第18話

 綾姫がリクエストの薬を作っている間、俺と銀は朱の看病を担当することになった。熱がでたりがたがた震えたりしていたが、約束の三日目には熱だけになっていたので、俺達も安心する。ごめんね、とうわ言の様に謝られた。思えば最近の朱はずっと俺達に謝ってばかりだった気がする。


「本当に、偶然に罠に引っ掛かっただけなんだな?」


 念には念を入れて訊ねると、うん、と朱は頷く。


「ごめんね、アオ君とシロ君の張った結界、壊しちゃって」

「そのために傷付けられた、とかじゃないんだな?」

「うん、違う。むしろあの人、動揺して本当に私の心配してくれたみたいだった。深呼吸してから綾姫ちゃんの所に行こう、って、冷静を装ってたけど、あれで結構慌ててたみたい」

「動揺……慌てるねえ……」


 まあ確かに幻獣の世話なら街の動物医より魔女の方が適当だと言えるだろう。だが、本当にその為だけに来たのかは怪しかった。結界が効かなかったことだってあいつは気付いただろう。もっと違う結界を作らなければ。朱がうてなの元に戻ったら、俺達も本を読もう。高等魔術の本は棚の上にあるので手が届かない。銀と二段ジャンプだな、後で。

 それにしても意外なのは、朱がうてなにそれほどの悪意を持っていないことだった。無理やりテイムされている割には、復讐したいとか痛めつけたいとか思っていないように見える。何故か問うてみると、意外な事実が発覚した。


「あの人、私に優しかったの」

「……俺達には生意気だったと思うが」

「そうなんだけど、綾姫ちゃんやアオ君たちが関わらない所では、ブラッシングもしてくれたし、食事も用意してくれた。寝床も自分のベッドの隅に作ってくれたし、狩りが成功すると褒めてもくれた。複雑だけど、私には、怖い人じゃなかったわ」

「あいつ綾姫のこと二回も狙って来たんだぞ」

「多分……寂しかったんだと思う」

「寂しい?」

「街でもまだ受け入れてもらえなくて、話す相手はふわもふの私だけで。それが寂しかったんだと思う」

「……ふわもふ二人と暮らしてる森の魔女に、言いたい放題言ってくれるな」

「ごめんなさい。でも多分、そうだと思うの。生まれた時から一緒に居るアオ君たちとは、やっぱり友好度って違うと思う」


 だからって無理矢理テイムしてきた相手を庇うのか。なんとない違和感はあったが、それが朱に対するうてなの態度だったと言うのなら仕方ない、頷いておくことにする。友好度ねえ。眠ってる女の子をニマニマ覗き込んでるのが第一印象だっただけに、あまり信用は出来ないと思っているが。それに麻酔を使った強姦未遂が二回だ。とてもじゃないが、同じ人間の側面とは思えない。


「家族がいなかったから、子供が欲しいっていっつも言ってた。お嫁さんが先だけどねって笑って。だから綾姫ちゃんは理想の相手だったんじゃないかな」

「狩人の相手に生臭を食わない魔女は正反対だと思うけれど」


 銀のツッコミである。俺も考えたことだ。


「……あいつ、神様って呼ばれて育ったらしいけど、その辺の事は聞いてるか?」

「アオ君が小屋に来た時、私もこっそり聞いてた。自分から話してるのを聞いたのは、あれが最初」

「小屋に行った? そうなのか?」

「手紙が入ってた時にな、ちょっと夜更けに行って来た。あいつは神様として育てられて、捧げられた本から知識を受け取り食事も何もかもされるがままだったらしい。ただ大切にされていたのを、我慢できなくなって、五年前に脱走したそうだ」

「子供は神様の物だって言うからね……子供本人を神様に見立てるのは間違ってないんだろうけれど、束縛が激しかったのかな」

「かもな。でも綾姫には関係ない事だ」

「確かに」


 ふーむ、と銀は上を向いてちょっと考える風にした。何か矛盾でもあっただろうか、思いながら俺は朱の包帯を代えていく。傷は腐る事もなく、綺麗に閉じていた。まだ引っ張ったら取れるだろうから、安静にしておくに越したことはないが。

 と、台所のドアが開いて綾姫が姿を見せる気配があったので、俺はさっとテーブルの陰に隠れた。銀は何も言わない。朱もだ。あの告白以来、俺は綾姫と顔を最低限以外合わせていない。夜も門の前で眠るようになった。風呂も別。それが俺の誠実だ、これでも。子供の感情で好きだと言われても、合わせる顔がない。少し距離を置いた方が良い。銀は最近、リビングのテーブルの上で籠に寝かせられた朱の傍で眠っている。やっぱり綾姫には近付けない。


 それでも一時期よりは良くなった方だろう。呼ばれれば風呂にも入るし、眠っている時はこっそり顔を見に行く。俺には綾姫の部屋のドアすら鬼門だ。偶に台所に隠れて、釜の様子を見たりはする。お手伝い人の小人さんだ、まるで。でもそれが本来の俺達のすべきことだったんじゃないかとも思っている。綾姫を独立させる。そのために見守る、と言うことが。

 あれこれ手を貸して助けているだけのつもりになっていたのかもしれない。だったらこれは天罰だし、天職でもあった。大きくなる魔法のページには小さくなる魔法もあったので、それを使って家の中をこそこそと鼠のように隠れる。


