第5話

「なんっ……だこれは!?」


 人型になって綾姫をベッドに運び寝かせ、ふわもふに戻ってからも銀と交代で寝ずの番をしていた俺達は、うつらうつらしていた中で綾姫のそんな声に目を覚ました。まだ草水の匂いが残っている家を囲む焼け跡である。さすがにボケた綾姫でも気付くぐらいのそれに、すりすりっと俺はその足に懐いた。玄関で一時間放置された身体はすっかり温まっていたが、風邪は引いていないだろうか。しかし今はそれどころではないらしく、綾姫はぐるりと家を一周してくる。

 草水の匂いにも気付いたのだろう、けふっと小さな咳を漏らして、焼けてしまった薬草畑も見に行く。まあ草は強く生えて来るから、焼き畑の要領で問題ないと言えば問題ない。来週の分の薬は昨日作り終えているから、二週間程度なら若芽が生えて来るだろう。


 それにしても人為的な工作であることに、綾姫はぺたんっと草の上に腰を下ろしてしまっていた。そんなに嫌われてもいないと思ってたいから、他人にここまでの悪意を向けられるのは予想外だったんだろう。うる、と目に涙を溜める姿に、寄り添ったのは俺と銀だ。もふもふすりすり、パジャマ代わりのワンピースに匂いを馴染ませるようにする。ぽんぽんと撫でてくれたが、綾姫のショックは強いらしい。

 町の人間がやったって考えるのが普通だもんなあ。俺と銀はそうじゃない、うてなだと分かっているが、綾姫にそれを伝える術はない。下手をしたら焼き殺されていたのかもしれないのだ、昔の魔女のように。そこまでの悪意を向けられていたらショックだろう。ああ、今すぐ人型になってうてなの危険性を伝えたい。だが遺言は絶対だ、綾姫がまだこんなちっぽけである以上、俺達はそれを伝えることが出来ない。どうしようもないのだ。文字でも書いてみようかと思うが、俺の手はそれには短すぎるし、人間の言葉は解るが書けない。


 もどかしい。ぐるぐる喉を鳴らしていると、はーっとやっと立ち直ったらしい綾姫が身体を起こした。俺達も一緒に抱き上げてくれる。


「まずは食事にしなくてはな。食糧庫は襲われてなかったみたいだし、そうしよう。すまんな二人とも、情けない姿を見せた」


 苦笑いして見せる綾姫に、お前は何も悪くないと言いたい。だが出る言葉はきゅるきゅると言う幻獣の鳴き声だけだ。ああ、もどかしくて逆に腹が立って来た。あの野郎。うてな。あいつを森から追い出さなければ、俺達に安息はない。

 だが今は朱に自分を守らせている状態だ。朱を排除するわけにはいくまい。森の仲間なのだから、どこか声の聞こえない所に匿ってから、だ。一番良いのはこの綾姫の家だが、一番危険な場所でもある。綾姫に何かあった時のことは頼めるが、いかんせん朱の魔法は火だ。内側から燃やせ、なんて指令を受けたらどうしようもない。この家にはばーちゃんが遺した大量の魔導書とレシピがある。それが失われたら、綾姫は生きていけないだろう。念のため氷の息吹で魔導書は湿らせておいたが、それでも無傷という訳にはいかないだろうし、綾姫に見付かったら悪戯しないの、と怒られてしまう。


 取り敢えず今日は結界作りだ。銀と一緒に焦げたパンを食べながら、うん、と頷き合い、俺達はまた薬草を煮込み始めた綾姫の背から一旦離れた。

 結界の魔導書を開いて、なんとか使えそうなものを見付ける。殆どの陣は悪意を持つ相手にしか作用しないから、うてなのような確信犯には使えないのだ。なので俺達が採ったのは、ある一定の距離からは入れなくなる結界。術者以外を遠ざけるものだ。俺と銀が綾姫に付いていれば、綾姫には影響がないし、あったとしても見張っていれば草の中を泳ぐように前に進めない綾姫に気付けるだろう。

 ついでに昨日落とされていったうてなの髪も細かくしてばら撒いておいた。やってて良かった氷魔法、凍って千切れたものがいくつもあって助かった。これであいつは絶対に単独で結界の中に入って行けないし、なんなら家を視認することも出来ないだろう。


 特徴のない顔に笑顔を貼り付けてハァイ☆ なんて来たって、これで大丈夫だ。俺達はやっとほっとしたが、問題は綾姫の方が招き入れてしまう事である。綾姫はうてなが自分と既成事実を作って魔女の配偶者なんてのになろうとしてるんだなんて知りもしない。綾姫のばーちゃんは子供が出来ても突っぱねていたらしいが、色々ショックの大きかった今の綾姫には、恋愛する力も残っていないだろう。そこにつけこむ、なんて卑怯なことはしないと思いたい――が、それは結界に遮られたうてなとの勝負だな。

