十二話 先輩から見る後輩

 自宅で軍司は今日のことについて考えていた。そのうちの一つは当然旭と会いにいった月見海のことだ…………正直彼女のことを彼は推し量れていない。こちらの味方と言ってはいるが信用するだけの材料はなく、しかしその言葉自体は真実のように思える。だがそれならそれで全てを語らず隠しているような態度は何なのかという話にもなってしまう。


 けれど彼女に関してはまあいい…………軍司がずっと考えているのは旭のことだ。


 水村旭。軍司の通う高校の一年生でトラックに飛び込もうとしていたところを偶然見かけて彼が助けた少女。異世界転生という前向きな自殺を望む彼女を止めるためにあえて軍司は彼女に協力する立場となった。


「変わった子だ」


 これまで軍司が知り合った中でもかなり特異な存在だ。普通の人間ならば当然忌避してしかるべきである死を転生のための過程としてか思っていない。そして特異な望みを隠すことなく公言して全力で突っ走っている…………勢いがありすぎて考えの足らないことが多いが。


「だが悪い子じゃない」


 話してみれば旭は実に素直な少女だった。トラック転生は運転手に迷惑が掛かると諭せば食い下がることもなくそれを諦めた…………まあ、もちろん素直なだけではなく悪意を誘発させるとわかっていて振る舞いを正さないような一面もある。だがそれに関しては周囲の環境の側面もあるので軍司としては注意し難かった。


「それを死なせたくないと思うのは…………当たり前のことじゃないのか?」


 海から言われたことを思い出す。彼女は軍司が旭に対して特別な感情を抱いているのではと当てこすっていた…………だからこそ死なせたくないのだろうとでも言うように。


 けれど旭を死なせたくないという感情は、それとは別に普通に起こるものだろうと軍司は思うのだ。例え知り合って間もない関係性だとしても、悪い子ではなくしかも自分を先輩と慕ってくれる相手が死のうとしていたら普通は止める…………ましてや軍司は人を助けるのが性分だ。単純にそれだけで放っておけるはずもない。


「…………惚れてるように見える、か」


 客観的に見ればそう見えるだろうとは軍司も理解はしている。はっきり言ってしまえば旭は相当な地雷案件だ。そんな彼女に献身的に付き合っているのを傍から見れば惚れた弱みのようにも見えるかもしれない…………しかし海はそんな風に自分を見ているようでもなかった。まるで彼も知らない感情の内側を知ったうえで口にしているようだった。


「少し考え方を変えてみるか」


 水村旭という少女を恋愛対象として考えてみる。まず容姿は悪くない。体格は平均より小柄ではあるが自分が大柄な分そういった子に惹かれる傾向があるのを軍司は自覚している。正確に関しても素直だしああいう元気がいいのは好ましい。


「…………」


 あれ、普通にありだなと軍司は思う。そもそも人助けが性分とはいっても好感の持てない相手に真摯しんしになるほど彼もお人好しではないのだ。


 もっとも恋愛対象としてありだと思えるのと、実際に恋愛感情を抱いているかは別の話ではある。少なくとも軍司は今のところ旭に対して彼女にしたいとかそんな考えを持ったことはない…………まあ、まず目の前の問題に対処せねばという意識もあったからではあるが。


「例えば、旭の願いがかなったとしたらどうだろう」


 自分はその時どう思うだろうかと軍司は思考する。それはつまり旭が異世界転生するという願いを叶えて現世を去ったという状況だ…………自分の無力感を嘆くだろうか? それとも彼女が望みを叶えたことを祝福することで自分を誤魔化すだろうか。


「ごめんなさい、先輩。それでも私はこの世界が嫌なんすよ…………先に行くっす」


 聞いたこともない彼女の言葉が頭に浮かぶ。その瞬間にどうしようもなく自分は置いて行かれたのだという孤独と虚無の感情が胸から湧きだしてきた。


「っ!?」


 制御できないその感情に思わず軍司は胸を押さえて膝をつく。


「なんだ…………これは」


 確かに軍司は旭に好感を抱いているが、彼女がいなくなることを想像しただけでこんな感情を抱くほどではないはずだ。仮に彼女がいなくなれば軍司は無力感を覚えるだろうし寂しさも感じるだろう…………しかしその程度のはずだ。


