第14話

 街から帰ってまずチェックするのはポストだ。今日の分はまだ届いていないが、明日明後日ぐらいにはまたリクエストが届くだろう。うてなとはまずこのポストで文通から始めて頂きたい。本気で綾姫とどうにかなりたいと考えているのなら、手順は踏むべきだ。あんな大衆の面前で告白とか、ないわ。

 綾姫の前後に付いて俺達は草原を渡っていく。そろそろ色を失くした原っぱだ。よく燃えるだろうな、とイラっとした気分を思い出す。そうだ、と綾姫は前を跳ねている俺の方に声を掛けて来た。


「結界を使っている、と言うが、どこからだ? あのポストが境目?」


 ぴょんぴょん跳ねて、そうだ、と伝える。


「……あの火事の時からか?」


 ぴょん、と跳ねる。


「まだまだだな、私は。お前たちに助けられていることにすら気付かなかったとは。それでお前たち、本当に雄なのか?」


 そ、それはまだ訊かれたくないが、正直にぴょんっと跳ねてしまうのがせめてもの誠実さである俺達である。


「そうか、幻獣にも雌雄があるのだな。あまり気にしたことが無かったから勉強になる。後で図鑑でも引いて、お前達の事をもっと知ってみようか」


 止めて。あんまり深入りしないで。人間になれることがばれたら大変なんだから。


 ドアの鍵を開けて、俺達はテーブルに敷物や返された皮袋なんかを広げていく。皮袋は前述通り元値が高いので、返してもらえると助かるのだ。あの若者軍団も返してくれたし、懐は痛まなかった方だろう。今日の所は。

 しかし今度は見物人が増えそうでそれはそれで嫌だなあ。客なら良いけれど野次馬が増えるのは嫌だ。まあそれだけ街の関心を集めている、良く言えば街に溶け込んでいるのは喜ぶべきかもしれないが、常連のばーさんの言う通りうてな――あれは異物だろう。綾姫よりもっと溶け込めていないのが、事実なのではないだろうか。


 自分ではそんな事ないと思っているようだが、やって来て二・三か月の男なんて胡散臭いだけだろう。まだ。市で熊を売って、それで受け入れられるところだったが、スリ騒ぎの大本として捕まっている――釈放されたが――ところからして、また一歩引かれた。

 本当に街に入りたいのはあいつの方で、その為に綾姫を利用したいんじゃないだろうか。思えば納得も行くが、その為に婚姻を突き付けてくる神経は不明だ。なんだってあいつの為に綾姫がそんな事をせにゃならん。綾姫にはもっとこう、優しくて強くて頼りになる男を推薦したい。その中にうてなはまったく当てはまらない。陥れるし腹筋弱いし騙すし。


「あの火事も、うてながやったことだったのかな……」


 ぽつりと呟く綾姫に、俺達はうんっと頷く。そっか、と寂しそうに笑って、綾姫は洗い物を片付けて行った。言わない方が良かっただろうか、きゅうー、と銀に目顔で問うが、いずれは知れることだとふるふる頭を振られた。むしろ変な好意を持ってしまう前に話しておいた方が良かっただろう、と。

 好意。綾姫はうてなのことをどう思っているんだろう。人を傷付ける奴を好きにはなれないと言っていた。それが本当ならば、俺達は何の心配もしなくて良い。それでもと綾姫が望んでしまう何かがうてなにあったら、俺達は手出しが出来ない。主の幸せを願わずにはいられないのが、テイムされている訳ではないながらも、俺達の意志なのだ。


 朱はあいつに幸せになって欲しいと思っているのだろうか。だとしたらそれは、テイムされたことによる暗示なのだろうか。俺達には分からない。だから取り敢えず、薬草採りをする。俺が摘み、銀が育てる畑だ。そろそろ大根は引っこ抜いた方が良いな、と、俺は小さい身体で野菜畑に向かいふんぬっと引っ張る。人参も。芋類も。そしてそれをまた銀が育てる。堆肥も与えておく。よし、と思いながら、井戸の方に向かうと、皮袋を濯いでいる綾姫にかち合った。収穫をむんっと見せると、くすくす笑われる。


「泥だらけだぞ、蒼。後で洗って――否、雄ならそれも恥ずかしいのか?」


 ぷるぷると身体を振ると、頭の上で大根が揺れる。危ない危ない、と窘められて、お前が構わないなら良いぞ、との言葉にホッとする。

 綾姫はクリームを作るための木に傷を付けて、樹液を溜めているようだった。これなら来週には間に合うだろう。これも焼かれなくて良かったよなあと、もう草水の匂いのしない周囲を思う。良かった、あれだけの被害で済んで。


 洗った袋を逆さまにして干し、俺と銀も家に入る。わしゃしゃと洗われる心地は良い。また筋肉が付いたな、などと言われながら水で流されて、むんっと胸を張る。タオルで拭かれ、慣れることのない変幻自在な野菜のスープは今日こそ成功するのだろうかと心配になったりもする。弱火でコトコト煮立てている最中に、綾姫は本を探し始めた。また焦がさないと良いが、と俺は火の番をする。

