二十六話 異世界災害の終わりに
異形の世界樹の中は空洞だったなんてことはない。表面を突き破って内部に入り込めばそこは気の繊維とは思えないような生々しい筋肉質が詰まっていた。その中をアイギスを覆うように展開したナノマシンで分解しながら進んでいく。散布したナノマシンはまだ一割も回収できていないがそれほど問題はなかった。核へと進む道中でナノマシンはほとんど回収できるだろうし、何よりも内部に入り込んでしまえば花粉が届くこともない。
「図体はでかくても頭が回らんのではな」
軍司の経験上核を守るのに大型の怪物を使用している異世界災害ほど対処は容易い。大抵の場合その巨体が災いしてアイギスのような小型の存在を相手に力を集中することができないからだ。
しかも軍司の見立て通り頭が回らないのか力を集中しようとする努力すらしようとせず、当てることを優先したのがこの結果だ。確かに空間を花粉で充満させれば躱すことはできないだろうが、どれだけ広範囲に散布しようがアイギスに当たる面積は限られるのだから防ぐのは簡単だ。
「先輩! 先輩! 先輩! 大丈夫なんすか!」
「問題ない」
姿が見えなくなったからか慌てたような旭の通信が入るが軍司は冷静な声で返す。
「このまま進んで核を壊すだけだ、難しいことでも何でもない」
「で、でも!?」
「俺たちがいったいこれまで何回異世界災害を収束させてきたと思ってる…………この程度の異世界災害なんて雑魚もいいところだ」
「ゆ、油断は駄目っすよ!」
「油断なんて…………」
してないと言おうとして海斗のことを思い出す。あのくそったれな亀の怪物はこの異形の世界樹と大差ない存在だった。唯一の脅威はその口から収束して放たれるレーザーのようなエネルギーの奔流だったが、それにしたって普通に当たるようなものではなかった。
普通であれば絶対にしないようなミスを海がして、それに対して海斗がそのキャラに似つかわしくない真似をしたからこそ当たってしまったのだ。
「わかったよ。そっちも気を付けるんだぞ?」
「こっちは問題ないっす。なんか花粉も薄くなってきてる見たいっすし」
「そいつは実にわかりやすいな」
「どういうことっすか?」
「リソースをこっちに回してるってことだろう」
どうやらこの異形の世界樹は同時にいくつもの物事を行う頭がないらしい。花粉を放つのに木や根の動きを止めてしまったし、今内部に入り込んだ軍司に対処するために花粉の放出を止めようとしているのだろう…………なにせ所詮は木だ。哺乳類のように複雑な構造をしていないゆえに急所もなく生命力は高いが、柔軟な思考を生み出すような臓器もなくただ本能的に行動しているだけなのだろう。
ピピピ
機体の負荷が上昇していることを示す警告音が軍司の耳へと響く。それは異形の世界樹の内部の圧力が急激に圧力を増していることを示していた。ようやくその全ての力を用いて軍司を圧殺しようというのだろう。
「遅すぎる」
内部に侵入したその瞬間にやられていたら話は別だったかもしれないが、今はもう十分な量のナノマシンを回収し終えている。どれだけこちらを押し潰そうと圧力を高めたところで触れた端から分解してやれば関係は無い…………それに軍司を押し潰すには木の内部全体を締め上げるしかなく、力を集中できていないという点に変わりはない。
「終わりだ」
そしてなによりもすでに軍司は核へと辿り着いている。アイギスの二倍ほどの大きさの、恐らくは種なのであろう紫色の塊。そこからこの異形の世界樹が生えたわけでもなく、ただそこに内包されていたもの。意味は分からないが核とはそういうものだと軍司は知っている。
そこに関連性を見出す必要なくただ壊せばいいだけだ…………アイギスを全速で突っ込ませてその拳で叩き割る!
その表層が砕け、その内部にあったなにかをもアイギスの拳が砕く。
この世界と異世界との繋がりそのものが砕かれて、瞬間的に異世界災害の収束が始まった。浸食されたこちら側の世界は速やかに元へと戻り、異世界の残滓は全て消え去っていく。けれどその過程で失われたものは戻ることはなく、死んだ命が生き返ることもない。
そして異世界災害が収束すれば絶対観測者たちの役割も終わる。その保護のため速やかに回収され、再びあの仮想世界へとその意識は移されるだろう。
その前にまだ、軍司にはやることが残っている。
◇
「先輩、やったんすか!」
「ああ、見ての通りだ」
軍司からの返答を聞く旭の眼前で塗り替わるように異形の森が元の世界へと戻っていく。建ち並んでいた異形の木々はそのままビル群へと変化し、草木の生い茂っていた地面も舗装された道路へと戻っていく…………それらがとてもゆっくりに見えるのは出撃前と同じように体感時間を引き延ばされているからなのだろう。
「異世界災害が完全に収束したら俺たちはすぐに回収されるだろう。そして回収されれば再び意識はあの仮想世界に戻される…………だからその前に話がある」
その話の時間のために、軍司はその回収までの僅かな時間を引き延ばしていた。
「話って、なんすか」
勝利の喜びの余韻もない、そもそもいきなり戦場に放り込まれた旭にしてみれば勝利という実感もない。そんな彼女に軍司が喜べない話をしようとしていることが彼女にはわかった。
「まず、このまま帰還すればここでの記憶はまた曖昧になる。お前は以前までと同じようにこの出来事を夢だと思って深く思い出すこともできないだろう」
「ちょっ、なんすかそれ!」
意味が分からない。それでは自分は何のためにここにいて、軍司から全ての事情を説明されたのかわからない。
「先輩は、なんのために私を連れてきたんすか!」
もちろん軍司が旭を連れてきたわけではなく出撃が義務なのは理解している。けれどそれなら普段のように彼女が夢だと思い込んだままでもよかったはずだ…………これが現実なのだと思い知らせる必要はない。
「このまま帰還すればと俺は言ったんだ…………申請を出せば記憶の保持は通る」
「えっ!?」
「問題は、それをお前が望むかだ」
旭が望めば記憶の保持がされ、あちら側でも軍司と旭は現実のことを覚えたままでいられるだろう。
「わ、私は…………」
けれど旭はそれを肯定できなかった。心の奥底の、何もかも忘れる前の自分が思い出したくない、覚えていたくないと訴えてきているようだった。
「お前がまだ忘れていたいというならそれでも構わない」
返答できない旭へ軍司はそんなことを言う。
「ちょ、待つっすよ! それなら本当に先輩は何のためにこんなことしたんすか!」
海と連名でわざわざ申請を出して記憶消去を選んでいた旭へと事情を説明する。そんな真似をしでかしておいてまた忘れてしまってもいいなんて、まるで意味が分からなかった。
「全然意味が分からないっすよ!」
「俺のやりたいことは昔から変わっていない」
何もかも忘れてしまう前も、思い出した今も軍司の中でそれだけは変わらない。
「俺はお前を、異世界なんかじゃなく現世で幸せにしたいんだ」
はっきりと、旭へとそれを伝える。
もう、その願いから自分は逃げることはしないのだと。
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