 薄情なものの見方をするのならば、軍司と旭の関係はほんの二週間にも満たないものでしかないのだから。


 一目惚れ? しかしそれならばもっと自覚できるものではないだろうか。


 軍司の頭に疑問がぐるぐると浮かぶ。自分で自分がわからない感覚というのはどうしようもないくらいに気持ちが悪い。


「…………はっきり、させるか」


 その為の方法はひとつしかないだろう。


「よし」


 決断したら気が楽になって心に余裕も生まれる。


「ゲームでもするか」


 呟いて、最近とんとプレイ時間の増えてきたVRゲーム機を手に取った。


                ◇


「おはようございます!」

「ああ、おはよう」


 最近はお互いの登校時間を把握したからか、通学途中で軍司は旭と顔を合わせることが増えていた。校内では迷惑が掛かると彼との接触を避けている彼女だが、通学途中ならセーフと判断しているのか校門までは会話を共にしている。


「今日は一段と元気だな」

「そりゃあ昨日やる気の出る話を聞けたっすからね!」


 海から聞いた異世界の話に、より転生への意欲がわいてきたということなのだろう…………軍司としては困った話でしかないが。


「しかし転生の参考になる話じゃなかっただろう?」

「それはそうですけど、異世界の体験談が聞こえるのはやっぱ大きいっすよ!」

「…………」


 その話は嘘だと海本人が認めていたのだが、流石に軍司も旭のその希望溢れる表情に水を差すことはできなかった。


「方法の当てはあるのか?」

「前にも言ったっすけど、検証してないだけで転生の方法自体はたくさんあるっすよ!」


 いやもう、本当に困る話だなあと軍司は思う。なんでそんなにたくさん異世界転生の方法を考えちゃったんだ人類は。


「ただ、海先輩の話を聞いたからこそ急がば回れの精神で行くべきだと思ったんすよ」

「ほう?」


 流れが変わったかなと軍司は片眉を上げる。


「海先輩は異世界に召喚されたけど手違いで何の力も得ることができなかったじゃないっすか」

「そうらしいな」


 いわゆるチート能力は得られなかったという設定で海は語っていた。


「私が思うに、それは神様への信心が足りなかったせいだと思うんすよ」

「うん…………うん?」


 軍司は首を傾げる。


「それはどういうことだ?」

「つまりっすね。こちらの神様にちゃんと認識されてれば、異世界に召喚される時に安全のためにチートを与えて送り出してもらえたと思うんすよ」

「…………」

「だからその為に神様にお参りをして私という存在を認識してもらうべきだと思うんす」

「そうか」


 何をどう思ってそんな結論になるのか軍司には理解できないが、旭はそう結論を出したらしい。あいにく軍司は神を信じていないし、仮に存在してもお参りひとつでそんな親切にしてくれるような人の好い神がいるものだろうかと思うが。


「だからしばらくは神社巡りをしようと思うんすよ」

「なるほど、いいんじゃないか?」


 ちょうどいい話だと軍司は旭の思いつきに賛同する。


「俺でよければ一緒に巡ろう」

「ほんとうっすか!」

「ああ」


 喜ぶ旭に軍司は頷く。


「それならまず大きいところから回っていこうと思うんすけど」

「大きいところというとあの海沿いの神社か?」

「そうっす!」


 話ながら軍司はその辺りの記憶を思い起こす…………確か近場に水族館があったはずだ。


「確か近くに結構有名な水族館があったな」

「あ、確かにあったっすね!」

「せっかくだ、神社の帰りに寄っていかないか?」


「え」


 驚いたように旭が軍司を見る。


「息抜きにはちょうどいいだろう」

「そ、それは構わないっすけど…………」


 戸惑うように旭は声を小さくする。


「それだと、デート…………みたいっすね」

「ああ、そうだな」


 軍司はそれに頷いた。


「デートをしよう」

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