第20話

 昼前に街に出る。魔女のローブは目立つという判断で銀に却下され、肩掛けとばーちゃんのお下がりのブラウスにスカート姿で行った。髪は編み込んで目立たないように、それでも振り返る男が何人かいたのに俺は威嚇したくなる。あの幻獣、と不躾に指をさしてくる奴もいたが、まあ許してやろう。そう、青と白の幻獣二人連れの女なんて、ローブを被っていなくたって解る。


 図書館はひと気が無く、司書もくぅくぅと転寝していた。良い商売だな、と思いながら綾姫を連れ込むのは、恋愛小説の棚だ。ほわーっと敷き詰められた煌びやかな言葉たちの中から、俺はばーちゃんがよく借りていたものをぴょんっと飛んで落としてみる。


「これがお勧めなのか?」


 こっくん頷けば、ありがとう、とぽふぽふ撫でられて、まあ、悪い気はしないわな。こういう時はふわもふの方が気を抜かれてて良い。もっともそこからの脱却を図っているのでもあるが、綾姫は人型の俺の髪にも撫でることは忘れないでくれた。あれも一種のふわもふ扱いか。心地よかったけれど、次はもっと違う場面でそうやって欲しい。


 人間の字は読めない俺達は、日向ぼっこをしながらぺらりぺらりと捲られていくページ音に耳を澄ませながらうとうととする。そこで、あれ、と聞き慣れた声がした。嫌な気分で顔を上げると、やっぱりいるのはうてなである。


「綾姫ちゃん、図書館使うんだ」

「ああ、うてなか。否、普段は寄り付かん。今日初めて入ったようなものだ。お前のき……キスと、こいつの恋とやらを知りたくて、勉強中だ」

「恋愛小説で? 案外可愛いところあるよね、綾姫ちゃんって」

「うるさい燃やすぞ」

「あっれぇ照れ隠し?」

「お前は何をしに?」

「薬草の本を探して。朱ちゃんまだ熱が下がらないからね、良いものが無いか探しに来たんだ。ここに来る前に綾姫ちゃんちにも寄ったんだけど、いなかったからさ。まさかのばったり偶然ハプニングだよ」


 本当だろうか。まあ朱の事を大事にしているのは事実らしいので、仕方なく威嚇するのは止めてやる。日の当たる窓際の机で本を読み続けると、綾姫のページを捲る速度が遅くなっていく。ちら、と見ると。顔を真っ赤にして口をむゅむゅさせていた。


 過激なシーンはないはずだが、キス一つでも過激だった綾姫にはそれこそローティーン向けの本にした方が良かっただろうか。でも手っ取り早いのも大切だ。主に俺の中で。ぅわ、とか、ひゃー、とか言ってる綾姫は、正直に言えば可愛い。大人向けの小説だと思うが、そんな露骨な表現は無いだろう。ラブロマンスって奴だ。俺も良くは分からないけれど。


 一冊読み終わるのに二時間ほど掛けて、綾姫は本を戻しに行く。二人ともおいで、と言われたので、うとうとしていた俺達はぴょんっと綾姫の肩に乗って図書館を出る。まだ頬が赤い綾姫は、一体どこが引っ掛かったのだろうか。訊いてみたいような気がするが、出歯亀は良くないだろう。冬毛になって来たふわもふは身体が一回りほど大きくなってくる。その毛並みで頬にすりすりとすると、あ、ああ、とぎこちなく応えられた。

 そんなに過激だったのか、少女にとっては。ああ言うのは憧れが詰まっていると聞いた事があるのだが、精神的に幼い所もある綾姫には、やっぱりローティーン向けが良かったのかもしれない。最後はキスで締め括られる、そう言うの。


 ばーちゃんも多分、恋を知ったのはこういう小説からなんだろうなあ。それでも生涯の伴侶には恵まれず、どころか息子夫婦に先立たれて、綾姫の世話が大変だっただろうし。だからそう言う、恋愛とかは全部すっ飛ばしてばーちゃんになった。そしてそれらとは正反対の方向を見て旅立った。正反対の、夢を見て。


 狩人が死んだ事も知らずに逝ったんだろうなあ。それとも森の動物たちの知らせで知っていたのだろうか。でもそれを知ってて放っておくばーちゃんじゃないから、多分最後まで自分を犯した男が孤独死したことは知らなかったんだとも思う。孤独死。俺達ふわもふは百五十年近く生きると言われている。長い長い、幻獣の時間。多分綾姫にも置いて行かれることになるだろう。

