第9話

「あれぇ、来てくれたの青いの君だけ?」


 やっぱり自作自演だったらしいうてなは、夜半の来訪者である俺にちょっとがっかりしたように見せた。良いから説明しろ、きゅいきゅい鳴けば、はいはいと迎え入れられる。それとなく観察したが、ぼろい小屋だった。先代の狩人の時から手を付けていなかったんだろう。そんな場所で自分のスペースだけを掃除して、使っていると言う事か。

 そもそも森の奥の小屋の存在なんて、この数十年誰も覚えていなかったことだろう。子供たちが遊ぶのは森の浅い場所ばかりだ。魔女がいるから入っちゃいけません、なんて言われているのかもしれない。まあそれは俺にとってどうでも良い事だ。うっかりお転婆が過ぎて魔女の家の常連になったのが奥さんだったが、そこには真っ当な恋愛があった。好きになってゆく、恋してゆく。俺は旦那と奥さんのそのもだもだした純愛を見て育ったから、うてなはどうにも胡散臭く見えてしまう。薬を使って無理やりに、しかも二度。強盗騒ぎを起こした張本人でもある。


 取り敢えずテーブルに乗った俺にスープ皿を出してくれたが、こいつの持っていたレシピ本を見るとそれも信じられないのが本音だった。毒か眠り草か、入っている可能性は否めない。簡素なベッドには朱がすうすうと眠っていた。飼われている、完全に。テイムされていると言えるか、これは。俺と対面した時もずっと震えていた。

 あまり自意識を抑え込んだ状態が続くと身体に悪い。きゅい、と鳴いて朱を指すが、ああ、とうてなは頷いただけだった。


「効率よく動いてくれるから重宝しているよ、朱ちゃん。白いの君と青いの君の真名も知ってるかと思ったけど、残念そっちは知らされてなかったみたいでね。綾姫ちゃんのお祖母ちゃんに付けて貰ったんだってね、みんな。流石は初代魔女、ってタックルの姿勢取るのは止めて。顔に当たったら鼻が折れる」


 折れてしまえ、と思いながら、ふんっと俺はふんぞり返る。ほどの胸もないが、むっふーと威張る。しかしばーちゃんのことも知っているのだろうか、こいつは。街の酒場に行けば誰でも教えてくれるか。こいつも一応街に溶け込んでいるらしいし。本人曰くだが。

 ばーちゃんは温厚で、魔法さえ使えなければただの柔和な老嬢と言えるところだった。どうしてばーちゃんが森に棲んでいたのかは知らない。薬草なんかが取れやすいとか、そんな理由だろうと見当は付けている。モンスターの出る方の森はあまり近寄らなかったけれど、代わりにこっそり苗にしたのを持って来て、薬草畑で育てていた。


 まあちょっとしたモンスターなら俺と銀のダブルアタックで撃退できたもんだが、君子危うきに近寄らずという昔の外国人の言葉があるので、そっちに行くのは本当に稀な事だった。狩人のテリトリーでは熊と言葉を交わせるぐらいだから、大した脅威はなかっただろう。狩人本人以外。


 いつの間にか孕んでいたばーちゃんを助ける街の人は、殆どいなかったらしい。あんなところに住んでいるとああなっちゃうからね、と教訓話にすらされたほどだ。それでも親切な産院を見付けて、何とか旦那は生まれた。逆子で大変だったのよ、このつむじ曲がり。けらけら笑っていたのは今でも覚えている。

 以降は森に薬草を取りに出る時なんかは銀をおともにしていたらしい。勿論俺が住むようになってからは俺もそれに従った。幼子を背負いながらふうふう言って、それでも産院に薬草や薬湯を届けていた。子供が十歳になるまで無料で配達することが条件だったので、ばーちゃんは俺達の世話も有料の薬草も集めるので暫くは大変だったと思う。


 とまあ、ばーちゃんの事は今の所置いておこう。きゅい、きゅいっと話し掛けると、やっぱり言葉が分かるらしく、あははは、と笑われた。


「お祖母さんの話は有名だったからね、街で聞いただけだよ。それより僕が君達の言葉を理解できる方が謎なんじゃないの? 青いの君」


 確かにそれはそうだが、とじりりっと俺はうてなを睨む。


「僕はね、神様って呼ばれて育てられたんだよ」


 魔女とは対極のそれに、きょとんっとする俺である。

 神様? こいつが? 一体何の冗談だ?


