十七話 デートの終わり

「あー、今日は楽しかったっすね!」


 あれから日が暮れるまで水族館の展示を堪能し、名残惜しいながらも二人は館を後にして家路についていた。暗くなった海沿いの道はどこかうすら寒い雰囲気がしているが、楽しい思い出ができたばかりだからか二人の足取りは軽い。


「水族館なんてずいぶん久しぶりに行ったが、子供の頃とはまた別の楽しみ方ができるものだな」


 子供の頃の軍司はただ見るものを楽しんでいたように思う。しかし今回は旭も一緒だったこともあってみたものから想像を膨らませる楽しみ方をした…………まあ、つまりはあの後も展示物を異世界だったらどうだろうという想像しながら楽しんだのだ。


「先輩のせいで出鼻をくじかれたっすけど、後半で取り返せた感じっす」

「まだ引っ張るか」


 よっぽど異世界がらみの神頼みができなくなったことを恨みがましく思っているらしい。別に軍司の考えは考えとして自分は信じますとすればいいだけなのに、妙に義理堅いというか彼への信頼が厚い。


「これに関しては一生引きずるっすよ」

「一生ということは異世界転生を諦めるのか?」

「異世界転生するまでって意味っすよ!」

「それなら早く転生してもらわないとな」


 ははは、と笑いながら冗談を口にして軍司はふと気づく。自分は旭の異世界転生を止めるために彼女に協力を申し出たはずだ…………それなのに冗談とはいえ彼女の転生を肯定するようなことを口にしてしまうとは心境の変化でもないとありえないだろう。


 自分は旭が異世界転生することに肯定的になっているのだろうか?


 そう彼は考えてみる。これまで旭の異世界転生への努力を軍司は見てきた。異世界への転生という前向きな自殺。ひたむきに、その全精力を傾けて彼女は存在しない道を見つけ出そうとしている。しかもただがむしゃらにではなくきちんと軍司の意見を聞いて他人の迷惑にならないよう心掛けている…………それが異世界転生以外への努力であったなら心から軍司は応援できていたことだろう。


 いや、と軍司は思う。彼が異世界転生を否定しているのはそれが軍司からすればただの自殺以外の何物でもないからだ。それは彼が異世界転生というものをありえないと思っているからで、しかし否定する理由に科学的な根拠があるわけではない。


 それは神様の話と同じだ。軍司は神の存在を信じてはいないが、だからといって存在しないことを証明できるわけではない。それゆえに彼は自分が信じていなくとも誰かが信じることを止めるつもりもなかった。


 それなら異世界転生だって同じではないだろうか?


 もちろん神様を信じたって死ぬことはないが、異世界転生を信じて実行すれば死んでしまうという大きな違いはある。だからこそ軍司はそれを否定して旭に挑戦することをやめさせたかったのだ…………ただ、それでもできるという可能性は存在している。


 旭が見つけていないだけで、軍司が知らないだけで、異世界転生する方法は本当にあるのかもしれない。


 無謀な試みは止めるべきだろう。ただ死ぬだけなのなら止めない理由は無い。


 だがいつか、軍司自身も納得できるような異世界転生の方法が見つかるかもしれない。彼女に転生を諦めさせるのではなく、そんな方法が見つかるまで一緒に探し続けるというのも一つの道なのではないかと彼は今思ったのだ。


「なあ、旭」

「なんすか?」


 それを話そうと思って彼女の名前を軍司は呼んだ。旭に協力すると持ち掛けた本当の理由を明かして、けれどこれからは本気で彼女の目的のために協力すると約束する。別に明かす必要はない話だし、明かせば先ほどのようにまた彼女を怒らせるかもしれない…………それでも明かすべきだろうと彼は思うのだ。


 それでこそ、いつか旭が本当に夢を叶えた時に心から共に喜べる。


 そんな日を想像して…………軍司は背筋に氷の塊を押し付けられたような感覚を覚えた。


 だってそれはつまりいなくなるのだ。

 旭が彼の目の前から。


 もちろん何もかもがうまくいった想像なのだから、旭はただ死んだわけではなく望み通りに異世界に転生して楽しくやるのだろう…………残された軍司を別として。


「先輩、どうしたんすか?」


 話しかけおいて押し黙る軍司を旭が不思議そうに見る。自分を信頼してくれる純粋なその表情…………これを失うのが嫌で自分は決意したのではなかったか。彼女のその望みを絶つために旭を誘ったのではなかったのかと軍司は思い出す。


「俺も、浮かれていたのかな」

「先輩?」


 今日は楽しかった。楽しかったからこそこんな時間がずっと続けばいいと軍司は思った。そのための確実な方法は今の関係を続けることだ。だからきっと彼は旭の願望を肯定してその関係を続けようと考えた…………けれどそれは逃げでしかない。いつか破綻することを前提とした淡い夢だ。それだけは不思議と確信がある。


「なあ旭」

「だからなんすか?」


 繰り返し尋ねる旭のその目をまっすぐに見つめて、軍司は口にする。


「どうやら俺はお前のことが好きらしい」


 理由はいくつか考えられるがどれもしっくりこない。一目惚れではないと思う。ただ彼女を放っておけないと思うし、目の前からいなくなることを耐えがたく感じる。旭と関わった期間を考えるとどうして自分がそんな風に彼女のことを思うのかは納得できない…………だが、そう感じてしまうものはしょうがないだろうと彼は思う。


「い、いきなりなんすか!?」

「そんなにいきなりでもないだろう」


 軍司は水族館にデートだと言って誘ったし、旭の手を握ったりとアプローチもしている。それになんの下心もないと思う方がむしろおかしい。


「そ、それはそうっすけど…………もっと心の準備というか、予告が欲しかったっす!」

「贅沢だな」


 心の準備の帰還なら十分にあったろうにと軍司は思う。


「贅沢とかじゃなくてこれから告白するって一言くらい…………」

「それで」


 軍司は引き延ばすことを許さないように旭の言葉を遮る。


「俺は返事が欲しい」

「うぐ」


 まっすぐに自分を見る軍司から旭は思わず目を逸らそうとするが、彼の強いその視線はそうすることを許さない。


「旭は俺のことが嫌いか?」

「…………そういう尋ね方はずるいっすよ」


 否定できないことを尋ねるのは本当にずるいと旭は思う。


「…………――っす」

「よく聞こえない」

「…………―きっす」

「もっと大きな声で」

「あー、もう、好きっす! 好きに決まってるじゃないっすか!」


 開き直ったように旭が叫ぶ。


「そりゃ最初はよくも私の異世界転生を邪魔してくれたなとか思ったすけど! あんな親身に話を聞いてくれてその後は協力もしてくれて! すごく頼りになるし優しいし格好いいし、今日なんかすごく楽しかったし好きにならないはずがないじゃないすか!」

「……………むう、そこまで褒められると流石に恥ずかしいな」

「先輩が言わせたんじゃないっすか!」


 拗ねるようにぽかりと旭が軍司を殴りつける。相変わらず痛い。


「はー、もう、 しょうがないっす」


 諦めたように旭は息を吐く。


「先輩のせいで難易度大幅アップっすよ」

「なにがだ?」

「異世界転生っすよ」

「…………」


 なんでそうなるという彼の視線をよそに彼女は続ける。


「これで先輩と二人で異世界転生する方法を見つけなくちゃいけなくなったっすよ」

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