第7話

 沈んでいる綾姫を慰めようと、俺と銀は野菜畑の収穫を手伝う事にした。ちょっと草水の匂いがついているが、よく洗うので食うのに問題はあるまい。どうせ煮込むだけだ。その煮込むだけが出来ないのが綾姫の可愛いところだが、今日は一層にしょんぼりしているので、野菜を切るのも手伝った。銀と協力して、片手に持った包丁でたたたたたん。中々上手くいったので綾姫の方を見上げると、くすっと笑ってくれた。この笑顔のために生きている。だけに、うてなには渡したくない。本当のことを言えば誰にも。

 でも綾姫だって適齢期が来たら恋愛もするだろう。今はまだばーちゃんが死んだ後で日々の生活にわちゃわちゃしているが、その内に。その内に、良い男が現れて――ああ嫌だな。考えたくない。ここは俺と銀と綾姫の家だ。うてな以外でも、男を入れたくはない。


 そうだ、俺は綾姫を愛してる。生まれた時からずっと世話をしてきた所為もあるかもしれないが、成長して一層綺麗になった綾姫を、俺は愛しているのだ。だからふわもふであることは特権でもある。警戒心が働かない。風呂だって一緒に入ってやれる。

 でもこの身体じゃ何もできない。家族を増やしてやることも、ピンチを助けてやることも。そう言う時は人間になる薬が一層悩ましくなるが、それはまだだろう。本当にいざと言う時に考えれば良い。


 しかしそうなると結界を張ってしまったのはどうなんだろうな。うてな以外の街の衆も来られなくなった。俺には安心だが、綾姫にはどうなんだろう。ただでさえ言葉使いだって変わっていて、本でしか人を知らなくて。この草原の家で目いっぱい元気に育ってきたが、人付き合いは殆ど旦那任せだったからなあ、ばーちゃんも。あと奥さんが社交的だった。市に行くのも二人がメインだったし。愛想の良い二人は魔女の噂を払拭してくれていた。でも綾姫になったら、また魔女扱いだ。ローブで顔を隠している所為もあるのだろうが、胡散臭く思われることも多い。

 品物に変わりはないのになあ。なんだって人はそう態度を変えてしまうんだろう。そう思うと特徴のない顔に笑みを貼り付けているうてなみたいな奴は、結構優秀なアシスタントになってくれるかもしれないが、今はそれは出来ない。信用できない。熊の事だって。


 俺達が切った野菜をぶち込んで作ったコンソメスープは、勿論焦げてなくて美味い。塩加減もばっちりだ。美味しい、と驚いたように目を見開く綾姫に、そうだろうそうだろうと胸を張る。張るほどもないがむんっとする。


「なんか懐かしい味がする。ちょっと草水臭いが、それほど気にならないな」


 懐かしい。そりゃそーだ。綾姫の離乳食だって俺達は担当していたんだ。とろとろになるまで煮込んだ野菜、小さく小さく切って、それから豆乳を温めたものを飲ませて。もちろんそっちも用意は出来ている。焦げない程度にふつふつ沸かしたそれをコップに入れて頭に乗せ持って来ると、受け取ってふーっとその表面を吹いて、綾姫は落ち着いたようだった。それにホッとする俺達である。銀と顔を合わせてぴょんぴょん跳ねると、くふくふ笑われる。


「すまないな、心配を掛けてしまったようだ。しかし火事といい熊といい、誰かが私の命を狙っているようだな。市に出るのは止められないが、暫くは家の中で本を読んで暮らすことにした方が良さそうだ。良い魔術があったら身に付けてみよう。それこそ本当の、魔女になってしまうが」


 犯人を知っていることを伝えたい、だけどこの姿ではできない。もどかしい限りだ、まったく。郵便にして匿名で、とも考えたが、結界を張ってしまったから郵便は受け取れない。綾姫がなるべく家に居るようになるのはホッとすることだが、そのまま引き籠って誰とも会わなくなるようになるのは俺達も望むところではない。

 取り敢えず結界の外にポストを移動しよう。そして管理は俺達がしよう。それで万事片付く。手紙は書けないが、それは本を読んで覚えよう。俺達も読書三昧だ。かつて夫婦の部屋だった、本棚の部屋で。まだベッドは残してあるから、ごろごろ転がって三人で読書するのも良いだろう。綾姫が危険でないように。綾姫がゆったりしていられるように。もっとも、まずは温めた豆乳を飲み切らなければならないが。


