十九話 空白を埋める
「なにか、思い出したという顔ではないね」
翌日の朝に軍司と旭は顔を合せなかった。ここ最近は毎日登校中に顔を合わせていたのについぞ学校へ辿り着くまで彼女が現れることはなかった。流石に昨日の今日なのでそれも当然の話なのだが、理解はできていても焦る気持ちが生まれないわけではない。
だからといって旭に今の軍司が会いに行っても拒絶されるのは目に見えている。だから彼の心情に関わらずいつも通り行われる授業を
「思い出していないと駄目か?」
「いや? 設定上とはいえ私は君の先輩だからね、後輩の悩み事くらい聞くさ」
相変わらず思わせぶりな物言いをする女だと軍司は思う。この場に旭がいればその発言にまた一喜一憂したかもしれない。
「あんた、何を知ってるんだ?」
「いきなりずいぶんとした物言いじゃないか」
凄んで彼女を見る軍司にくすくすと海が笑う。
「悪いが今はあんたのお遊びに付き合っていられる余裕はない」
「大切な彼女に拒絶されたからかい?」
「っ!?」
「そう睨まないでくれたまえよ」
思わず顔をしかめる軍司に涼しい顔で海は肩を竦める。
「君と違って私は思い出している側だからね、その程度の情報収集くらい簡単なんだ」
「…………思わせぶりなことばかり言わないでくれ、頭が痛くなる」
こちらが理解できないとわかっていながら口にするのだからたちが悪い。
「これでも親切のつもりなのだけどね。思い出すための刺激だよ」
「…………何を思い出すべきなのか直接言ってくれればいいんじゃないのか?」
「それは規定でできなくてね、自分で思い出してくれないと」
首を振る海に軍司は痛むように額を抑える。かつて悪友と話していたように学食でも端のほうの席だから周囲に聞かれることはない…………しかしなんでこんな話をしているんだかと自分の中にある常識が訴えかけてくる。
「常識を捨てた方が思い出しやすいよ」
そんな彼の考えを読んだように海が言う。
「捨てられるわけないだろう」
「だろうねえ」
常識とは深くその人格に根付いたものなのだから。
「話を戻すぞ」
「戻すというか始まってすらいないのだけどね」
「あんたのせいだろうが」
まだ少し話しただけなのにひどく疲れたと軍司は溜息を吐く。彼が本題を切り出す前に勝手に話し始めて、理解できずに困惑する話だけを聞かされたのだから無理もない。
「それで?」
「…………俺が旭に抱いている感情について聞きたかったんだ」
「ああ、現状の関係性以上に彼女のことが好きすぎるからおかしいって?」
「…………そうだよ」
わかってるなら最初からそういう対応をしてくれと軍司は顔をしかめる。最初に会った時から海はそのことに気づいているようだった…………軍司自身だって旭に告白して拒絶されるまで、自分がこんなにも彼女に強い感情を抱いているとは気づいていなかったのに。
「俺は確かに旭に好意を抱いている。夢を叶えようとひたむきに努力する姿は好ましいし、無邪気に俺を先輩と慕ってくれるのも微笑ましく感じる…………だが、それだけのはずなんだ」
冷静に軍司は自己分析できる。彼は彼女に好意を抱いてはいるし、抱かれてはいる。しかしそれはまだ浅い程度のもののはずなのだ。仮に旭がいきなり本懐を遂げて軍司の目の前から消えても彼は寂しさを覚える程度…………そのはずなのだ。
嫌いだと言われたくらいでこの世の終わりのような絶望感を覚えるほどではないはずだった。
「だがあんたは俺がそれ以上の感情を抱いていることを知っていたな」
軍司が自分ですら自覚していなかったことを海は知っていたのだ。
「相手を好きになるのに時間は関係ない…………なんて答えは望んでなさそうだね」
「それで納得できるならあんたに会いに来てない」
軍司はただ旭が好きなだけではない。彼女を現世で幸せにしなくてはいけないという強い衝動があるのを今回の件で自覚できた。それは一目惚れであるとか好きの度合いとかでは説明できない衝動だ。まるでそれが自分の果たすべき使命だと魂に刻まれているように…………そしてそれは旭の異世界転生願望と同様のものではないかと軍司は感じるのだ。
「そうさね…………ならまず私の弟の話でもしようか」
やれやれと息を吐き、先ほどまでの楽し気な笑みを消して海は語り始める。そんな話を頼んではいないと軍司は言わなかった。答えを直接彼に教えることはできない規定なのだとさっき彼女は言っていたし、急に寂しさを覚えさせるその表情に苦言は紡げなかった。
「弟は姉の私が評してもなかなかのクソ野郎でね。自分の楽しみのためなら他人を不快にさせようが気にしないタイプだった…………それでいて一線は守るのが厄介なところでね」
つまりはそっくりな姉弟だったのだなとは軍司は口にしなかった。
「姉の私にも敬意なんてなくて幼いころから手を焼かされた。天罰があるならあいつに落としてくれと願ったもんだが悪運だけは無駄に強い野郎でね、人を波乱に巻き込みながらも自分だけは致命的なところは回避しやがったもんさ」
「…………」
どこか既視感のある人間だなと軍司は記憶を刺激される。目の前の彼女ではなく、どこかもっと近いところにそんな人間がいた気がする。
「殺そうとしても死なない奴だと私は思っていた。こんな奴と姉弟として生まれてしまったがためにこの腐れ縁は永遠に続くのかとね…………だが死んでしまったよ。そんなキャラなんかじゃなかったはずなのに。ヘマした私を庇って死にやがった。普段自分のことに関してはあれだけ悪運強かったのに、こんな時だけブラックボックスを直撃されて再生不可だ…………ふざけた話だと思わないかい?」
悪態吐きながら、けれどその表情はまるで笑えないと言わんばかりだった。大切な、半身と呼べる存在を失った喪失感が海の表情にはあった。
「それは、いつだ?」
けれど今の軍司はそんな彼女の表情にも構っていられなかった。旭に嫌われてしまった時とはまた別の焦燥感が胸を突く。海の弟のことなど軍司は知らない。月見なんて変わった苗字の知り合いなど彼女以外にはいないはずだ…………それなのに、死んだという彼女の弟のことを知っているような気がしてならなかった。
「私が失踪したその日だよ」
「…………一緒に失踪したってことか?」
「違う」
海は首を振る。
「そもそも私は失踪したわけじゃないんだよ。弟と仕事をしに行って…………失敗した。おかげで君たちには随分と尻拭いをさせることになったね」
「あんたなにを…………」
「君の近くにも同時期に失踪した人間がいるんじゃないかな?」
「そんなやつは」
いない、と口にしようとして思い出す。会おうとして会えなかった悪友。毎日顔を合わせていたはずなのに会えなくなって連絡も取れない…………いや、そもそも連絡先がスマホにも入っていなかった。それどころか名前も思い出せなくなった悪友。
「あいつ、は」
愕然とする。なぜこれまで自分はあいつのことがいなくなったことに疑問を覚えず、名前すら思い出せないことを不思議に思わなかったのだろうか。
「名前は思い出せるかい?」
「あいつの…………名前、は」
懐かしい日々を思いおこす。ふざけた態度で人をからかい、それでいて困りごとがあれば泣きついてくる。課題を手伝ってやったことだって少なくない回数だ。それでもお互いに気兼ねなく感情をぶつけ合えた大切な悪友…………いや、親友だった。
「海斗…………あいつは、秋葉海斗だ」
「正解」
ぱちぱちと手を叩き、海が軍司へと微笑む。
「一つ、思い出せたようだね」
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