第17話

「なっ……無事か、朱!?」


 慌ててタオルを持って来た銀に、うてなはトラバサミを開いて見せる。ふわもふの身体に見事にはまっていたそこからはむわっと血の匂いがしていた。うてなの皮手袋もそうだ。息が浅い朱に、俺は気付け薬を飲ませる。朧に開いた眼が、一層に痛ましかった。

 綾姫は血止めの膏薬やガーゼ、包帯、消毒液なんかを用意して順番に出して行く。傷は深いが、命に係わるほどじゃない。きゅっ、と伝えると、そうか、と綾姫はホッとした顔を見せた。あれ、とうてながトラバサミをぶら下げながら、ゆらゆらさせる。


「綾姫ちゃんって幻獣の言葉分かるんだっけ?」

「勉強してるんだ、最近。身近な者の言葉ぐらい解った方が良いかと思ってな。色々資料を漁っていたら、面白いことも解ったし」

「へー。何、この子たちが人間になれること?」


 ぶっ飛ばすぞうてな。俺は朱の毛の中に潜り込んで、傷を探す。あった。ここ、と綾姫に示すと、消毒液が掛けられた。朱の悲痛な悲鳴が響く。いっそ気を失った方が良かっただろうか。綾姫はべったりと毛にくっ付く膏薬を患部に塗り付け、ガーゼを当てて包帯で撒く。それから作りかけの薬湯を持って来て、気やすめだが、とスプーンで飲ませていた。ほっとしたのか、朱は目を閉じる。

 生きてはいる、俺と銀は朱に身体を寄せた。ふわもふの怪我にはふわもふを。ぎゅーっと患部を押さえて止血していると、鮮やかなもんだね、とうてなは感心して見せる。


 うるせーぞ諸悪の根源。とうとう朱までこんな風に使いやがって。きっと睨むと、おっと、と両手を上げられた。その手には閉じたトラバサミがある。錆が浮いてて、いかにも不衛生だ。


「言っておくけれど朱ちゃんを罠に掛けたのは僕じゃないよ。前の狩人が置きっぱなしにしていたものに、朱ちゃんが引っ掛かっただけ。手当ての心当たりが綾姫ちゃんしかいなかったから助けを求めに来たんだよ。それに僕は狩人だけど、食べられないものは狩らない。それは初恋の人の名前に誓っても良い」


 何言ってんだこいつは。馬鹿なのか? アホなのか? 信じられると思っているのか? うーるるる、と銀が珍しく唸る。銀も朱の事はお気に入りだったからな。昔からの馴染みだ、俺だって。

 それをこんな形で連れて来られて、胡散臭くないはずがない。手を洗った綾姫は、難しい顔をして朱を見る。悪いのだろうか、やっぱり。ふわもふの身体に当たるなんて、よっぽど難しい事だぞ、トラバサミ。


「今日は私が預かる。今夜が峠だろうからな。後で破傷風と敗血症なんかの薬を打っておかなければなるまい。内臓に達しているからな。もしかしたら丸刈りにするかもしれない」

「そっか」

「ところでお前、何故朱の真名を知っている? 森では朱いの、と呼ばれていたはずだが」

「初めて森に足を踏み入れた時にね、教えてくれたんだ。人懐っこい子でね、名前を訊いたらすぐに教えてくれたよ」

「そしてテイムした」


 間髪入れない俺の言葉に、うてなは一瞬荒んだ目でこちらを睨む。とは言え恐ろしくはない。ふわもふ三匹固まっている中で、何が恐ろしいものか。ふわもふの俺達は、核が探しにくいし銃だって柔毛で受け止められる。それに何より、俺達は柔らかい。俺は最近むきむきになって来たけれど、白銀はまだふわふわのままだ。ふわもふ。恐ろしいか、うてな。これがふわもふの結束の力だ。