 例外は食事の時だけだ。市の時にはどうしよう、まあ人型にさえならなければ俺も問題はないので、いつも通り付いて行くことにしよう。その前に今夜やって来るだろううてなが問題だ。結界はもう効かない。綾姫はあいつを突っぱねるだろうか。それとも受け入れるだろうか。

 テイマーだと知ったからにはあいつの前で迂闊に俺達の名前を呼ぶことも無いだろうが、それでも家に入って来るのは危険だ。新しい結界も見付けていない俺達には、何もすることが出来ない。


 開き直って銀と一緒にあいつ追い出すか。朱はテイムされてるから、付いて行かせるしかないが。下手に脱走しようとして傷が開いたら困る。朱に薬湯を飲ませて台所に向かって行った綾姫と目が遭ったような気がして、俺はそれを逸らす。隠れているんだ、見えて堪るか。また台所に向かって行った綾姫に、ぴょんっと朱たちの元に戻る。ごめんね、と朱はまた俺に謝った。


「私がこんな怪我した所為で、三人の関係が壊れちゃったみたいで。ごめんね、ごめんね」

「お前は関係ない。うてなの所為だ、あれは。それに遠かれ近かれ、俺も自分の心に嘘は吐けなくなっていたかもしれないしな。最近のあいつは街でもモテモテなんだ。親衛隊みたいなのも出来てるぐらいに。呑気で平和だが、俺には少々煩わしい。綾姫は俺達のお姫様なのにな」

「そうだね、少し前まではそうだったかもしれない。でも今は違う。街の人からの需要も上がってるし、これはこれで正しい道なんだよ。いずれ姫様も恋をするかもしれない。そこに僕たちは入って行けない。誰をどう好いても。それがうてなだったとしても」

「もどかしいな」

「だったらちゃんと、姫様に向かい合えば良い。その為の三分間なら、きっと短くはないよ」


 果たしてそうだろうか。三分の時間制限。変わらないと言われてしまった。あいつに見えるのは蒼毛のふわもこである俺以外の何でもないのかもしれない。異性だとか男だとか、そんなことは関係なく。もうただの、ふわもふと変わらないんじゃないか。だとしたらそれは痛恨の一撃だ。あいつに意識されることが絶対にない三人に入ってしまったようなものだ。うてな。銀。俺。しかもうてなは怪しいと来ている。どうしたもんなんだろうな、これってのは。


 俺はとにかく、ふわもふでいよう。綾姫があの呪文を使ったら、時間切れまで逃げ回るか立てこもるかしよう。ただのふわもふ。それで良い。家族としての愛。それで良い。恋なんて無慈悲な物は捨ててしまって。


 そうしてしまえば、今まで通りの三人に戻れるのか?

 銀はともかく、俺は自分で姿を晒してしまったのに?

 恋愛感情だと、言ってしまってなお、相手にされないのに。


 屈辱だよなあ、この扱い。ひでえよなあ、神様。俺はただ、ただ綾姫に恋しているだけで良かったんじゃないか? それをうてなが恋愛感情だなんて言い捨てて行きやがったせいで、この様だ。顔も出せない、見せられない。毎晩泣いてるのがばれないように、ドアの外で眠る。嫌な夢を見るんだ。うてなと綾姫が仲睦まじくこの家で暮らす夢。人間にはそんなことが出来るんだな、と羨ましくなるぐらい。

 いや、実際羨ましいんだ俺は。まっすぐに感情表現が出来て、公衆の面前で告白出来て、俺には出来ない事も平気でやらかすあいつが、羨ましくて仕方がない。そりゃあその半生を羨むことは出来ないが、それでも今のあいつは自由だ。


 自由。ばーちゃんの掛けた封印は、俺達をそこから遠ざけるものだったのかもしれない。だったらどうすれば良い? それでも、としゃかりきになれば解けるのか? あのばーちゃんがそんな簡単なまじないなんて掛けるわけがない。どうすればこの封印は解ける?


「綾姫ちゃん、朱ちゃんの具合はどう?」


 ノックもなしに入って来たうてなに、俺はまた姿を隠す。台所のドアが開いて、勝手に入って来るな、と綾姫が溜息交じりに言うのが聞こえた。


「消毒と膏薬塗りを日に二回。一週間程度で跳べるようになるだろう。だが予断は出来ないので、無理はしないように」


 籠ごと渡された朱に、うてなは心底からほっとした。ように、見えた。

 三日間喋る相手もいなかったんなら、そりゃ孤独だったろうな、なんて。

 だから俺も綾姫を恋心ごと捨てては行けない。ここに居たい。

 一人前になったら出て行こうかなんて考えていたこともあるけれど、所詮は空想だ。


「ありがとう、綾姫ちゃん」

「礼を言われることはしていない。どうしてもと言うのなら。市の時に荷物持ちで付いてきてくれ」

「え、なんで?」

「青いのが最近姿を見せようとしてくれない。市にも付いてきてくれるか分からない。そして私と白いのでは大荷物を担いで行けない」

「あー……何、告白でもされちゃった?」

「まあな」

「返事は?」

「愛してると答えた」

「それは駄目だよ綾姫ちゃん!」


 思わぬところからの援護射撃に、俺はきょとんとする。


「恋してるかどうかで応えなきゃ! 青いの君が一番気になってるのは、そこなんだよ!」


 その通りなので、逆にテーブルの陰から出てしまいそうになった。

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