二十二話 異世界災害①

 目標地点への到着を知らせるアラームが鳴り響く。こうなればもはや止める手段は無い。軍司の持つ権限では作戦の中止どころか開始までの延長も認められないだろう…………もとより止めるつもりもないのだが。


「旭、降下が始まるぞ。舌を噛むなよ」


 まあ、噛んだところで即座に治療されるのだが。


「え、降下ってなんすか…………!?」


 戸惑いの声を旭が挙げたその瞬間に格納庫の床が開く。そしてそれまで彼女が格納庫だと思っていたのは高速で飛行する輸送機であったのだと、そこから落下しながら気づいた。


「わ、わわわわわわわわわわ!?」

「落ち着け、自動で落下に制動はかかる」


 慌てる旭と対称的に落ち着いた軍司の声が響くと同時に、その言葉通り旭の乗るアイギスは自動的に各所のバーニアを吹かせて落下速度を減じ、軌道を修正していく。急速な落下に伴う不快感もそれですぐに収まった。


「それより下を見ろ」

「え、下っすか?」


 言われて思わず旭は首を下に向けようとするが、棺桶のようなアイギスのコクピット内にそんなスペースはない。しかし代わりに感覚を同期したカメラが下部のものへと切り替わり降下先の光景を視界に移す。


 高層ビルの立ち並ぶ発展した街。それも彼女の知る都会的な光景とは違い、もっと発展した未来の街並みのように感じられた…………そしてその街の光景を抉るように真っ黒な球体が一つ浮かんでいる。


「あれが異世界だ」

「えっ!?」


 驚いて旭は黒い球体を注視する。それに連動するようにカメラが画像を拡大してより鮮明に映し出すが、そこに在るのは何もかもを飲み込むブラックホールのような漆黒の闇だけだ。彼女が望んだような未知の希望はまるで見つけられない。


「あれは、なんすか…………なんなんすか!?」


 わからない、わからないのに泣きそうな感情が浮かんでくる。無意識に降下する機体の軌道を変えてそれから避けようとするが、感覚を同期して文字通り身と一体になったアイギスも任務放棄をすることは許してくれない。降下する軌道はそのまま黒い球体へと向かっている。


「だから異世界だよ。異世界災害だ」

「異世界、災害…………」


 その言葉を聞いた瞬間に胸がひどくざわめく。知りたくない、思い出すべきではないと心の中で誰かが叫んでいるような感覚に陥る。けれど思い浮かべるだけで旭と同期したアイギスはそのデータベースから情報を引き出してしまう。


 異世界災害。


 ある日突然にこの世界に発生するようになった災厄。発端は一つの小さな町で発生した黒い球体。それはその場にあったあらゆるものを呑み込みながら拡大していった…………そこにいた人々も含めて。


 球体に呑み込まれた人々を助け出す試みやそれを消す試みは全て失敗に終わった。あらゆる外的な干渉は意味をなさず、最新の装備を整えて内部へ侵入した特殊部隊も入った瞬間に連絡が途絶えて戻ることはなかった。


 それがどこまで広がってしまうのか、これが世界の終わりなのかと人々が悲観する中でその発生と同じくして突然に黒い球体は消え去った…………たった二人の生存者と、滅茶苦茶になった町だけを残して。


 その後の研究の成果によりあの黒い球体は異なる世界の法則によって成り立つ空間ということが判明した…………つまりは異世界。あの日突然この世界へと異世界が繋がり、それは広がってこちら側の世界を侵食したのだ。けれどその繋がりとなる核を生存者の二人が破壊したため全ては元通りになった。


 けれどそれは一度で終わることはなく、異世界災害と呼称されるそれはその後も幾度となく発生しては人々を苦しめている…………それに対処できるのは。


「飛び込むぞ」

「!?」


 その事実を実感として思い出す前に異世界災害そのものへと旭は跳びこむ。アイギスで保護されているせいか衝撃は何もなかった。黒い球体へと飛び込んだその瞬間に世界は暗闇に包まれることなく、逆に光が溢れて広がりを見せる。


