第10話
次の市の日、うてなは熊肉と毛皮を売りに来ていた。ハーブに漬けて臭みを取った肉に加工しやすくなめした毛皮は巨体、おおーっと人々が驚くのを傍目に見ながら綾姫はいつもの薬を並べていく。考え込むために作っていた薬湯は大量で、革袋に入りきらない程だった。余ったら自分たちで飲めば良い。滋養強壮は良いものだ。俺だってあやかりたい。
と、やって来たのは先日の巨漢だった。ぎゅ、と身体を縮めてタックルする準備をしていると、まともに商品を見て行く。そして目を付けたのが薬湯だった。これは何だい、と訊かれて、綾姫は薬湯だ、と応える。
「温かくしてから飲むと滋養強壮になる。必要とは思えないが」
「まだ傷が痛むからなあ、あった方が便利なのさ。一袋くれ」
「はい」
「ありがとよ」
綾姫は強盗の顔なんか忘れているようだった。この辺が綾姫の危なっかしいところである。どうにかならんもんかねえ、と銀を見るが、ふるふる頭を振られるだけだった。仕方がない。綾姫は長い森暮らしで人の顔を覚えるのが苦手だ。その点では特徴のないことが特徴のうてなの顔は逆に覚えやすいのかもしれない。年も同じぐらいだし。
でもいくらうてなの背後を考えたって、やってきたことが醜悪だ。火を点けた時は草水なんて使っている。死んでも良いかと思っていたのかもしれないと思うと、それはやっぱり婿として歓迎できない精神状態であると言える。それに相手は狩人だ、魔女とは一番縁が無いだろう。神様だとしても、魔女には縁がない。魔女。簡単な魔法を試すようになって来た綾姫は、本物の魔女になり掛けている。だから余計に、近付かせたくない。巻き込まれて欲しくない。
今はかまどや風呂の焚き付けにちょっとした火炎魔法を使うぐらいだが、眠気に負けず本を読めばもっと大魔法だって使えるようになるだろう。そうなると、どうなるか。街の人間は余計に魔女を恐れるようになるし、そうなると迫害が出て来るのかもしれない。ここより遠くの街には日帰りでは行けないから、市の立つ日は当然出費も多くなってしまう。それで暮らしていくのは、ちょっときつい。
出来ればこの街に受け入れられたままでいたい。だから俺は子供にぐにょぐにょ撫でられながらも我慢してすりすりと懐いてやる。これも綾姫の為だ。俺達が街にいるためだ。赤ん坊が手を出して来る。やばい逃げたい。唾液付きだから性質が悪いんだ、子供は。それは綾姫で良く知ってる。
いつものようにカンバンになったところで荷物を纏めていると、やあ、とうてながやって来た。向こうもカンバンになったのだろう。手荷物はない。
「今日も盛況だったみたいだね、綾姫ちゃん」
「お前もな。熊肉は煮込み料理に向いていると聞いた事がある。自分の分も取ったのか?」
「取ってあるよーなんなら綾姫ちゃんがうちに来て調理してくれても良いぐらい」
シャアっと威嚇すると、怖い怖い、と両手を上げられる。
逆立った毛並みを撫でて、綾姫は生憎と、と応じる。
「生臭の料理の仕方は知らないんだ。魔女には必要のないものだからな。レシピも持っておらん」
「残念。何食べて生きてるの?」
「野菜とハーブとスパイスと岩塩」
「ご老人みたいだね」
「長生きは出来ると思うぞ。自分で言うが、健康的な食卓だ」
「スープ焦がしてても?」
「うっ。そ、それはたまにしかやらないから――」
と、きゃああっと声が響いた。
何だろう。
きょとんとうてなと綾姫は顔を見合わせ、同時に悲鳴の方に走り出す。
倒れていた巨漢は、さっきの客だった。
手には薬湯の袋を持っている。
口から泡を吹いていた。
急いで綾姫がその身体に近付いて、状態を見る。ぴくぴく動く筋肉、まだ死んじゃいない。綾姫はその背中を叩いて、俺達はみぞおちにタックルして、げぽっと飲んだ薬を吐き出させた。そこからは俺達の知らない匂いがする。毒草か? でも俺達はそんなものを仕込んだ覚えはない。
携帯している毒消しを飲ませ、綾姫はその身体を起こして様子を見る。うう、と意識を取り戻した男の様子に、集まっていた人々はほっと安堵したようだった。と、男は綾姫を見止め、そして大げさに離れる。
どうしたって言うんだろう。男は叫ぶ。
「こいつから買った薬湯を飲んだら気分が悪くなったんだ、こいつの、魔女の所為だ! 俺は殺され掛けたんだ! この前の仕返しに、殺され掛けたんだ!」
「なっ」
「え? この前って?」
「あのスリ騒ぎだろ」
「ああ、魔女の上前跳ねようとしたって言う?」
「やだ、こわあ」
「魔女だ」
「やっぱり魔女の孫は魔女だ」
「違うよ」