 窯は放っておくと無限に熱が上がっていくから、ちょっと目を離した隙にボコボコになってしまうのが恐ろしいのだ。そしてやがて野菜は鍋肌に貼り付く。綾姫は細い腕で何度もその釜を洗って来た。学習しないのが我が主の可愛い所でもあるが、危険な所でもある。


 ぼけぼけしてるからなあ。今でもうてなのことは悪く思いきれない所があるみたいだし。あんな一級品の取り扱い注意男、さっさと遠ざけてしまえば良いのに、変な所で慈悲深いのがこの魔女の悪いところだ。魔女。やろうと思えば森の猛獣すべてを使役してうてなを襲わせることだってできる。でもそうはしない。それは人間としての矜持だ。魔女ではない、まだ。

 それに突然うてなが居なくなったりしたら、真っ先に疑われるのは綾姫だろう。どこまでも邪魔な男だ。うてな。あんな人の集まるところで迷惑な発言をしてくれたおかげで、綾姫は何かがあった時の第一容疑者にされてしまった。たとえ俺達ふわもふコンビが何かをやらかしたとしても、管理がなっていないと怒られるのは綾姫だ。


 本当に迷惑な男に好かれてしまった。邪気の無い、常識も無い、好意も無い男。ただ綾姫の孤独を利用としているだけの男。あんなのに引っ掛かってくれるなよ、綾姫。お前も心配だが、俺達の身も心配だ。最悪テイムされて朱と同じくあいつの支配下に置かれる。そんなのは御免だ。あんな性格悪くてその自覚もありながら直す気もないような男。

 街のばーさんの言う事を聞いて、大人しくスルーし続けるのが一番良い。あの手の男は無視されるとショックを受ける。でもそのショックは一人だけのものではない。綾姫だってそうし続けるのはしんどいだろう。


 ことこと、野菜のスープが沸騰している音が響く台所で、俺は焦げ跡の付いた木の蓋を半分開ける。もわっとした湯気に身体を煽られそうになりながら、木べらで底の方に沈んでいるのをかき混ぜるようにした。野菜の切り方が乱雑だから沈むのも浮くのも出て来る。

 ばーちゃんの背中を見ているだけでは、覚えられなかったんだろう。計量の必要な薬湯の方が上手く作れるのも、その辺のお陰かも知れない。勿論本だって読んでいるし、料理のレシピも遺っているのだが、何故か綾姫はそれが上手く出来ないのだ。まったく仕方のない、俺達のお姫様。綾姫。色糸を繰る織姫。繰られる俺達は布となりその身体を包み助けることが至福。


 と、その時。

 声が響いた。


「『蒼、銀。名を放て』」


 ぽきゅんっと人間の姿になった俺は、取り敢えず竈からずり落ちてぽたんっとへたり込んだ。

 え、え?

 何事、これ、ばーちゃん。


 取り敢えず慌てて台所のドアを閉め、密室を作る。三分。三分そうしていられれば問題はない。隠していられれば問題はない。だがその無限のような三分は、始まったばかりなのだ。綾姫の奴、本当に幻獣の本を探し出したのか。そして俺達を人間の姿にする呪文を探り出した? 銀は、銀はどうしている? ちゃんと隠れたか?

 否、俺より背の高い銀は隠れる場所が無いだろう。それに思うに、銀の前でおそらく綾姫は呪文を唱えた。銀の姿はばれてしまった。ばーちゃんの遺言を、守れなかった。


「蒼? 蒼、出ておいで?」


 コンコンと台所のドアが叩かれるが、俺は全力を持ってドアを押さえた。蒼、蒼、と呼ばれるが、応える事すら俺には出来ない。また釜がぐつぐつ言い出したが、それをかき混ぜに行く余裕もない。もう少し。体内時計は脈拍に近いと言うが、今の俺のばくばくした心臓を当てには出来ないだろう。姫様、と銀の声がする。やっぱり男の、人間の声で。


「僕たちは姿を見せてはいけないとお祖母さまから遺言を賜っているのです、せめて蒼の姿を見るのはおやめください、姫様」

「私は姫ではないよ。えーと、銀……なのか? しかし随分と背の高い。いつも私の膝や肩に乗っていられたのはどう言う理屈なのだ」

「そこはそれ、僕たちは幻獣ですから――」


 ぽきゅんっと身体がいつものふわもふに戻る。

 同時に台所のドアが開く。肩に銀を乗せた綾姫が、ぽかんとして俺を見下ろしていた。

 そして笑う。

 見た事のない顔で、けらけらと笑う。


「今更姿一つでお前たちをどうこう思うものか。蒼も見せてくれたら良かったのに。まあ遺言と言うのなら、これ以上お前たちに意地悪をするのは止めておこう」


 くっくっくと笑う綾姫に、俺達はほーっと息を吐いて安堵した。

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