第6話

 結界は上手く働いたらしく、うてながやって来る事はなかった。次に奴と出くわしたのは、市の場。やあっと今度は随分早く顔を出して来たので、まだ薬は存分に残っている。だがこいつに買わせると綾姫に使って来るので、俺達はふわもふの毛を逆立てて威嚇した。だがうてなはそんなこと関係ないように、あれこれ薬を見ていく。


「これは?」

「火傷治し。一日一回貼り換える」

「こっちは?」

「消毒液。森の毒草用」

「これ」

「家畜用の麻酔。人間にはちょっと強力だな」


 ふぅん、と一通り見て行ったうてなは、毒消しを買って行った。毒草にやられてしまえと思っていたのでちょっと残念ではあるが、そう持ち歩くものでもないだろう。そうそう、とうてなはポケットから小さなメモ帳を出した。ちょっとくたびれているそれは、ばーちゃんの遺したレシピに似ている。


「僕の前の狩人が置いて行った物なんだけど、僕には草とか解んないからさ。綾姫ちゃんにあげるよ。多分薬とか食事とかのレシピだと思うから」

「貴重な物だろう。もらえない。図鑑でも見て覚えろ」

「それが面倒なんじゃないか。僕はあくまで狩人だよ。動物を殺す方法以外は知らなくて良い」


 それもどうかと思うが。あと人の家に入り込んで誘拐だってするだろう。薬を使って。俺達の姫に何を渡したんだ。去って行ったうてなの背中にぱたぱたと手を振っていた綾姫がぺらぺらとページを開いていく。と、その目が曇った。どうしたのかと道に敷かれた布の上でぴょんぴょん跳ねてみると、ふうっと綾姫は溜息を吐く。


「全部のレシピに眠り薬か毒が使われている。多分動物を罠にかけるためのレシピだ。肉を食わない私達には不用の物だよ」


 あいつ綾姫自身に毒食らわせて来るつもりだったのか、今度は。俺は銀に綾姫を任せ、うてなの後を追う。うてな。神棚みたいなものだと思ったが、あいつは邪神の方だろう。ひょいっと裏路地に入ったのを確認して、そっとそっち側に入ってみる。


 先日うてなに足を撃たれた強盗が、うてなと何やら話をしていた。


「はい、前回の分のお駄賃。また頼むことがあるかもしれないから、ちょっと多めにしておくよ」

「へへっそれさえ貰えりゃちょっとした怪我なんて大したことねえな。今日は営業妨害でもしてみるか? なんならあんたがヒーローになれるように痛めつけても」

「そこまではいらないよ、まだ。それにしてもあんなボディガードが付いてるとは思わなかったなあ、前回だってもう少しであの青いの君のお手柄になっちゃうところだったし。結構素早い」

「ああ、あの幻獣か? あんなのいざとなりゃ蹴り潰して」

「出来ないよ。あれで結構みっちり詰まってる。それに奥の手を隠しているしね」

「奥の手?」

「まあ、君が知っても仕方ない事だよ。それじゃ、僕は行くから、少ししてから出て来てね」


 こいつ。わざと綾姫を襲わせたのか。そしてその恩を着せて、自分の株を上げていた。思った以上にとんでもないやつだったと、俺はうてながやって来る前に人混みを抜けて綾姫と銀の元に飛ぶ。しかも今度は仕事の邪魔まで考えている。そんなことされたら、魔女なんて呼ばれてる綾姫はあっという間に爪はじきにされちまうじゃないか。綾姫。織姫。俺達色を束ねる姫。


 本当は朱だって、その名前を付けたのはばーちゃんだったんだ。まだ幼かった朱は、自由を選んでテイムされるのを良しとしなかった。そうかい、と言ってばーちゃんは朱を森に放した。結果がこれだ。あいつがテイマーならほかの森の動物も逆らえなくしているのかもしれない。でも名前が無ければそれは不可能だ。だから真っ先に朱が狙われたのか。名を持ってる確実な存在だと感じたんだろう。そして朱越しに猟をする。

 朱も助けたいが、今の俺達は綾姫を守るので精一杯だ。成長期の男一人とは言え、相手は綾姫を狙って来る。俺達の事なんて本当は無視していても良いんだろう。見縊られている、それを伝えたくて店じまいしている綾姫の身体に飛び込んだ。


 伝えたい。話したい。声を出したい。やっぱりあの薬で人型になってしまった方が良いのだろうか。でもうてなの事を綾姫が愛してしまったら、俺達のしていることはただの道化だ。荷物を持っての帰り道、結界は効いているが先日友人になったと言う熊がうろうろしていた。

