第11話

「『うてな あぶない』とは、案外森の幻獣の誰かがくれたのやもしれんな。私があいつに深入りしないようにと、警告してくれたのかもしれん」


 家に帰って来てすっかり忘れていた手紙を手に取った綾姫の言葉に、俺はきゅぅーっと鳴いて応える。朱がすでにテイムされていることも知らせたいが、朱はばーちゃんとは親しかったが綾姫の代になってからはあまり森から出て来なくなったので、パッとしないだろう。

 森の幻獣も姿を隠して久しい。朱以外にもいたのに、最近はすっかりご無沙汰だ。綾姫に関わると危ないと思われたのだろうか。それはそれでちょっと寂しいな、思いながら俺は残り物の薬湯を飲んだ。やっぱり毒なんて入っていない。うてなが証明したとおりに。


 あいつに助けられる形になったのは屈辱だが、助かったのは本当だ。魔女の言う事なんて誰も耳を貸さないだろう。魔女。それでもその薬に助けられてきた街の人間は多いのを、俺は知っている。俺や銀みたいなふわもふが付いているから子供にも人気だ。親世代は小さな頃にばーちゃんに世話になっているし、まあばーちゃんが亡くなった今でもなんとなく関係は緩く続いていると言って良いだろう。

 だけどふっつり切れてしまうかもしれないのも事実だ。皆が綾姫を避けるようになってしまったら、俺達にはどうしようもない。あの毒騒ぎのように。来週の市ではちゃんと薬が売れるだろうか、それが俺は心配でたまらない。


 だがそれは杞憂だったらしい。

 結界ぎりぎりの所に置いてあるポストに、手紙が何通か入っていたからだ。


 ぴょんぴょん跳ねて綾姫の元に持って行くと、きょとんとされる。殆どが無記名だが、どうやら薬のリクエストらしかった。ホッとした顔になった綾姫に、俺達もホッとする。筆跡は全部違うからうてなの悪戯と言う事もあるまい。事件で綾姫はむしろ、街の信頼を勝ち取ったらしかった。適当な処置や被害者という立場は、街に溶け込むにあたってプラス要素に働いたらしい。良かった、思いながら綾姫がふんふん薬を作り出すのを見詰める俺と銀である。貼り薬は小さな鍋でコトコト煮立て、薬湯は巨釜で一気に作る。


 薬湯に興味を持った人間は多いらしかった。緑色の草の色の強いそれは皮袋に入れて売っている。実はその袋の方がちょっと高いので値段は割高なのだが、それでも強盗の呑んだ味と言うのが気になる人々は多いらしかった。俺と銀は薬草畑に向かって、必要なものを摘んでくる。それから忘れずに、銀の魔法だ。取った所からにょきにょきと生えて来る。


 綾姫の元に向かうと、ありがとうと言われ、乳鉢ですりつぶしたものを釜に入れていく。綾姫自身は健康体なので、滋養強壮の薬は必要ないと言えばそうなのだが、ばーちゃんの世代のお年寄り用だった。今まで殆どは。やっぱりこれじゃないとねえ、と買っていく老人は多い。

 貼り薬は湿布状にして持って行く。塗薬は小瓶に詰めて。麻酔も同じく。こちらはそうはけるものでもないので、量は小量で構わない。酪農家はもう少し離れた場所に住んでいるから、家畜用の薬はそんなにいらないのだ。ただ近所にいないこともないので、持って行っているだけ。


「さてっと……あとは余熱でどうにかなるだろう。蒼、火を消しておくれ」


 はいよっと俺は氷の吐息で一気に乾燥させ火を消す。


「今日も良く働いた……よし、風呂に入ろうか、二人とも」


 きゅいっと鳴いて俺達は応じるように、外の竈に向かった。


 しっかり貯め込んでいる薪は、俺がトレーニングがてら作った物だ。もっとも役に立ったのはおっさんのゲロ出しだったが、結構筋肉が着いてきているのは確かだろう。いつもより多く持てるようになったそれを竈に突っ込んで、マッチで火を点ける。下手をすると暴発するのが危なっかしい道具なので、使うのはこの道五十年の達人である俺達ふわもふだ。綾姫は銀と一緒に、桶で風呂に水を入れるのを繰り返している。火が良く燃えてきたところで、俺もそれに加わった。桶の数は三つ、三人で済ませれば結構早い。問題は風呂の水加減の方だ。

 綾姫が手を突っ込んで、うーんと見る。よし、と言ったので俺達はぴょんぴょん跳ねて家中の戸締りをした。こんな無防備な所で襲われたら堪らないからな。思いながら俺は綾姫の元に行く。既に服を脱いでいる身体は、スレンダーで単純に綺麗だった。


