二十一話 目を覚まし、後輩に冷水をぶっかける
「そうか、そうだったな」
納得したように軍司は呟く。全てを思い出した彼は何もかもに納得できていた。自分と旭の関係も、これから自分がどうすべきなのかも…………そして悪友を失ったというその事実をもはや永遠に変えられないということも。
「とりあえず、あなたに礼を言うべきですかね」
「急に殊勝な態度になるのは止めてくれ
「それは別にあなたの責任じゃ」
「私の責任さ」
それだけは覆してくれるなというように海は軍司を見る。
「馬鹿なミスをした私を庇って弟は死んだんだ。それだけは忘れるわけにはいくまいよ」
「…………」
もう軍司や旭のように忘れることなく海は生きていく。その決意を口にする彼女を前に彼は何も言えなかった。
「君はどうするんだい?」
「俺ももう、逃げることはしませんよ」
その為に軍司は思い出したのだ。忘れることが彼女のためだと思っていたけれど、それではだめだったのだと思い知らされたから。
「君が逃げないと決めてもあの子のほうはそうじゃないだろう? 基本的に記憶処理は一方が望めば両者に対して行われる…………一方が記憶処理を拒否したとしても、もう一方が望んだなら処理されるのが規定だ」
なぜなら優先されるのはその精神…………ひいてはその魂だからだ。
「だからシステムに申請を出します…………協力してくれますか?」
「かまわないとも。連名ならまあ、通る可能性は十分にあるだろうさ」
海は頷いて、かつて軍司の悪友が浮かべていたような楽し気な笑みをする。
「せいぜいあの子に、現実を見せてあげるといい」
そしてその先で望むことを成し遂げて、自分を楽しませてほしいというように。
◇
自宅のベッドに倒れこんで何時間たっただろうかと旭は思う。総合で見ればとても楽しい一日だったはずなのに、最後の最後で天国まで登って地獄まで叩き落されたような体験をしてしまった。
そのまま道中の記憶もほとんどないままに自宅に戻ってベッドに倒れこんで、それ以降の時間感覚も狂ったままだ。その間に自分は眠ったのか眠っていないのか、気が付けば日が昇ってまた落ちていたような気もする。
学校はたぶん休んでしまったのだろうが両親はそれを咎めることもしないし、様子を見に来ることもない。二人は彼女に対する最低限の責任を果たすだけで、けれど旭のほうもそれに何とも思えなかった。
「…………先輩」
いま彼女が気になるのは軍司のことだけだった。自分は裏切られたのだろうか、それとも裏切ってしまったのだろうか。彼女自身の望みとはかけ離れてしまっていたが、彼が旭のことを思って行動してくれたその事実だけは間違いがないのだから。
「先輩が…………先輩が一緒だったら」
届かないものへと伸ばすように旭は手を伸ばす。天井へと向かって伸ばされたその手は何も掴むことはない。まるでお前の望みは絶対に叶わないのだと言われているようだった…………それでも、軍司と一緒なら何でも叶うような気に彼女はなれたのに。
「なんでっすか…………先輩」
たとえそれが叶わない夢なのだとしても…………それならばずっとその夢を見させてほしかった。夢に向かって隣で一緒に歩いていてほしかった。しかし彼はそんなことを許してくれない。夢は覚めるものなのだと、現実を生きることを突き付けて来た。
「先輩なんて大嫌いっす…………」
呟いて目を瞑る。碌な夢を見ることはないにしても、今のこの現実よりはマシだった。
そんなことはないのだと、彼女は知っていたはずなのに。
◇
「旭」
誰かが自分を呼ぶ声がする。
「旭!」
叱咤するようなその声に彼女は目を見開く。開いたその目に飛び込んできたのは見慣れた自室の天井ではなかった。それどころか身動きもできない。まるで棺桶のような狭い空間の中に自分は立っていて、しかも全身は何かに押さえつけられているように動かない。辛うじて見える部分は、なんだかよくわからないが機械の計器らしいということだけが見て取れる。
「旭、いい加減に目を覚ませ」
「せ、先輩っすか?」
状況はまるで理解できないもののそれが軍司の声であることだけはわかった。それがこの狭い空間の中に響いている…………いや、頭の中から聞こえているような感覚だった。
「あと数秒で降下が始まる。それまでに感覚を思い出せ」
「か、感覚って何っすか! というかここはどこっすか! 先輩はどこにいるんすか!」
「俺はお前の隣にいる…………それはお前の体の延長みたいなもんだ。感覚を同期させて肉体じゃなくて機体の目で俺を視ろ」
「感覚を同期って…………」
そんなのどうすればいいのかわからない、そう答えようとして半ば無意識に感覚が切り替わって視界が移り変わる。そんな方法なんて知らないはずなのに、体は覚えているというような自然さだった。それまでの棺桶のように密閉された空間から急に視界が開ける。格納庫のような場所だろうか、視界が高い。背丈が倍以上になったようだった。
「できたか?」
相変わらず頭に響くような軍司の声。それなのにどれがどこから聞こえているのか感覚でわかる。視線を向けるとそこに大きな黒い塊があった…………正確には塊というかロボットだろうか。二足歩行の武骨な人型ロボットにこれでもかと装甲を重ねて膨れ上がったような外見の金属の塊だ。それが軍司なのだとなぜだか旭にはわかる。
「せ、先輩…………それはなんすか?」
「アイギスだ。お前も乗っているだろう?」
北欧神話に登場する無敵の盾。その名前を冠した機動装甲兵器。その攻撃性能もさることながらいかなる状況下においても搭乗者を生還させることを目的として作られている。
知らないはずの知識が浮かび、それを自分も着ているのだと指摘されたことで旭の視界がまた切り替わる…………格納庫の天井近くから見下ろすような俯瞰視点。その視線の先に黒い塊が二つあった。一つは軍司が乗っているものでもう一つが旭。
自分がそれに乗っているのに、それを見下ろす視点から自分で見るという矛盾した光景に旭は頭が混乱しそうになった。
「なんすか、なんなんすか!?」
視界が戻って旭は軍司の乗るアイギスを見つめる…………いや、見つめているつもりになっている。現実的には機体のカメラを向けているだけなのに、それと同期しているせいか感覚では自分が見ているようになっている…………まるで理解できないわからない。今のこの状況も何もかも、それに馴染んでいるような自分自身の体も理解できなかった。
「長々と話してる時間は無い、もう着いてしまうからな」
「あ、そういえば数秒でどこかに着くって」
しかしその数秒はすでに過ぎ去っているはずだった。
「引き延ばそうと思えば体感時間の引き延ばしなんていくらでもできる。しかしここで長々と話してるより実際に体験したほうが手っ取り早いだろ…………そういうわけだから行くぞ」
「さっきからどこに行くって言ってるんすか!」
「異世界だよ」
軍司は答える。
旭の望んだその場所へと向かうのだと、けれど希望の全く籠もらぬ声で。
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