 俺としては牛乳も好きなんだが、魔女は生臭と距離を取るものなのだそうだ。ばーちゃん曰く。俺達にはたまにかりかりになったベーコンとかくれたけど、自分では食わなかった。命と関わっていると魔力が弱くなる、とか。

 だが魔術を使わない綾姫には今の所無関係な話だ。とは言え今は魔法に興味を持ちだしたから、良い事なんだろう。貯めに貯めた魔力を発散できる。綾姫が読むのは護身術の本。魔法で相手を軽くしたり重くしたりする。たしかにあのスリが店を荒らしにやって来たら、それは有効だろう。でもその前に、俺達の出番だ。二匹で三十キロは持てるから、身体に取りついてふんぬっと投げることは可能だろう。ふわもふだからって侮られてちゃ堪らない。綾姫には俺達がいるのだと、良い宣伝になるだろう。


 でもそれで客が減ったら本末転倒でもある。やっぱりみぞおち狙ってアタックするか、それが一番無難で単純で平和的な解決方法だ。ふわもふ的な戦い方だ。ああ、いっそ人型になって三分だけのお助けマンになれたらどんなにか楽だろう。事が三分で終わらなければ、公衆の面前でふわもふに戻ってしまう事になるから出来ないが。いっそ銀と一緒に? 男二人なら何とか。いやでも、危険が多い。


 ばーちゃんはどうして俺達に人間になる方法を教えておきながら、三分なんて制限を付けたんだろう。そして、永続的になれる薬を残したんだろう。自分のようにならないように。嫁さんや綾姫にボディガードとして付けたかったのだろうが、それなら時間制限は要らないだろう。俺達の身体の方に問題があるのだろうか。

 例えば魔力が尽きるとか、例えば暴走してしまうとか。まあふわもふでも氷の吐息ぐらいは使えるが、あれも結構疲れることは疲れる。家の周りが焼かれた時、途中で銀と交代したのもその所為だ。残りカスの魔力でうてなを撃退出来はしたが、それでも問題なのには変わりがない。魔力の問題。ふわもふの身体には貯めておけない。


 ああ、なんでせめてもっと大きく高圧的なふわもふになれないんだろうなあ。思っていると変身のページに辿り着く。綾姫は飽きたのかすやすや眠っていた。銀もうとうとしている。この中で危険性を一番に感じているのは俺なのではないだろうか、心配になって来た。特に銀。お前もどうにかしなきゃ、綾姫は俺一人じゃ守れないんだぞ。なんてったって、ふわもふだからな。


「お」


 巨大化の魔法を見付けて、俺はそこに書いてあるような呼吸法を試してみる。十秒吸って十秒吐いて、あとは魔力の繋がりを意識して――


 ぽきゅん、と身体が大きくなる。

 しかしそれは、精々が元の二倍だった。

 まだ綾姫の肩にギリギリ乗れる程度。


 元の大きさがそうなんだから、仕方ないよな。しくしく泣いているとぽすぽすと綾姫に撫でられて、そのままぎゅーっと抱きしめて抱き枕にされてしまう。五分ぐらいは持つらしいから、その間は枕に徹してやろう。ちょっと身体が熱くなるのを感じながら、俺はもふぅっと息を吐く。


 こんな身体で男として意識されたいってのは、贅沢だよなあ。でもそうされたら幸せだろう。しかし俺はあくまでふわもふ、でなければ傍にはいられない。やっぱり短い手をちょっと伸ばして本を捲ると、武器の召喚なんてのもあったが、それはやり過ぎだし街でも反感を買うだろう。駄目だ駄目、次だ次。筋力増強。ふわもふアタックで間に合ってるから要らない。


 自分には何が出来るつもりなんだろう、と俺はちょっと悲しくなってくる。何も出来ない。綾姫を守れない。風邪だって引かせてしまうし、ふわもふでいなければ傍では守れない。人型ではいられない、だって俺達は、ばれてはいけないから。ばーちゃんの遺言なのだからそれは守らなければ。

 でも綾姫が少しは魔術に興味を持ち始めたのは良い事だろう。そのまま魔女になれれば良いが、そうすると婿の当てがない。いつまでも三人一緒じゃ駄目なのだ。綾姫にだって家族を知る権利がある。

 でもそれは俺じゃ駄目だ。

 そう思うとちょっと憂鬱になって、自分の身体がいつもの大きさに戻っている事にも気付かない程だった。

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