 どうした、と声を掛けると、熊は困ったように身体を丸める。綾姫も気付いてきょとんとしていた。この辺りは縄張りじゃないはずだからだ。

 熊は言い辛そうに、だけど正直に、獣言葉で話してくれる。それは俺達も解る言葉だった。


「あんたを襲え、って言われたんだ」

「誰に?」

「それは、言えない、そう言う魔法を掛けられた」

「魔法?」

「魔術かな、毒かな、分からないけれどそうしないと俺を撃って殺して食っちまうって言うんだ。形だけでも襲われてくれないか」

「形だけ?」

「こんな風に」


 二メートル近くある熊は、がおーっと立ち上がり襲い掛かるそぶりを見せる。

 それを待っていたかのように、銃声がした。

 頭を打ち抜かれた熊は、倒れた。

 死んでしまっていた。

 はちみつの場所を教えてくれた親切な熊は、死んでしまっていた。


「綾姫ちゃん、大丈夫!?」


 わざとらしく出て来たうてなの猟銃からは、煙を吹いている。綾姫は何が起こったのか分からず、熊の横にしゃがみこんでその脈を探しているようだった。動物の血管は人間とはちょっと違う通路で流れている。だけどどこを触ってもそれが見付けられない――死んでしまっていることに、ふぇ、と涙を零す。


 ああやめてくれ。赤ん坊の頃ならまだしも、こんなでかい図体で泣かれたら、抱きしめたくなってしまうじゃないか。どうして俺はただのふわもふなのだろう、膝に乗って涙を舐めることしか出来ない。銀もだ。ほろほろ零れて行ってしまう。まだ付き合いは短いが、親切な奴だった。腹が減ってないから食わないよ、と陽気に笑ってくれた奴だった。

 毒。魔法。魔術。どれにしたって、やったのはうてなだろう。それを綾姫に伝えたいが、うてなは不遜にも綾姫の肩を抱いてよしよし、と長い髪を撫でて来た。生まれてから一度も切った事のない髪には、霊力が宿る。その髪を撫でていた。


 しゃあっと威嚇するが、綾姫にはもう俺が見えていないし、銀もそうだろう。ただ亡くなってしまった熊だけを見ている。そんな綾姫に、危なかったねえと、白々しくうてなは寄り添う。人型になって、さっさと綾姫を連れて行ってしまおうか。みぞおちにうまく入れば気絶させることも出来る。結界まで六分もかからないだろう、銀とバトンタッチにして家に入ってしまえれば。その方が、ずっと安心するのに、俺達にはそれを言う術はない。

 もどかしい。あの薬、飲んでしまおうか。でもふわもふでなくなった俺が綾姫に受け入れてもらえるかは分からない。風呂だっていまだに一緒に入ってるんだ。とても告げる事なんて出来ないだろう。


「危なかったね、綾姫ちゃん。熊だって獣なんだから襲い掛かって来る事はあるんだよ。無防備に歩いてたらお腹からぱっくりだ。そうならなくて良かったね。丁度帰り道だったんだよ、僕も」

「…………」

「ショックみたいだから、狩人小屋に行ってみるかい? 牛を飼ってるから温かいミルクぐらいは出せるよ。そうしよう。さ、立って、綾姫ちゃん」


 半ば抱き抱えられるように立たされたのを見て、俺はその腕に突撃した。バランスを崩した綾姫は銀がクッションになって受け止める。ああ、とぽとぽと涙を流していた綾姫はそれを袖で拭い、よろけながらも立ち上がる。気丈に振舞おうとするのは綾姫の思いやりであり、欠点でもある。にこ、と笑って、綾姫は熊にぽんぽんと触れる。


「森の熊はろくなもの食べてないから不味いぞ。うてな」

「そうなの? でもこのままにしておくのももったいないなあ」

「お前から貰ったレシピに熊の調理法があった。使えば良い」


 綾姫は言って、ポケットから手帳を取り出しうてなに差し出した。ふむ、と受け取って、うてなは苦笑いする。


「君って結構ガード硬いよねえ、あーたん」

「何の話だ、うーたん」

「何でもないさ。さてと、じゃあ僕は小屋に戻って斧を持ってこなくちゃな。流石に二メートル越えの熊は持って行けないから細かくしないと」


 多分熊はテイムされていたんだろう。そしてその名を知っていたのは、おそらく朱だ。このままじゃ何もいない森にされるのも時間の問題かもしれない。朱は大概の森の動物の真名を知っている。生まれる度に付けて来たのが朱だからだ。だが俺達は違う術式で出来ているから、名は言えない。それが多分、一番の幸福だろう。

 熊の瞼を閉じて、綾姫は歩き出す。俺と銀は荷物を持って、その前後に付いた。これならうてなも入って来られないだろう、草原の結界の中へ。

 しかし本当に、容赦がない。あいつは綾姫をどうしたいんだろう。なんだって狩人小屋なんかに住み着いたんだろう。

 解らない事だらけで、頭に乗せた玉ねぎの匂いが目に染みた。

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