二十三話 異世界災害②

 最初の異世界災害が収束した後、それを解決し唯一生還した二名の男女には徹底的な検査が行われた。ほとんど人体実験に近い内容だったとされるそれをその二人はむしろ自ら志願したと言われている…………もちろんそれが真実であるかは疑われることも多いが、その後の彼らの発言からも異世界災害が今後も続くのだと危機感を抱いていたのは間違いない。


 なんにせよその二人やその他の残留物を調べることによって一つの事実が判明した。異世界災害は自らの空間に取り込んだあらゆるものに対して異世界の法則を適用する。ほとんどのものはそれに抵抗することができず異世界の存在へと変質してしまうが、中にはそれに抵抗し己の世界の法則を保つことができる者たちもいる。


 観測者。彼らは異世界であっても自己を観測することで自らの世界の法則を保つことができた…………しかしそれだけでは足りなかった。たとえ自らを保つことができても飲み込まれたその場所は異世界なのだ。むしろ変質せずに自己を保ったことで異なる法則で成り立つ世界に耐えることができずむしろ半端な抵抗ができたがゆえに死んでしまう。


 しかしその観測者の中に例外が二人いた。最初の異世界災害の生存者であった彼らは異世界において自己だけではなくその観測できる範囲で自らの世界の法則を観測できた。観測されることによって世界は確定する。二人は異世界の中で自らの世界を観測することによって異世界を侵食し返したのだ。その力ゆえに二人は異世界災害の中でも元の世界のように生存することができ、その核を破壊して災害を収束させることができたのである。


 絶対観測者と名付けられた彼らはとても希少な存在だった。百人に一人どころではなく一千万人に一人いるかいないかの存在。しかし異世界においても自らの世界の法則を観測できる彼らでなくては異世界災害を収束させることはできない。異なる世界の法則の中ではこの世界の法則に基づいて作られたあらゆる技術が役には立たず、彼らが観測することで初めて異世界災害の中でもその力を発揮できるのだから。


「だから俺たちはここにいる」


 アイギスには異世界災害の中を突っ切って核を破壊するだけの性能がある。しかし絶対観測者がいなければそれはただの鉄の塊以下だ。だから軍司と旭はそれを纏ってこの場にいるし、希少な存在である二人を守るためにアイギスは搭乗者を守る性能に特化していた。


「わかった、わかったっすよ! それはわかったっすけど!」


 おどろおどろしい木々は焼き払い先に進んだが、今度はその森に棲息していたのであろう生物たちが二人へと襲い掛かって来ていた。旭の知るどの生物に該当しないような異形の怪物をほとんど無意識に相手しながら旭は叫ぶ。例えるならゴブリンやミノタウロス。こんな状況でなければ旭はそれと戦うことに歓喜の声を挙げていたはずだった。しかし今はそんな事実に喜びを感じていられる精神状態ではない。


 自分という存在が特別であることは理解できた。アイギスから知らされた自分の知らなかった知識であるそれが真実だとなぜだか彼女は確信できている…………けれどだからこそわからないことがどんどんと増えていくのだ。


「ここが、このアイギスとかのある世界が現実だって言うなら…………私たちがいたあの世界は、私達の世界はなんなんすか!」


 これまで自分が、旭が現実だと信じていたあの平穏な世界。自分が異世界転生によって捨てようとしていた世界はなんなのだ。


「絶対観測者は希少だ」


 迫る怪物どもをアイギスの両腕で握り潰しながら軍司は答える。次いで展開したナノマシンから発せられる高圧電流が群れごと怪物たちを消し炭にした。


「そしてその希少な存在にしか異世界災害は対処できない」


 異世界災害は放置すればこちらの世界を侵食して広がり続け、最後にはその全てを異世界へと作り変えてしまうだろう。そうなれば抵抗できないほとんど人間は異世界の存在へとなり替わり、抵抗できる通常の観測者は異世界の環境に耐えきれずに死滅する。この世界の終わりであり新たな異世界の始まりだ。


 だからこそ即座に対応しなくてはならないが、それが出来るのは絶対観測者のみ。しかしその数は少なく希少なうえに、異世界災害の核を破壊しようとすれば異世界そのものが敵となって襲い掛かってくるのだから危険極まりない。


「だがどれだけ強固な装甲を身に纏っても人間は簡単に死ぬ」


 絶対観測者はその特性上最前線に出なくては意味がない。それはつまり最も危険なところに出向かなくてはいけないということだ。


 想定外の強敵に出会うこともあるだろうし、予想もしなかったようなトラブルに見舞われることだってあるだろう…………どれだけ強固な装甲を身に纏って対策をしても足りないことは起こりえる。


