第16話

 市は大賑わいだった。飛ぶように売れる薬湯、湿布、久し振りに酪農家さんが来ていたので牛用の胃薬も。手紙の、と言われて出すのはクリーム。温めると使いやすいけれど融けるところまではいかないように、と注意して、三つ完売。肝試し軍団もやって来て、いやーすごい効き目でしたと笑って行く。いつもの常連さんにも薬湯を。午前のうちに金貨五枚分は売れたが、小銭ばかりなのでずっしりと財布は重かった。


 これで冬用の缶詰なんかを買わなきゃならないことを考えるとまあまあ上々だが、うてなが姿を現さないのが不気味なようでホッとするようでもあった。同時にゾッとするようでもあった。何か企んでいるんじゃないか。何か仕掛けているんじゃないか。やるなら森に帰ってからだろうから、缶詰を包んだ風呂敷は武器のようでもあった。投石器のようでもあり、ハンマーのようでもあり。


 缶詰のアスパラはこの時期しか食えないお気に入りだった。春には白アスパラを畑で育てるのだが、あれも美味い。煮込むととろとろになって柔らかくて美味しい。他にも野菜を何種類か買って、財布は大分軽くなったが、また次の市があるからその時に買えば良い。そろそろ枯れて来た作物もあれば、実りを迎えた芋類も多い。サツマイモを入れたスープはほの甘くて大好きだし、ほくほくしてて美味い。ジャガイモとはまた別の美味さがある。


 そんな献立を考えながら森に入る。ここから少し入った所が綾姫の家だが、ちょっと曲がったらうてなの小屋だ。銀と一緒に綾姫の前後をガードしながら、俺達は森に入る。ちょっと前までは勝手知ったる我が家だったのに、今じゃ何にどう襲われるかも分からない。動物もひっそりと姿を隠した森になってしまった。そうだ、木の実も拾っておかないとな。香ばしくて良い。それは俺が引き受けよう。銀は綾姫を見て貰って。

 否、俺の方が綾姫に付いていた方が良いのだろうか。今のもじもじした銀に綾姫を守れるとは思えないし。きゅっきゅーと会話していると、くすくす綾姫が笑う。


「確かに最近の銀は私に冷たいからなー。家に居辛いのか、それは困ったな」

「きゅっ!?」

「本を読んで少しずつお前たちの言葉も覚えて来ているんだよ、驚くことじゃない。蒼は責任感が強いのだな。銀のことも心配している。勿論私のことも。ありがたいことだよ、これは。幻獣二人なんて心強い」

「っきゅー……」


 迂闊な会話を聞かれた気がするが、まあ良いだろう。結界までやって来て、俺達は綾姫を挟むように歩く。俺達以外は綾姫ですら入れない結界だ。一人で木の実拾いになんて行かせられない。それに来週もまた薬湯が売れるだろうから、それも準備しなくては。

 家に付いたら缶詰を戸棚にしまい、薬湯作りの準備を始める。井戸の水を二度ほど汲んで、乳鉢で擦る薬草は大量だ。俺は外の畑に行って、銀は更に外へと木の実拾いに行った。袋を担いでいったから、結構長い時間掛けるつもりなのかもしれない。家に居辛い。やっぱり俺は、人型は見せられないな。


 ふわもふはふわもふで良いのだ。いざと言う時のタックルは出来る。綾姫を運ぶにはまだ腕力が足りないが、銀が一緒なら大丈夫だろう。その銀が最近頼り難いものになって来ているのは問題だが。

 俺達は二人で綾姫を守って来た。正直一人で綾姫を守れるとは、うてなのこともあり、自信がない。本当にいざとなったら例の薬を使わなければならないが、そもそもいざと言う時っていつだろう。結界を張ってからはうてなも大人しいものだし、家に来ることはなくなっている。たまに朱を鳴かせているが、それだって俺が応対しているから問題は無いだろう。


 二人でなら大丈夫。でも俺一人になったら? 銀は出て行くだろうか。そんな事は無いと思いたい。せめて綾姫が成人するまでは一緒に居て欲しい。その頃には綾姫も立派な魔女になっているだろうから。自分の身を守れるようになっているだろうから。今はまだそれが出来ない。だから、一緒に居て欲しい。その時が来たら、俺も出て行くかもしれない。

 魔女。今はせいぜいが薬売りだが、おまじないや呪いを覚えたら、綾姫は敵なしになるだろう。魔法を使うから魔女なのだ。綾姫はまだちょっとしたことが出来るだけ。ちゃんとした魔法使いになったら、俺達も手を貸さずにいられるだろう。ドジで心配な所もあるが、そこは大人として切り抜けて欲しい。


