二十四話 異世界災害③
絶対観測者たちはその全員が一つの仮想世界に繋がれ、そこを本物の世界と信じ込んで生活している。そこでは本当の現実のことも異世界災害のことも思い出すことはなく、その世界に暮らす何も知らないただの普通の人間として生活する…………ただ、異世界災害が発生した際にはそれが現実と気づかないままにその対処を行うことになる。
例えばそれが軍司であればリアルなVRゲームをプレイしたのだと思うように…………旭であれば嫌な夢を見るという形であったはずだ。
「全部、偽物だったってことっすか?」
「偽物というには
確かに世界そのものは仮想現実でしかないがそこで暮らす人々は別だ。完全にAIが動かしている人物も存在はするのだが、絶対観測者の生活する範囲の人間は全て現実世界で肉体のある人間が同じように現実の記憶を忘れて生活している。
それは深い人間関係となるほどにAIでは違和感を覚えられることが多かったからだ。そのほとんどは異世界災害によって大きなトラウマを受けた人間や、身体的な障害によって現実での通常の生活が困難なものが志願して担っている。
「少なくとも、みんなあそこで生きていた」
例え世界は虚構でも、そこで暮らす自分たちにとってあの世界は本物だったのだ。
「でも、私は世界から転生したくて仕方なかったすよ」
「違う」
軍司はそれを否定する。
「お前が逃げ出したかったのはあの世界からじゃない…………この世界からだ」
だからあの世界が嫌で逃げるわけではないのだと旭は思い込んでいた。あの世界に不満があるわけではなく、ただ異世界転生したい衝動があるのだと…………しかしそれは本当の現実から逃げたいという感情の現れだ。
現実世界の記憶を忘れてもなお消えなかったその強い感情が、理由もわからないまま現れていただけなのだ。
「なんで!?」
目の前に迫った単眼の巨人を殴り飛ばしながら旭は叫ぶ。
「それならなんで先輩は私この世界に連れてきたんすか! こんな! 私の望んだ異世界とはかけ離れたところにっすよ!」
「お前に現実を突きつけたかった」
確かにこんな異世界に転生することなど旭は望んでいなかっただろう。彼女が望んでいたのはこんな絶望しかない現実ではなく希望溢れる異世界なのだから。
「最初、仮想現実で暮らす際に記憶を消すことは強制じゃなかった」
過酷な現実を忘れて平穏な仮想世界で生活する。それは絶対観測者にとって迷わず選びたくなるくらい魅力的なことだったが、記憶を忘れるというのは大きい。魂の存在が実証されても人の人格を形成するのは結局のところ記憶だ。それを忘れるのは人格的には死ぬことに代わりなく、自分という存在を失うことを恐れる絶対観測者も多かった。
だから最初その提案がなされた時に絶対観測者たちには記憶を保持することを選ぶかどうかの選択肢が与えられた。その精神状態が魂に影響を及ぼすほどに危うくなれば強制的に記憶の消去が行われるが、それまではその記憶を保持することを選ぶことができたのだ。
「だけど、お前は記憶を消すことを選んだ」
「私が…………すか?」
「そうだ、お前は自分を失うことよりもこの現実を覚えているほうが辛いと言った」
その気持ちは痛いほど軍司にもわかったし、その辛さに耐えている旭の姿は見ていて痛々しかった…………だから彼はそれを受け入れた。
「絶対観測者は二人一組だ。だから片方が記憶を消すこと受け入れたならパートナーも記憶を消す必要があるし、仮想現実においてもその関係性は薄くなるよう設定される…………接触によって万が一にも思い出すことのないようにな」
絶対観測者が二人一組なのは互いを観測しあうことによって異世界災害の中でより強く自らの世界の法則を保つことができるからであり、たとえやられてもパートナーがいればブラックボックスの回収が可能だからだ。しかしその関係性ゆえに片方だけ記憶を消去するには不都合が生まれるし、近くで生活すれば思い出してしまう可能性があるからあえて仮想世界での関係性は希薄に設定される。
「俺はお前と離れたくなかったし、忘れたくもなかった…………だが、それでお前が幸せになれるならそれでいいと思っていた」
「…………先輩」
現実のことも軍司のことも忘れてあの仮想世界で平穏に暮らせるなら、それでいいと彼は受け入れて何もかもを忘れた。本来であれば旭と軍司は出会うこともなくあの世界で平穏な人生を送り続けて、いつか寿命を迎えて別の命として再設定されても出会うことなかったはずだった…………しかし何の因果か軍司は旭に出会ってしまった。
「お前はあの世界でも幸せにはなれなかった」
記憶を忘れても現実世界への恐怖を忘れることはできず、それは理由もわからない現実逃避への衝動となって旭の中で燃え上がっていた…………それが異世界転生へという願望になったのは皮肉な話だろう。
旭は異世界災害から逃れたかったが、それはつまり異世界という存在が実在していることを強く認識していることになる。異世界が実在していることを本能的に知っている旭にとって異世界転生は夢幻ではなかったのだ。
異世界は恐ろしい…………けれどきっと、自分が望むような希望溢れた異世界も存在するはずだと。
恐怖の対象であったはずの異世界に旭が希望を抱いたのは本当に皮肉でしかない。
「あの世界では、俺は旭を幸せにしてやれない」
何もかも忘れたままでは軍司は旭を幸せにできなかった。ありえない希望に向かって歩き続ける彼女を諭して、拒絶されてしまった。
「…………あるいは、俺が妥協すればよかったのかもしれないが」
異世界転生という存在しない可能性に向かって旭とともに歩き続ける。きっとそれはそれで幸せな人生は送れたのかもしれないとは思う。
「だが、俺にそれはできない」
再び濃くなり始めた異形の森を高出力レーザーで薙ぎ払いながら軍司は断じる。何もかも忘れても、彼が彼である限りそのありようが逃げることはできない。偽りではなく夢想でもない現実で彼は彼女を幸せにしてあげたいのだから。
「そんなの、勝手っすよ」
「そうだな」
否定はしない。旭はきっと夢見ているだけでも幸せだったかもしれないのだから。結局は軍司の勝手だ。彼は自分がそうしたいからするのであり、結局は自分のためなのだ。
「そろそろ核が近いな」
異世界災害の抵抗も激しくなってきていた。現生している怪物たちも絶え間なく現れるようになってきているし、生い茂る木々もいよいよもって一個の生命であるかの如く連なって二人へと迫っている。
「相変わらずおかしな世界だ」
「あ」
呟きつつ見上げる軍司に旭がつられて視線を向けると、そこには巨大な樹があった。空まで聳えるようなその大樹は旭の知るどんな高層ビルよりも高くて太い…………森の中であったとはいえこれまでなんでそんな巨大なものに気づけなかったのか不思議だった。
「恐らくあれを倒せばこの異世界災害は収束するだろう」
あれがこの異世界の中心であるという本能的な感覚が軍司にはあった。
「あれを倒せば、終わるんすか?」
わけのわからないこの状況…………旭にとってわかりたくもない現実が終わる。そうして彼女はまた何もかもを忘れて元の世界へと戻るのだ。
「そうだ、終わる。この異世界災害は」
一つの異世界災害は収束し、けれど異世界災害そのものがなくなるわけではない。
「先輩、私は…………」
「行くぞ」
何かを言おうとした旭を遮るように告げて、軍司は世界に聳え立つ大樹へと向けてアイギスを駆った。
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