されるようになってしまったのだから、そう上手くはいくまい。差し引きゼロだ。俺は綾姫を助けられたが、同時に恐ろしいものにもなってしまった。自分より背の高い力の強い人間が、何をしてくるのかを知ってしまった。それは恐ろしいことだった。怖いことだった。それをすぐに忘れろと言うことは出来ないし、もしかしたらばーちゃんのように一生の傷になるところだったのかもしれない。

 否、もう傷になっているのかも。散らばった野菜を拾って家に入り、しっかりと閂を掛ける。南京錠も頭突きすることでどうにかなった。これで家の中は平和な場所になった。俺という男がいるだけの、場所になった。


 床にぺたんっと座り込んで、綾姫は顔を覆っていた。そのままひっくひっくとしゃくりあげる。怖かったよな。俺はせめてその脚にすり寄る。びくっとされた。足も開かれたのだろうか、指跡が付いている。無防備な素足。ああ畜生。やっぱり殺して埋めて畑の肥料にでもすればよかった。

 でも綾姫はそれを望まないだろう。それでも望まないだろう。人を傷付ける人間は嫌いだ。奴らは綾姫を傷付けようとした。十分に俺達の敵だ。だけど真名を呼んでまで、綾姫は連中を助けようとした。助けた。何故? 俺達も人を傷付けるようなものにはしたくなかったから?


 だけど、だからって綾姫が傷付けられていい道理なんか無い。森の魔女だからと言って人権がないわけではない、と思いたい。せっかく街にも溶け込んで来ていい関係を築けるようになって来たと言うのに、あんな奴らにそれを壊されたくはない。

 綾姫は魔法を使わなかった。ちょっとした火の魔法でも、木綿の服に移れば火傷にはなっただろう。でもそうはしなかった。それは綾姫の甘さで優しさだ。そんなものは必要ない相手だというのに、つい考えてしまう。大切にしている人が悲しむだろうな、と、考えてしまう。


 呑気だ。それは。襲われているさなか相手の心配をして自分の傷を容認してしまうなんて、呑気としか思えない。銀は釜を掻き混ぜに行った。俺は綾姫の傍で傷を癒すためのふわもふでいる。そうだ、と思って、俺は大きくなる魔法を使ってみた。きょとん、と顔を上げた綾姫の、顔を身体で拭ってやる。それからもふもふと身体中に懐いた。胸元にやってきたところで、綾姫は俺の身体を抱きしめ、ふぇえぇぇぇぇと泣き出す。


「こわかっ……たぁあ……! 二人がいなきゃ、殺されるところだったあ」


 いや殺されることはなかっただろうが、綾姫にとっては加害衝動なんて慣れないものはそう思われても仕方なかっただろう。殺されるほど怖いこと。多分女にとっては、そうだと思う。ばーちゃんのように。


「何で、何でぇ……私、何にもしてないのに……何でええ」


 何もしてなくたって、お前は綺麗だからな。それは慰めの言葉にならないので言わない。ただ抱きしめられておいてやる。ぽとぽとと涙が毛に染み込んで来た。こんなに無防備に泣くなんて、小さな頃以来だと思う。原っぱで転んだ時みたいな。


「私が、魔女だから? だから殺されるの? おばあちゃんも魘されてた。殺され掛かったから? どうして? 私達、何もしてない。何もしてないよお」


 毒を作ったことも人を呪ったことも無い。それでも綾姫が穢されそうになるのは、多分ばーちゃんと同じ理由だろう。ばーちゃんは初めて会った時から美人だった。それが祟って、狩人に襲われた。綾姫も美人だということが分かってしまった。うてなのように真正面から告白をしてくるなんてまだるっこしくて、奴らは綾姫の身体をただ貪ろうとした。

 うてなの方がましだなんて思ったのは初めてだ。どっちにしても危険極まりないが、複数よりはマシだろう。


 ぽきゅんっと魔法が切れても、綾姫は俺を抱きしめて泣くばかりだった。

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