 竈に火を入れようとマッチを擦ろうとすると、私がやるよ、と綾姫はぱちんっと指を鳴らして火花の魔法を使う。そうして日常で魔法を使うのに慣れて行けば良い。

 だが銀がいなくなると畑の実りが心配になるな。やっぱり一緒に居たい。三人で暮らしていきたい。そもそも今更綾姫を置いて行く事なんて、出来ない。俺達は生まれた時から綾姫を見ているのだ。いつも心配せずにいられなくなるぐらいなら、一緒に住んでいた方が良い。勿論ふわもふの姿で。それでなら、銀も我慢していられるだろう。我慢。否、やはり恥じらいか。今更のことすぎて、俺には分からない。ただし、言えるのは、俺の人型は見せられないと言う事だ。


 二人も男が家に居るとなったら変な噂を立てられかねないし、俺の暴力を見る目も変わって来るだろう。ふわもふだからみぞおちに突撃しても許されていたのだ。拳を突っ込んだらそれは立派な暴力である。否ふわもふでも暴力だが、可愛いから許されているのだ。俺達は自分の可愛さで売っていることに自覚的である。

 やっぱり人間にはなれない。ふわもふのままが良い。だけどいざとなったら? 三分で抑えられない事態がやって来たら?


 その時は、腹括るしかねーよなあ。

 俺は諦めるように息を吐く。

 綾姫の傍にいるには、この姿が一番だと言うのに。

 うてな。あいつさえどこへなりと去って行ってくれれば、良いのに。

 この森は魔女のもののままだったのに。


 キィ、と台所のドアが開く。入って来たのは銀だった。小袋めいっぱいに木の実を詰め込んでいる。それを頭に乗せて、きゅっ! と鳴きながら綾姫に差し出した。ありがとう、と言われ、くしゃくしゃ撫でられているのは気持ちよさそうであり、恥ずかしそうでもあり。

 意外とそんなに心配しなくても大丈夫なのかな? 開き直ってしまえそうなのだろうか。自分はふわもふだけど、人型にもなれる。いつか俺も綾姫にそれを告げなければならないのだろうが、その時も綾姫のようにあっけらかんと、してしまえば良いのだろうか。開き直る。それにはまだ時間が掛かりそうだ。綾姫が魔女になる頃にはなんとかなっていれば良いのだが。その時は、俺達だって姿を現して良いと言う、ばーちゃんの遺言もある。正確には、独り立ちするまで人型を見せるな、と言うことだが。逆に考えれば、綾姫一人前の魔女になったら、俺達は自由にその姿を見せても良いと言うことだろう。

 

 三分の区切り。その封印さえそのままであるならば、俺達はふわもふとして綾姫の傍にいられるし、ボディガードとしても立ち向かえる。街では受け入れられているから、必要なのは森の中だけだ。銃で撃たれても俺達は頑丈だし、ふわもふの身体の核は見えまい。するとやはり人型の方が不便なのだろうか。三分。長いようで短い、その時間制限。

 銀いわくそれはばーちゃんの封印でもあると言う。いざとなったら解ける。そうすれば変幻自在にふわもふと人型を行き来できるようになる。だが迂闊にそうすると、一人で生きていく綾姫が俺達に依存してしまう。だから、三分。朱は単純に魔力が足りなくて一分らしいが、俺達のようないくらか年を食ってるふわもふは三分までが封印の限界だそうだ。その封印がどうやって解けるものかは、本にも書いてない。ばーちゃんのオリジナル魔法なのだろうか。本当、立派な魔女だったよな、ばーちゃんは。


 木の実を茹でて、浮いて来たのは虫食いだから掬って捨てる。柔らかくなってきたら潰して、スープになった。薬湯はまだ混ぜている。結構な巨釜だと思うのだが、中々どうして嵩は減らない、煮詰まらない。まあ遅い昼食のうちに煮詰まるだろう、ちょっと竈を吹いて火を煽っておく。スープ皿にかぼちゃとくるみのスープを入れて、俺達は昼食だ。とは言え帰ってから色々やっていたからもうおやつの時間だが。

 食卓に着くと温かい甘くて香ばしい匂いがして、ふはーっとなった。いただきますっと俺は短い手でスプーンを取り、ずずーっと吸って行く。身体が温まって良いな、スープは。夏は冷製ポタージュなんかも好きだ。焼いたり炒めたりするレシピは殆ど無く、大体が季節の野菜のスープだった。それで満足してはいるが、胃腸が弱らないかは心配である。


 半分ほど飲み終えた所で、こんこんこんこん、とノックされ、俺達はぎょっとする。

 結界の中に入って来た異物に、混乱する。

 戸締りしていなかったドアは、簡単に開いた。


「やあ綾姫ちゃん、遅い昼食の最中で悪かったけど、この子の手当てを手伝ってくれないかな」


 ひょいっと持ち上げられたトラバサミに引っ掛かっているのは、朱だった。

 血がだらだらと零れて、結界の機能が消えていくのを感じた。

 獣、しかも幻獣の血は呪いや結界を解くのに万能であると聞いた事がある。

 おそらくはうてなもそれを知っていたのだろう。

 呆然としている俺達に苦笑して、うてなは息の浅い朱を吊り下げた。

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