「なんすか、ここは…………!?」


 明らかにおかしい。降下する時に見えた黒い球体は二階建ての家程度の大きさだった。しかしその内部はまるで別世界に来たような広がりがある。


「だから異世界だよ…………旭の来たがっていた」

「こ、こんなの違うっすよ!」


 そこは森だった。しかし旭の知るどの森とも一致しないし、想像していた異世界の森とだってもちろん違う。おどろおどろしい荒んだ色をした恐らく木々と思われるそれはまるで蜘蛛の巣のように絡み合って生い茂り、毒々しい色をしたその葉や実からはやはり毒液のような汁が滴り、また何かのガスのようなものを発生させていた。


 さらに空は極彩色に、但し薄暗く輝いていた。


「これは魔界とか地獄とかそういうのっすよ!」

「それもまた異世界みたいなんもんだろ」


 まるで元の世界と地続きのように語られるそれらの世界だが、実際のところ別世界に存在する場所だと見た方がしっくりとくる。死者は地獄や天国に転生しているのだという考え方をしたのは軍司も初めてだが、その方が納得できるような気がする。


「それより仕事(ぼうけん)をするぞ。お前が望んでいたような斬ったはったの大仕事(だいぼうけん)だ」


 アイギスに身を包んだ軍司のその顔は旭には当然見えない。しかし彼が好戦的な笑みを浮かべているその姿が彼女の頭には浮かんだ。戦うことが好きではないはずなのに、いつも軍司は自分を安心させるためにそんな表情をして見せるのだ。


「…………」


 なんで自分はそんなことを知っているのだろうと旭に疑問が浮かぶ。彼と彼女が出会ってからそんな状況などなかったはずなのに。


「ぼけっとしてるな、来るぞ」

「えっ!」


 戸惑う旭をよそに状況は動いていく。おどろおどろしい木々が蠢き、それらはまるで生き物であるように二人へとその枝木を伸ばし始めたのだ。


「か、囲まれてるっすよ!?」

「薙ぎ払うだけだ」


 アイギスと繋がった旭の視界は一つに留まらず全方向を同時に見ることもできた。視界がいくつもあるのは不思議な感覚だが、体のほうは慣れているのかそれを受け入れている…………そして何よりも全方向から迫る異形の木々が余計なことを考えさせてくれなかった。そしてそれに答える軍司も同様だ。


「ナノマシン展開。演算開始」


 軍司の乗るアイギスから分子レベルの極小の機会群が周囲へと散布される。アイギスには無数の兵装が搭載されているが、その中でもナノマシンは機体の修復から状況に応じた様々な現象を引き起こすことのできる万能兵装だ。


 コード実行、焦熱処理、開始


 機械的な音声が響き、二人に迫っていた木々が一斉に燃え上がる。散布されたナノマシンが一斉に分子を振動させて膨大な熱を生み出した結果だ。まともな木々とはまるで違う生態に見える異形の木々も流石にその熱には耐えかねたのか、燃え広がる炎の中で次々と炭へと変わっていく。明らかに有害そうな煙が出ているがアイギスに乗る二人には関係ない。


「そら、今のうちに行くぞ」

「えっ、行くってどこにっすか!?」


 軍司の発生させた炎は視界を埋める異形の森を全て焼き払うほどではない。だから今のうちに移動するというのは旭にもわかるのだが、どこへ向かうのかが彼女にはわからない…………そもそも何を目的としてここにいるのかすら今の旭にはわかっていないのだから。


「核を破壊にしに行くに決まってるだろ」


 異世界災害の大元。軍司たちの世界と異世界を繋げている元凶。


「それを破壊できるのは俺たちだけなんだからな」


 その事実が、軍司や旭をこの場所へ縛り付けている全てだった。

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