「異世界災害に対処しなければ人類は終わる。しかし消耗品として割り切るには絶対観測者はあまりにも少なすぎた」


 絶対観測者は現場に絶対に出す必要がある。しかし現場に出せば死ぬ危険があり、そうなれば確実に絶対観測者の総数は減っていく…………その数はそのまま人類滅亡へのカウントダウンなのだ。


「死にさえしなければ四肢欠損しようが再生する医療技術はあった。しかし現場でそんな傷を負えばそもそも回収できることすら稀だ。絶対観測者は基本的に二人一組で異世界災害に挑むが、重傷者を連れて逃げられるほど異世界災害は甘くない」


 無理をすればもう一人も死んでしまうだろう。


「だから最初に人類が考えたのは絶対観測者を増やすことだ」


 しかしあらゆる検証がされてまず分かったのは絶対観測者の力は遺伝しないことだった。それならばと絶対観測者の完全なクローンを生み出すことが試みられたが、なぜだかそれは失敗してしまった。記憶もその人格も完璧に再現したはずのクローンたちは、けれど絶対観測者としての力をもってはいなかった。


「肉体的には完璧に再現されたクローン。それが絶対観測者としての力を引き継がなかったことで研究者たちはこう考えるしかなくなった…………科学的には検知することのできない魂とも呼ぶべきものが実在していて、絶対観測者としての力はそこに宿っているのではないかとな」


 例え記憶と人格を再現したクローンであっても宿る魂は違っている。だからその力が引き継がれないのだと考えるしかなかった。


「しかし逆説的に魂と呼べるものが存在するのだと実証されたことで、それまで検知することができなかった魂という存在に迫ることができるくらいには研究者たちは優秀だった」


 最終的に研究者たちは絶対観測者の魂を確認し、それを留めるための装置を作り出した。それはアイギスのブラックボックスに搭載されており、搭乗者が死亡すればその魂を内側に留める。搭乗者そのものではなく小さなブラックボックス程度であれば生き残った相方が回収して持ち帰るのに負担は少ない…………そうして回収された魂をクローン再生された身体へと移し替えることで絶対観測者は何度でも蘇る不死身の戦士となった。


「例外はあるがな」


 いなくなってしまった悪友のことを軍司は思い出す。ブラックボックスは頑丈に作られているがそれでも絶対ではない。運悪く直撃してしまえばその魂は留まらない…………消えてなくなってしまったのか、それこそ天国や地獄と呼ばれる異世界へと旅立ってしまったのかもしれない。


「とはいえ肉体的には絶対観測者は不死身に近くなった…………けれどその精神はまた別だ。絶対観測者はその多くがごく普通の人間だった。そんな人間が最新鋭の兵器を与えられたからって意気揚々と戦場に出られるもんじゃない。もちろんアイギスのサポートがあれば素人だってベテランの様に戦える…………だがそういう問題じゃない」


 そして何よりも異世界災害で死ぬ。死んで生き返ると言ってもそれで死んだ体験がなくなるわけじゃない。繰り返される異世界災害との戦いに死の体験、普通の人間の精神がそう長いこと耐えられるわけもない。


「最も心が壊れようが人間は戦える。むしろ壊れてくれた方が扱いやすかったかもしれないくらいだ…………しかしどうやら精神が壊れていると魂というものは腐っていくものだったらしい」


 絶対観測者の力が魂に宿っている以上、魂が腐ってしまえば体を取り換えても意味がない。人類は絶対観測者の体だけはなくその精神までもケアする必要に駆られることとなった。


「だがまあ普通に考えればそれは無理だ。異世界災害が存在する限り絶対観測者は戦い続ける運命で、死に続ける運命だ…………そんなもんカウンセリングを受けたってどうしようもない」

「だから、あの世界を作ったってこと…………っすか?」

「その通りだ」


 絶対観測者の精神の逃げ場としての世界。現実と見分けのつかない、しかし異世界災害など存在しない平和な仮想世界に絶対観測者たちの精神を繋いだ。その舞台が現実よりも古い時代設定なのはその時代が平和であったのもそうだが…………現実と同じ時代設定では異世界災害のことを思い出してしまうのではないかという配慮だろう。


「虚構で作り上げられた絶対観測者にとっての心の安らぎである世界…………それが俺たちの暮らしていた世界だ」

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