ざわざわ不穏になりかけた声の中で、響いたのはうてなの声だった。
人々は振り向き、その声の主を通すように避けて行く。
うてなは落ちていた薬湯の袋を取って、ぐいっと中身を飲み干した。ごくごくと全部飲んだところで、ふうっと息を吐く。その身体には何の反応もない。男は呆気に取られていたが、チッと舌を鳴らしたのが分かった。大方綾姫の評判を下げるために、そしてうてなを金蔓にするために一芝居打ったのだろうが、うてなの方はそれを拒否したと言うところだろう。
男の吐いた薬湯からは、キンポウゲ科の毒の匂いがする。自分で飲んだんだろう。先日の足を撃たせたこともそうだが、身体を張った奴だ。まるで当たり屋だな、と、民衆は白い目で男を見る。
ぷひ、と息を吐いたうてなは、ほらなんでもない、と両手を広げて見せる。
「大体先日スリの標的にしようとした相手から、お金を払って薬を買うのがおかしいんだよ。理にかなわない。だから今回は身体を張って評判を下げようとしたんだろうね。綾姫ちゃんは薬作りは得意だから、それを貶めようとした。性質の悪いことだよ、まったく」
「お、お前が言うんじゃねえ、狩人!」
「何故? 何故僕が言っちゃいけない?」
「この前のスリは、てめえの指示だったじゃねえか」
「え」
ざわざわと群衆が騒ぐ。うてなは無表情だ。ポーカーフェイス。綾姫はおろおろと、事の進退が分からないようにきょろきょろ男とうてなを交互に見る。薬湯を口の端から垂らした男は、喚きながら大げさに腕を広げた。
「俺が脚を撃たれた時の指示役はこいつだったんだ! こいつが魔女から盗めと言った! 俺は命令されて、説教されて痛い目見て、金貨五枚貰った! それでこいつは魔女からの信頼を買ったんだ!」
「仮に君の言う事が本当だとして」
「仮に!? 仮じゃねーよ本当だ!」
「良いから黙って。――仮に君が言う事が本当だとして、今回の事に何の関係がある?」
「なっ」
「君が君自身の意志で意趣返しに薬の評判を下げようとした、その事実は変わらないだろう? そしてそれに僕が関わっていないのはみんなが証言している。僕はさっきまで熊を売っていたんだからね。君みたいな目立つ客がいなかったのはみんなが覚えているだろう。毒草も入れたみたいだけど、それだってこの市で仕入れたものなら店主が覚えている。事前に用意したり僕が君に接触を持ったりしたんだとしたら、僕がここに出て来るはずがない。違うかな?」
「て、てめーが俺にスリの指示をしたことは、否定しねーのかよ!」
「勿論するよ。でも今は取り敢えず、綾姫ちゃんに掛けられた誤解を解く方が先だと思っているだけだ。君も頑張って毒を飲んだんだろうけど、残念だったね。『魔女』本人に助けられるなんて、屈辱の極みだろう?」
理性的な挑発に、男は継ぐ言葉を見付けられないでいる。これはうてなの勝ちだな。同時に、スリの事件の真相が露になったのは良い事だ。それもこの男の証言にどれだけの信憑性があるかだけど。とりあえず応急処置をした綾姫に掛かる嫌疑は避けられるだろう。
それにしても知識を詰め込まれてきただけあって、俺達には出来ない庇い方をされてしまった。一つ借りが消えて一つ借りが増えた。一進一退。綾姫はこの事実をどう受け取るだろう。
「……今回の事には、礼を言う」
警備隊が男を連れて行くのを見て、綾姫はぼそりと呟く。
「でも前回の事に礼は言えなくなった。人を傷つける人は……苦手だ」
自分もその対象に入っていると自覚してくれたら、なお助かるのだが。俺はうてなを見る。警備隊に両腕を掴まれているうてなは、カラっと笑って綾姫を見た。
「だろうね。今度からは正攻法で行って見せようと思うよ、あーたん」
「そこまで戻るつもりか、うーたん」
「あははっじゃあね」
馬車に乗せられ、うてなは退場していく。
「あの……綾姫ちゃんや」
ばーちゃん世代の人は綾姫を名前で呼ぶ。
「ん? 花売りのお婆さんじゃないか、どうした? 私に何か用か? 生憎今日の売り物はすっからかんだぞ、もう」
「違うの、私の売った花に毒草が入っていたかもしれなくて……あの男、買いに来ていたものだから。だからごめんなさいね、変なことに巻き込んでしまって」
「構わないさ。事件は片付いた。どうしても気になるなら警備隊に訴え出れば良い。あなたは悪くないよ」
少しだけ。
少しだけ綾姫を取り巻く空気が柔らかくなったのは、錯覚じゃないだろう。
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