第12話
シロくん、アオくん、と声が聞こえて来たのは翌日の夜の事だった。朱の声に気付いたのは俺だけ、銀も綾姫もよく眠っている。ふわもふしか通れないような小さな窓を開けてみると、どうやらうてなが一緒に居るらしかった。釈放されたのか、仮釈放なのか。それとも口で言い負かして無罪を勝ち取ったのか、それは解らない。
仕方なく結界のギリギリまで近付いてやると、やあ青いの君、と挨拶をされた。うーるるる、威嚇すると、お腹は止めてね、と言われる。その下でも顔でも良いのに腹にとどめておいてやっている俺は大分温厚なつもりなんだが、どうなんだろう。
はい、と渡されたのは小銭だった。なんだ、と見上げると、にっこりあの貼り付けたような笑顔が降って来る。
「例の男から綾姫ちゃんの薬代と慰謝料もらって来たんだ。だからそれ。ちなみに僕は何にもしてないから釈放されたよ。そう、『何にも』ね」
くふくふ笑うのにやっぱり突撃してやろうかと思ったが、下手に結界は跨げない。取り敢えず頭の上に小銭を乗せた。結構器用なのだ、ふわもふの頭は。市に出る時はに物持ちをするぐらいだから、この程度なら重さも感じない。
「嘘つきめ。お前があの男に金を渡してる現場は俺が見てるんだよ」
「でも君はそれを誰にも伝えられないでしょう? 綾姫ちゃんになんて特に」
「うさん臭い手紙で警告することならできる。それにお前は実際人を傷付けてる。綾姫の信頼はマイナスだ。ただでさえ森の長を殺してるんだからな」
「何か話してると思ったらやっぱりか。余計なことは話さないように頭を狙ったんだけどなあ」
「もう会話は終わってたよ。最後にお前に言い付けられた通り立ち上がったんだからな。そこをお前は撃った」
「いい値で売れたよ。他にも熊っているのかな」
「いても教えねーよ」
ちぇっとうてなは舌を鳴らす。本当、本当に悪意がないのが伝わって来てゾッとした。悪意無く人を傷付けたり殺したりするのは、誰だって怖いだろう。朱もふるふると震えている。
人を人と思いながら、計算で傷付けることが出来るこいつは恐ろしいだろう。自分たちのようなか弱いふわもふの身体では尚更のことだ。おまけに朱は名を奪われている。死ねと言われれば死ぬしかないし、辺り一面焼け野原にしろと言われたら魔法でそうせざるを得ない。幻獣は結構レアな方の生き物だが、それを使役して、するのが夜這いだとはどういう事なんだろう。
とりあえず今日は帰れ、とシッシッ追い払うと、つれないなあ、と大げさに息を吐く。まだ綾姫はうてなの事をよく呑み込めていない。そんなところで夜這いになんて来られたら、混乱するだけだろう。俺達はそれを望まない。
綾姫が綾姫の言葉で会いたいと言うのなら、吝かではないが。まあ次の市の時に嫌でも顔を合わせるだろうから、それまではそっとしておいてほしい。友人から恋人になるプロセスなんて、綾姫は知らないのだ。そして今はまだ知らなくて良いと俺達も思っている。少なくともその相手にこの男は推薦できないとも。
口出しが出来たらどんなにか良いだろう。人型になって説得することが出来ればどれだけ楽だろう。だが俺達は綾姫に姿を見せてはいけない。拒絶されるかもしれないのだって怖いし、ここを追われたらどうすれば良いのかだって分からない。ここから動けないし、動きたくない。完全な飼いふわもふなのだ、俺は。ばーちゃんに拾われてからずっと。だからばーちゃんの遺言は守りたい。
それだけなのにどうしてこんな厄介な奴が出て来てしまったんだろう。こいつも放浪していたのだろうか、五年間。その間に辛酸をなめて、来たのだろうか。狩人としての腕だって磨いただろう。そもそも銃を手に入れることから大変だっただろう。否、更に前、住む場所と食事にすら。
そう考えるとこいつが似ているのは綾姫ではなく、俺の方なのではないだろうか。野生のふわもふだった頃は、よく小動物に追いかけられて大変だった。ばーちゃんに拾われて、人間になる事を覚えた頃、やっと一人前になれた気がした。朱もその術は知っているが、おそらくうてなは知るまい。それに朱はまだ未熟だから、術の効果は一分ほどだ。うてなから逃げることは、出来ない。