「テイム……? お前、テイマーだったのか? うてな」

「まあその知識があるだけで初めては朱ちゃんなんだけどね」

「家の周りで起きた火事――まさか朱の炎で?」

「あれ、勘が良いね。そうだよ、僕が朱ちゃんにお願いした」

「命令だろうっ!」


 ぱん! と音を立てて綾姫がテーブルの上を叩いた。すっかり冷めたスープの皿が揺れる。


「朱は私が預かる! お前にはもう返さない!」

「無理してでも戻って来ちゃうのがテイムの怖いところなんだよねえ」

「貴様ッ」

「綾姫ちゃんだって二人いるじゃない」

「こいつらは家族だ! テイムの魔法なんて使っていない!」

「へーぇ、だったら随分好かれてることになるねえ」

「何を」

「恋愛感情持たれてるって意味だよ。恋敵だね、僕にとっては」


 くつくつくつって笑って、うてなは玄関に向かう。


「三日後には迎えに来るよ。それまでに素人でも看病できるようにしてくれて欲しいな」

「……解った」

「じゃあね、あーたん」


 ぱたんっとドアを閉じて、うてなは去って行った。


「お前たち、私が好きなのか?」


 覗き込まれて問われる。嘘は言えない。言う必要もない。好きだ、と俺達は伝える。綾姫はちょっと戸惑った風にして、そうか、と頷く。


「それは恋愛感情の意味なのか?」


 俺は固まる。銀は、ふるふると頭を振り、家族ですよ、と伝える。僕達三人揃って家族だったじゃないですか。今も昔も。

 そうだな、と綾姫はちょっと嬉しそうにする。それから蒼、と俺に声を掛けて来た。無視はできない、家族の言葉。俺は銀のような保護者目線の好きじゃない。うてなの言う通り、恋愛感情の意味だ。愛してる。愛してる。時々だけど人の姿で添い寝をしたこともあるぐらい、愛してる。たった三分だったけれど、あれも夜這いと言うのだろう。

 うてなよりは強引ではないが、俺だって綾姫を愛してる。それを伝えたくはない、まだ。もしかしたら永遠に。それでも良い。それでも構わなかった。うてながあんな言葉を、使わなければ。


「蒼?」


 呼ばれる名前はばーちゃんが付けてくれたもの。綾姫から無限の愛情で呼ばれ続けたもの。だけどこんなふわもふに恋愛感情持たれたって、困るだけだろう。あくまでふわもふでいたい。いたかった。だけど突きつけられてしまったら、それはもう隠し通せない。


 テーブルから飛び降り、ぽきゅんっと俺は人型になる。

 長く青い髪を縛った、人型に。

 綾姫はぽかんとしている。

 俺は口唇を噛んで、うつむいた。

 その先にあるのは、綾姫の黒い目だ。

 自分の目の色は知らないけれど、綾姫のこの色なら慣れている。

 心底から驚いているのが、分かるほどに。


「俺達は一時間に三分だけ、人型になれる。そう言う封印を、ばーちゃんにされている。綾姫が独り立ちできるまでの約束だった。でも異物が出て来て、そうは出来なくなった」

「うてな」

「そうだ」

「それで」


 それで。


「お前は私が好きなのか?」


 こくんっと頷くと、銀はあーあ、と言うように身体をふるふるさせて、俺を見る。見上げてくる。こうしてみると俺達ふわもふって本当にちっぽけな存在だな、なんて思えた。それでも人型になれる。人を愛することが出来る。恋することが出来る。残酷ながらに、俺はそうだった。

 眉を寄せる。こんなはずじゃなかったのに。ずっと綾姫のふわもふでいたかったのに。綾姫の為だけの、綾姫にだけ秘密の、ふわもふでいたかったのに。どうしてこんな事になってしまったんだろう。うてな。あいつの所為だ。捨て台詞がてらにばらされて。


 俺は綾姫が好きだ。愛してる。恋してる。

 でも同時に、それが敵わない感情だとも知っている。

 俺の思いなんて、言わなくても良かった。ただ俯いていれば良かった。

 だけど綾姫に嘘を吐くことは、出来なかった。

 すべてを嘘には、したくなかった。


 ふっと手が伸びて来て、青い髪を梳く。


「ふわふわだ」


 言って綾姫は笑う。


「何も変わってないじゃないか。お前に愛されて、私は嬉しいぞ。こんなに男前だとは思わなかったが、銀と良い、お祖母さまは面食いだったのかもな。蒼」


 ぎゅっと抱きしめられて、硬直する。


「愛しているよ」


 それは俺が望んでいる言葉じゃない。

 直感的に分かる。

 家族を失望させたくないからの言葉だと、分かってしまう。

 俺の感情とお前の感情は違う。

 違うんだよ、綾姫。

 俺はそんな風に愛されたいんじゃないんだ。

 抱きしめて撫でてやれば解決する、そんな愛じゃない。

 これは恋なんだと泣きそうになったところで、ぽきゅんっと身体はふわもふに戻ってしまう。


 残酷な神様。なんだって俺はこいつを愛した? 生まれるところすら見ていたはずのこいつを、どうしてこんなにも焦がれるまでになってしまった? 神様はうてなの顔をしているだろう。しょうがないじゃない。そんなのは君の業だよ。ああそうだ、俺の業だ。美しく育っていく綾姫に惚れてしまった、俺の業。


 綾姫の腕の中にふわもふで抱き締められながら、俺は目の周りの毛に吸わせるよう、涙を流した。

 蒼、と呼ばれる。

 きゅぅ、と応える。


 もう人間の姿になんか、ならない。

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