 それでも綾姫と一緒に居たい。


「恋は解ったのか?」


 悪戯気に訊いてみると、頬を真っ赤にした綾姫が頷く。


「あんなにも情熱的なものだとは知らなかった。キス一つとっても色々あるのだな。舌を入れられなくて良かった」


 それはまったくだ、うんうん頷いていると、綾姫が今度は悪戯っぽく聞き返して来る。


「お前は舌を入れたいのか?」


 きゅっと思わず鳴けば、くつくつと綾姫が笑う。

 帰ったら絶対ちゅーしてやる、勿論このふわもふの身体で。人型にはならない。なれる気がしない。まずはスタートダッシュの出遅れを取り戻さなくてはならないだろう。とにかくちゅーしよう。隙あらばいつでもちゅーしよう。ただし寝ている時はしない。それは約束だ。


 家に帰り着き、綾姫はいつものワンピースに着替えた。その方が身体を締め付けずゆっくりできて楽らしい。色んな薬を釜で煮込んで、それからついでにとばかりに取り出したのは薬草だった。薬研で粉状にして、油紙で包む。


「うてなのところに薬を届けてくる。銀、残って薬を混ぜて貰っても良いか?」


 きゅ! と銀はもふもふの短い手を上げた。


「蒼は私と一緒に来てくれ。念のためにな。みぞおちは止めてやるように。あいつが伸びたら朱の薬の世話をする者がいなくなる」


 そんな理由で俺のタックルを止められると思ったら大間違いだぜ。


 けもの道に入るが、獣が最近通り道にはしていないこの道をけもの道と呼んでも良いものなのだろうか。まあ良い、思いながらうてなの小屋の前に着く。俺は二度目だが、綾姫は初めてだ。家の横にはいつぞや言っていた牛達が繋がれている。腹がでかいから妊娠しているかもしれない。でなきゃ牛乳出ないもんな、と勝手に納得した。

 コンコンコンコン、とドアをノックすると、慣れた薬草の匂いをさせてうてなが出て来る。


「あれ、綾姫ちゃんが来た。どうしたの?」

「傷に効く薬草だ。もっともこの匂いなら、お前も摘んできた後なのだろうが」

「まあね、その辺に生えてるのをちょびちょびっと。でもありがとう、君のお墨付きなら信頼できるよ。よかったらコーヒーでも飲んでいく? 砂糖もあるから甘く出来るよ」

「否、竈をもう一人に任せているからな。長居は出来ん。用は済んだから帰るぞ」

「えー泊って行ってくれないのー?」

「泊まったら何をするんだ?」

「あれ、綾姫ちゃん恋愛小説読んでたよね」

「ああ」

「もしかして結構若い子向け?」

「そうだが」


 あちゃーっと目頭を押さえて、うてなは首を晒し顔を上に向ける。やかましい。今の綾姫にはあのぐらいの表現でもぎりぎりなんだ。キスの表現が異様にねちっこい小説だったはずだからな、あれ。憧れるけれどちょっとねぇ、と言っていたばーちゃんの言葉を覚えている。


 女子はキスに憧れるものなのだろうか。だとしたらそれを奪って行ったうてなは虐げられるべき存在だ。主に俺によって。俺は見せつけるように綾姫の頬に懐く。うん? と顔を向けられた瞬間、ちゅっと唇を奪う。

 赤面もしてくれなかった。ちょっと凹む。やっぱり人型。でも俺は、それは禁じ手だと思う。自分より背の高い相手に無理矢理強引になんて、紳士らしくない。いやべつに俺は紳士でなくても良いんだが、ふわもふらしくない。もっと可愛さを生かした戦法で行かなければならない。ぶーたれているのはうてなだ。見せ付けないでよ、と言われて、きょとんっとした綾姫の、横顔にもう一度キスをした。冬毛がくすぐったかったのか、これ、と窘められるが顔は笑っている。


「綾姫ちゃんって結構残酷だよねー……」

「お前に対してはな。朱はどうしている?」

「今寝たとこ。でも床でもすることは出来るよ」

「すること?」


 シャアっと威嚇すると、こわやこわやと肩を竦められる。


「やっぱ僕の方がリードしてるよねえ。青いの君」

「うるせー俺の事は俺と綾姫が分かってりゃいいんだよ」

「それは良いお言葉で。じゃあ綾姫ちゃん、帰るの? 送って行こうか? まだ新しい結界もないみたいだし」

「否、問題ない。お前は朱から眼を離さないでくれ。一応解熱剤も入っているからな」

「ありがとー融通の効くお隣さんで僕嬉しい」


 薬を渡してドアを閉じ、俺達は来た道を戻る。確かにリードはされている。しかし追い付けないほどじゃない。多分、まだ。

 俺を侮るなよ、うてな。俺にはこの無敵のふわもふ形態があるのだ。ガードは下げられきっている。あとはこの状態でどうやって綾姫を赤面に持ち込むかだ。絶対に負けられない戦いが結構そこら辺にあるが、これは一等だろう。このふわふわもふもふの身体を限界まで使っても良い。


 しかしそうか、白雪姫を信じている綾姫に恋愛小説は早かったか。否遅すぎたか。次はもうちょっと絵とかの描いてある低年齢向けの本にしよう。次があればの、話だが。

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