「色んなものを捧げられて、一番いい場所に座らされて、『うてな』なんてモロな名前を付けられて。新興宗教って言えばわかる? 民間発祥の、神学みたいなものかな。僕はとにかくちやほやされて育てられた。でも僕はそれが不服だった。僕は神様じゃなかったし、神様だからと言って取り上げられるものも多かった。だからある嵐の日に逃げ出した。五年ぐらい前かな。それから僕はただ知識を詰め込むための『うてな』になった。君達の言葉だって体系学的に解析されてるから、勉強すれば解る物なんだよ。幻獣は滅多に鳴かないと言われているけれどね。人間と共に暮らしているとそうでもないようだ」


 くふくふくふっと自分で入れたコーヒーをうてなは飲む。捧げられるもの。綾姫と少し似ているのかもしれない。色を織る者。朱は残念ながらうてなにテイムされてしまったが、他の幻獣が森にいない訳じゃない。まあ、最初にうてなが朱を捕まえたのを知ったのなら、出て行くか隠れるかしているのもいるだろうけれど。

 俺達はひと冬ぐらいなら食べなくても生きていける。この辺は雪も無いから足跡を辿られることも無いだろう。その内に出て行って、織物から離れて行ってしまう色糸はどれほどになってしまうだろう。俺と銀さえ残っていれば、綾姫を守る布には足るだろうが。

 だけど心細いものはある。森の仲間が減ることは。熊が殺されたことで、それも加速度的になるだろう。森の長を長年務めて来たんだ。そんな埒外を殺す埒外なんて、関わりたくも無いだろう。少し寂しい。だけどそのお陰で綾姫が追いつめられる可能性は減ったのだから、仕方ないと言えば仕方ない。


 俺達は綾姫至上主義なのだから。


「青いの君は綾姫ちゃんと長いの?」

「生まれる前からだ」

「そりゃ長い。白いの君も?」

「あいつはもうちょっと長い」

「二人ともお祖母ちゃんの代からなんだよね」

「そうだ」

「息子さん達は幸せだった?」

「……そうだと思う」

「お嫁さんとのような運命的な出会い、僕と綾姫ちゃんには認めたくない?」

「お前は強引すぎる。麻酔まで使うような奴、信用できないし、既成事実を作ろうとしてくる時点で強姦魔と一緒だ」

「綾姫ちゃんのお祖父ちゃんはそうだったって聞いてるね。森の魔女に手を出した変わり者だって」

「顔に突っ込むぞ」

「まあ皆狩人の仕業だって気付いていた節はあったね。でも誰もお祖母ちゃんを庇護する言葉は出なかったよ。あんな所に一人で住んでるからだ、魔物に襲われなかっただけましな方だった、って。魔物の方が話が分かることもあるのにね」

「お前、モンスターの言葉も解るのか」

「ま、捧げられた知識は吸い取って来たからね。なんとか解る程度だよ。何もしないと誓ってから背中をズドン、と言うのもやったことがないじゃなし。結構おいしいんだよ、連中の肉」


 やっぱり一人で調理できるんだな。あのメモ帳は何だったんだ。毒だの眠り薬だの。綾姫がもう少し知識に疎かったら危ないところだったぞ。

 言うとけらけら笑って、うてなは椅子の背もたれにだらりと身体を預けた。


「あれは前の狩人の落とし物。僕が見付けた時には、もう骨になって久しかったよ。よーく見ないと脊髄の数が分からないぐらい」

「死んでたのか」

「まあ病死か何かだろうね。ある時から見かけなくなった、って聞いてる。多分それがあの骨だったんだろう。孤独だね。誰にも知られず亡くなるなんて。そして小屋を乗っ取りに来た僕に埋葬されるなんて。彼も家族が欲しかったんじゃないかな」


 『も』。彼も、か。確かに穏便にばーちゃんと結婚していたらそんな孤独死はなかっただろう。だけどあいつはばーちゃんを傷付けた。ぽっくり死んでしまうほどのトラウマになるほどに。だから俺達は綾姫をこいつに近付けたくない。こいつからも近付いて欲しくない。あーたん。うーたん。遊んでいたままの無邪気さだったら、多少は許せたかもしれないけれど。

 捧げられた知識をただ吸収し続けた、だからこいつは無邪気なんだろう。知識に正邪はない。自分の知ってる知識を行使しているだけ。それはちょっと、憎み切れないものを俺に与えた。


「その内――その内、いつか分からないけれど、僕も綾姫ちゃんにこんな話をする時が来るかもしれない。その時は突撃しないで聞いててね、青いの君」

「そんな日は来ねえよ。あいつに重荷になることは聞かせられない。同情から恋愛感情にシフトするのなんて純情でもない、ただの憐憫欲しさだ。そんなのは、愛情じゃない」

「厳しいなあ」

「焼き殺そうとしておいて何を言いやがる」

「殺す気はなかったよ、君たち以外」

「上等だ、強姦魔」


 俺はテーブルから椅子に降り、そこから床に降りて、ぴょんぴょんと森の中を帰って行った。

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