逃げて逃げて、やっと見つけた安息の地。俺にとっては綾姫のばーちゃんで、うてなにとっては放置されていた狩人小屋なんだろう。そして生涯を共にしてくれる人を見付けようとした。それが綾姫だ。我が侭で自分勝手だが、神様らしいと言えば神様らしい。魔女どころか巫女だ、綾姫は。だが逃げた時点でうてなは神様を辞めている。それでも抜けない、無邪気な残酷さ。まるで子供のような。
否、子供の頃から捧げられた知識の、いびつな塊なのがこいつなのだろう。いびつで、でも、ひねくれていない。自分なりのロジックがあって、綾姫を娶ろうとしている。それが寂しさから来るものだなんて、分かってやれないし分かる必要もない。こいつは綾姫を傷付けた。心も身体も危険に晒した。それだけで俺達には、敵なのだ。
綾姫は両親の事をほとんど覚えていない。だから男女の愛情を知らない。それを教えるのに、うてなの出して来たカードは悪手が過ぎた。俺達は警戒し、綾姫も接し方を考えあぐねるほどに。
敵か味方か。味方では絶対にない。草原を焼き払おうとした奴だ。二度も攫って行こうとした奴だ。市で揉め事を起こさせた奴だ。
じやあ敵なのか。敵って何だ? 綾姫が好きな俺がそう考えているだけではないと言えるのか? でも、強姦魔に情けを書けようとは思えない。綾姫はもう少しで、ばーちゃんのような目に遭うところだったのだ。肯定は出来ない。そこで生まれた子供を家族として迎え入れることは出来ても、こいつは駄目だ。無理だ。絶対に、家族になんかしてやらない。
じっと睨み上げる。体格差は十倍でも間に合わない。だけど俺達は対等だ。対等に一人の女を愛する男同士だ。ふわもふでも、俺は綾姫を愛してる。綾姫だってふわもふの俺は愛してくれる。両想いでいるのはこの姿の時だけなのは悲しいが、それでもこいつよりはずっと良い。
ねえ、とうてなは俺に声を掛けてくる。
「綾姫ちゃん、くれない?」
「お前にだけは絶対に嫌だ」
「町の人間は魔女なんて女だと見ていないよ」
「そいつは何より」
「このまま綾姫ちゃんが一人で生きて行くのが正しいと、青いの君は思ってるの?」
「お前に搔っ攫われるよりは、マシだと思ってる」
「ひどいなあ」
くふくふくふっとして、じゃーね、といつかのようにうてなは森の方に入って行った。朱も黙ってそれについて行く。ああなってないって事は、俺や銀は別に綾姫にテイムされている訳じゃないんだろう。ばーちゃんには時々使われてた気もするけれど、継承はされなかった。残ったのは蒼と銀と言うふわもふだけ。人にはなれるけれど、それも短い時間だけ。そしてそれは綾姫が独り立ちするまで、秘密のこと。
綾姫の独り立ちってもしかして結婚とかのことなのだろうか。だとしたら俺は困るぞ。いっそあの薬を飲んでしれっと見知らぬ求婚者になってみるか。だが綾姫は今度こそ、男を警戒するだろう。ある程度のそれは必要だ、正しい判断だ。だが俺が、ふわもふが相手では今以上の家族にはなれない。
さくさくと原っぱを行く俺の上には小銭。落とさないように窓から入って戸締りをする。そしてテーブルにちゃりんっと頭の上から落としたのは、金貨二枚。
夜の所為で分からなかったがこれは破格じゃないだろうか。まあ慰謝料込みだと考えれば分からなくもない。怪我までして毒まで飲んで、得た金はこうして巻き上げられるのか。あの男も可哀想な奴だな。
ふっと笑ってから俺は綾姫の寝室に戻る。すりっと頬に懐いて、いつもの無害な幻獣としてその隣に侍る。
人の姿では出来ない事だよなあ、と思うと、ちょっとしゅんとなったが、まあ良いだろう。
「蒼」
「なんだー銀」
「あいつ?」
「うん」
「朱の……声がした」
「呼び鈴代わりに使われてるらしい」
「姫様に、朱をテイムし直してもらえないだろうか」
「無理だな。常にうてなが付いている現状では、無茶だ」
「そうか……虚しい事だな」
朱がこちらに来てくれれば、それは確かに心強い。だが今は無理な話だ。あと五十年ぐらい経ったら。その時も俺達はまだふわもふのままだろうか。それとも萎れたりしているんだろうか。否。そもそもどんな姿でここに居るんだろう?
人型? ふわもふ?
どっちが綾姫にとっての幸せなんだろうなあ、思いながら俺は目を閉じ、綾姫の隣に潜り込んだ。
温かい。
この温かさは俺達がふわもふだからこそ得られるものだと言うのが、歯がゆかった。
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