 そんな非常識なことはしないだろうと思いたい。綾姫には幻獣が二匹も付いているんだと思わせたい。手を出せないと思わせたい――その為にはもっと結界を重ねておいた方が良いんだろうが、生憎ばーちゃんはあんまり結界術の本を持っていなかったようだった。


 仕方なく俺と銀は身体中に石灰を付けて、草原を走り回る。そうやって結界を描くのも大変だったが、綾姫の貞操には代えられない。ふるるるるっと身体を震わせると、身体から石灰が落ちた。何度も繰り返して、本で見た絵図を描いていく。最後に銀とかち合えば、陣は完成だ。


「おーいお前たち、何をしているー? 昼食だぞ、そろそろ」


 呑気に呼んでくれちゃう主人の元に戻り、俺達はまたふるふるっと身体を震わせて残った石灰を振り払う。それから食卓に着いて、ちょっと焦げ臭いスープを食べた。けふっと綾姫が咳をして、まだ石灰が付いていたかな、と俺と銀は顔を合わせる。俺はともかく銀は白銀色なので分かりにくかった。

 薬草畑は散々だったが、野菜畑は根菜が多かったので比較的被害は少なかったと言えよう。芋や人参も入ってる。大根だって収穫期じゃないけど葉が少し焦げた程度だった。かぼちゃに至っては適度に火が入ったのか、いつもよりほくほくしている。煮崩れる事すらなかった難敵をここまでにするとは、ここだけナイスうてな。


「なんかかぼちゃがいつもより甘くて美味しいなあ」


 のほほんとしている綾姫は、ちょっといつものぶっきらぼうさに似た喋り方が緩くなっている。うてなの影響だろうかと思うと少し腹が立つが、まあ今回だけは許してやろう。あくまで今回だけだ。一日に二回も誘拐未遂してくる奴なんて、信じたくても信じられないだろう。俺達にとっては。

 綾姫がもしもあいつを好んでしまったらどうしようと、それが目下の俺の心配事だ。銀だって同じだろう。俺達だって名前を握られでもしたら、また野良幻獣に戻れと言われそうで嫌だ。朱の名前も返して欲しい。だが交渉の時間は銀と合わせても六分だ。とても足りないだろう。

 俺達のお姫様を守るには、やっぱり俺達が立ち向かわなければ。騎士のようにその前に立って、戦わなければ。しかし朱の名前、どうやって奪ったって言うんだろう。まさかあいつ、幻獣の言葉が分かるんじゃないだろうな。だとしたら厄介だ。とんでもなく、厄介だ。迂闊に銀の名も呼べなくなる。


「じゃあ僕達も、外では青いの、白いの、って呼び合った方が良いね」


 昼寝中の綾姫に寄り添いながら、俺はああ、と頷く――程の首もないが、もふっとする。時折けこけこと咳をする綾姫は、昨日玄関に放置された一時間でやっぱり風邪をひいてしまったのだろうか。短い手でシーツを引っ張り上げてやると、銀も手伝ってくれる。左右両側からずりずりと掛けてやると、少し咳が収まったようだった。肩まで肩まで、と次は毛布を掛ける。ふうっと一段落付けて、俺達は笑い合った。

 綾姫の世話は生まれた時から俺達が分捕って来たから、両親より一日の長があったと思う。俺達のふわもふの身体は赤ん坊には覿面で、よく二人してにぎにぎ遊ばれたものだ。唾液が付いてぼさぼさになったら、嫁さんが綾姫の沐浴と一緒に入れてくれた。懐かしい日々だ。


 それが何だってあんな変態にストーキングされることになっちまったかなあ。はあっと息を吐いて、俺は若夫婦の部屋、今は図書室になっているそこで、防御魔法や水系氷系魔法の本を探して特訓する。ふわもふだって戦力になれるのだ。実際昨日の火事はふわもふの仕業――と言うには酷か――だったんだから。朱は俺達のように人型になれるのは一分が限度だ。まだ若いから。それに俺達も、ばーちゃんの特殊な魔法で三分と言う制限が付けられている。

 銀は自分の魔法で薬草畑や野菜畑を直していっていた。成長系、珍しくて役に立つのって良いな。でも草水を浴びた野菜ってどうなんだろう。考えながら俺は、根腐れしない程度に水をやった。

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