 野菜中心の生活をしているからだろうか、余計な肉も付いていないし、薬湯のおかげか肌も綺麗だ。ぴょんっと肩に乗って、まずは掛け湯を浴びる。あー、気持ちいー。やっぱ赤ん坊のベタベタした手に触られた後となると、風呂は心地良い。綾姫はぬか袋で肌をごしごしと洗い、俺達はぷくぷくと風呂釜に浮かんでのんびりしていた。やがて綾姫が肌を流し、長い髪を石鹸で洗う。

 これは俺と銀も手伝った。何せ綾姫の髪は長い。切ってはどうかと進言したい所もある。冬は特にだ。暖炉の前にいても、乾くのに大分掛かる。だが魔力の籠ったものでもあるので、そう簡単に言えないのも魔女に仕えるものとしては痛し痒しだ。そもそも進言する口がないのも事実だが。


 ざばーっと髪をお湯で流して、タオルにくるみ頭の上に乗せる。それから風呂釜に入って来た綾姫は、はーっと息を吐いてあちこちのコリをほぐしていた。年頃の娘らしくない生活をしているので、年頃の娘らしくないコリがある。この家に娯楽になるような、或いは人生の教訓になるような恋愛小説の類は無いし、勉強はもっぱら魔法ばかりだ。薬草畑や野菜畑の世話、それから売り物にする薬作り。どこをとっても『普通の女の子』ではない、『魔女』の生活だ。

 だけどそれで街に恩恵を与えてもいるし、だから今回はたくさんリクエストも来た。あれは街と森の俺達が繋がったコミュニティにあると言う印だろう。うてなが切っ掛けになったとは言い辛い事ではあるが、まああいつの命懸けの薬湯一気飲みは賞賛してやっても良い。


 もしも薬湯に毒を入れられていたら、本当に綾姫に逃げ道はなかったのだから。


 でも前回の事件の事は反論するつもりだって言うから、金銭の授受の現場を見た俺としてはそこは潔く認めろと言いたくなるなー。大体金貨五枚なんて破格で、そんなにまでして綾姫に近付きたかったのだろうか、うてなは。もしかしたら同族意識めいたものを持っているのかもしれないけれど、残念こっちは狩人なんて危なっかしいものには近付きたくないのが本音なのだ。森のサイクルを乱すしな。熊で結構儲けただろうから、暫く森の動物たちは狙わないで欲しい。

 もっともそろそろ冬眠の季節になるから、獲ろうにも獲れなくなるだろうが。そうなったらどうするつもりなんだろう。料理は出来るみたいだし、ひと冬越せるだけの干し肉なんかを作っているのだろうか。熊は大きかったし、肉もたっぷりとれただろう。他にはうさぎや鹿なんかを獲れば良いのか。


 って、なんでここまで俺達があいつの心配をしてやらなきゃならんのだ。ぷくぷく息を吐きながら風呂釜に沈もうとすると、これ、と綾姫の肩に乗せられる。


「風呂場での転寝は危ないぞ、蒼。気持ちは良いがそのまま水まで飲んだら咳が止まらなくなる」

「きゅー……」

「さて、そろそろ上がろうか。残り湯で洗濯もしてしまおう」


 ざばっと立ち上がった綾姫の身体はすべすべだ。銀と一緒に両肩に乗って、タオルでもふもふ拭かれてから飛び降りる。それから先に部屋に戻ってドアの確認だ。良し、壊されてない。きゅっきゅーと合図をすると、銀が出て来て改めて確認した。綾姫は残り湯でワンピースと下着を洗い、ぎゅっと絞ってからぱんっと皴伸ばしをする。それから服を着て暖炉に向けて洗濯物を干した。それから自分の髪を纏めていたタオルを取り、火の方に向ける。


「次は髪が早く乾く魔法があったら試してみたいな」


 くふっと笑って、同じくまだ濡れている俺達もくふくふ笑う。大変なのだ、綾姫の髪を乾かすのは。偶に眠気に勝てず、生乾きのまま眠る事さえある。冬は更だ。危ないと言うなら風邪の心配があるのでこっちも危ない。夏はすぐ乾いて便利だが、あくまで冬に比べてだ。


「うてなはどうしたかな……」


 ぽつりと呟く言葉。


「『あーたん』と『うーたん』から本当にやり直せても、あいつが森の長やスリを撃ったのには変わりないし、出来れば関わりたくないし。でも悪いやつでもない気がする。私はどうしたら良いんだろうな。私との距離を詰めたいなら、どうして正攻法で来ないんだろう。はじめましてから始めて、久し振りになって、また会ったねになって。人間関係のプロセスなんて簡単なもののはずなのに」


 それはあいつが神様だったからだ。

 捧げられる知識以外は知らされてこなかったから。

 だから多分、人付き合いが分からない。


「今度会ったらどんな顔をすれば良いんだろうな……」


 髪を乾かす綾姫の脚に、まだ少し濡れた身体ですりすり懐く。

 何があってもお前は俺達が守るから。

 だからお前は、何も考えなくて良いんだよ。

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